ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

上野毛・五島美術館・覚願寺

2014年09月08日 22時55分18秒 | 訪問地周辺散策

世田谷区上野毛にある施設を訪問しました。少し早めに着いて、近くにある五島美術館に行ってみました。残念ながら今日は定休日で入れませんでした。美術館は東急大井町線の脇に建っています。この橋からは富士山が見えるようです。

駅に戻る途中で坂のある道路の向こうで、こんなものを見つけました。興味本位で行ってみました。しかしそこは何もない公園でした。高台にあるので、奥にいってみたら下への階段が続いていました。さらに階段がこれ以上降りると上るのが大変なので引き返しました。運悪く桜の木の下で、手首のところを蚊に刺されてしまいました。隣にはお寺さんがあるようなので、向かってみました。覚願寺でした。中は幼稚園になっているらしく、門は閉ざされ、門の前にはスクールバスが置いてありました。

ほとんどのお寺さんを踏破していると思われる「猫の足跡」さんのHPによると世田谷区教育委員会掲示には

【自性山聖徳院覚願寺と称し、真言宗智山派に属する古刹である。「新編武蔵風土記稿」には、「此寺元は村の西の方台の下にありしが、いつの頃か此所に移せし」とのみあり、その創建の時期を明らかにしていない。しかし、文禄三年(1594)の「武州荏原郡世田谷領上野毛郷縄打屋敷帳」には覚願寺の名が見えており、この頃寺地が確定したと考えられる。本尊は大日如来で、脇仏として弘法大師と興教大師が祀られている。
なお、享保六年(1721)の「両大師造立帳」(当寺所蔵)には聖徳太子像(木像漆塗、江戸時代現存)が本尊であったことが記されている。当寺の院号が「聖徳院」と称されているのはこのためであろう。その後、大日如来像が本尊とされたようで、現在もこの大日如来像が当寺の本尊となっている。文政七年(1824)には、本堂が大破したため大修理を行った記録が残されている。
現存する本堂、観音堂は、天保年間(1830-1843)に再建されたものである。総門は、昭和六十三年に造営された。】と書かれているようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする