カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

イ・ハニョル烈士のお母さん"カン・ドンウォン、可愛い人…子供と呼んで"

2018-01-04 23:31:55 | 1987

ドンウォンくんが 映画「1987」出演する前

 

 

ドンウォンくんのお祖父さんが親日家(良い意味ではない)だということで

 

 

映画の出演に対して論議されたことがありました






ドンウォンくんがイ・ハニョル烈士のお母さんに




誠意を尽くしたからこそ映画の出演が実現したんですねーTT

 


 

 


 

イ・ハニョル烈士のお母さん"カン・ドンウォン、可愛い人…子供と呼んで"

2018.1.4 翻訳サイト使用


イ・ハニョル記念事業会がイ・ハニョル烈士のお母さんと俳優カン・ドンウォンとの出会い秘話を明らかにした。

イ・ハニョル記念事業会側は3日フェイスブックに“去る4月カン・ドンウォンさんが光州(クァンジュ)望月洞(マンウォルドン)のイ・ハニョル烈士墓地と芝山洞(チサンドン)のお母様のお宅をたずねた”としながら“1987年7月9日光州(クァンジュ)、錦南路(クムナムノ)で進行された路祭の時、青い鳥一匹が満場の上にしばらくとまって飛んで行ったが、旱熱の墓地にもシジュウカラ一匹が墓碑のまん中にしばらく座ってから飛んで行った。 まるで自身を演技するカン俳優を応援しようとシジュウカラに変わった魂が寄って行くようだった"という文を載せた。

続けて"お母さんは車が渋滞してカン俳優がお昼をまともに食べられなかったという事実を知ってさっとナクプル鍋にご飯を整えて下さった。 よく食べて可愛かったといわれた"と伝えた。

 

 

 

イ・ハニョル烈士のお母さんはカン・ドンウォンに対して格別な愛情を表わしたと分かった。 イ・ハニョル記念事業会側は"お母様がカン・ドンウォン俳優を'可愛い人'または'子供'と呼ぶ”としながら“秋から映画'1987'を見る心配をされたお母さん. "とてもどうしても見なきゃ"といいながらも"子供(カン・ドンウォン)が努めたが、苦労したと言わなかったが行ってみたら苦労していた。 映画を見られなかったことに対してカン・ドンウォン俳優に一番すまないと思います。 息子の役をして下さったカン・ドンウォンさん、ありがとうございます”と明らかにした。

カン・ドンウォンは映画'1987'でイ・ハニョル烈士をモデルにした'ハンサムな大学生'に扮した。 イ・ハニョル烈士は1987年6月9日延世(ヨンセ)大前のデモ途中警察の催涙弾が頭に当たって倒れた後7月5日に亡くなった。 この事件は6.10民主抗争の導火線になった。

 

 

 

 

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