カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

20余年間休まず駆けてきた俳優カン・ドンウォン"年を取る? とても良い" つづき

2018-09-18 22:47:29 | 1987

 "年を取る? とても良い"

 

 

 

 

 

私もそう思って暮らしてきました

 

 

 

 

でもねー





 

やっぱり若い方がいいよねw

 

 

 

 

 

だからねー

 

 

 

 

 

今を楽しもう!

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 20余年間休まず駆けてきた俳優カン・ドンウォン"年を取る? とても良い" つづき

 2018.2.25記事 翻訳サイト使用

 

◆映画'ゴールデンスランバー'撮って高校時代の記憶のが次々と


-高校時代が気になる

寮に住んでいたが、一つの部屋に11~12人ずつ生活した。 軍隊のように常に横になって寝た。 友達とそのように毎日生活するので互いに悩み相談もして親しかった。 自律学校なのでサークル活動も自由だった。 その時その経験と思い出があったので20代に学生生活を楽しむことができなくても大丈夫だったようだ。


-サークル活動もしたか

私は放送部の活動をした。 バンド活動はしなかった。 親しい友達がハードコア バンド活動をしたが、自分の部屋にきてハードコア音楽をかけて過ごした。 そうしたら私も自然にその音楽の中毒になってファンになった。

 

-映画'ゴールデンスランバー'を撮って学生時代の記憶がたくさん出たようだ

高校時代の友達の思いがたくさん出る。 映画の中のゴヌのように高校の同窓生は策略なしに優しくて純粋な友達が多い。 サークル活動も積極的にして、夜間学習も自主的にするシステムなので自由な学生時代を送った。 授業を'さぼ'って友達をそそのかして自転車に乗って山や野に風に当たりに行ったこともあった。

 

(映画'ゴールデンスランバー'はイサカ・コウタロウの同名ベストセラーを原作に2010年日本でも映画化になった作品だ。 この映画は光化門(クァンファムン)で広がった大統領候補暗殺事件の犯人にされた一人の男の逃走劇を描いたもの。 巨大な権力によって平凡な個人の人生が操作されるという興味深い設定を基に、追って追われる逃走劇中の友達の友情を表わした。 カン・ドンウォンはわけも分からないまま容疑者になって追われることにな善良な市民'ゴヌ'役を担ってあふれる緊張感をプレゼントする。 見えない権力に対抗するゴヌの成長と変化はドラマの軸になって劇を導く。 )

 

 

 

-映画'ゴールデンスランバー'で俳優キム・デミョン、キム・ソンギュンなど同い年たちと共に呼吸を合わせたが

映画'オオカミの誘惑'(2004)の当時ハンソンとともに映画を撮って以後私の同じ年頃の俳優らと共に撮影する機会が少なかった。 今回のキャスティングの話を聞いてよかったと思った。 ソンギュンは映画'群盗'(2014)の時から知った友達だ。 一緒にする撮影シーンが多くないので惜しかったが、一緒にいるだけでもとてもおもしろかったよ。 冗談も互いに気楽にできるから。


-逃走劇だから思いっきり走っただろう

陸上選手の役でなければこれよりもっと走ることはないようだ。 幸いものすごくはやく走ったわけではなくて体力的に大きい無理はなかった。


-都心の真ん中で逃走するシーンが多かった

誠信(ソンシン)女子大の前で撮影するシーンがあったが、道行く人がとても多い。 撮影許可は受けても市民の空間なので、私たちが撮影すると入ってくるなという言葉は言えない。 人々の間で演技をするのがとても恥ずかしいことだ。 撮影中に私とあう市民も"友達どこかで見た"という目つきでとても驚かれる。(笑い)


-映画の製作を直接提案したが。 この映画の魅力は

ストーリーやメッセージ、主題がやってみる価値があると考えた。 実際にそんなことが起きているのに被害者は正しく補償を受けられなくなっている場合がある。 それでこのような部分に光を当てる映画があるべきではないかと思った。 どうしても商業映画をみな見るので人物中心にだけ食い込むことはないけれど、そのような要素を引き出してお見せするのも価値があると考えた。

事件を解決していく過程の中で主人公が一人で格好良く解決するのでなく、今まで積み重ねた人間の信頼で解決していくメッセージも良かったし。 原作での多少苦しい結末がこの映画である程度解消させたようで満足だ。 この頃誠実に生きるのが容易でない世の中なのではないか。 傷も多く受けることになって。 そうした方々に力になることができる映画だ。 メッセージもあって感動もある。

 

 

◆ "ゴヌのセリフ"私がちょっと損をするのはどうだ"は、私が頻繁に話す言葉"

 

-映画の中キム・ゴヌ キャラクターは自分が損をしても人を先に考える情が多くの人物に出てくる

映画の中のキム・ゴヌが話した"私がちょっと損をするのはどうだ"という言葉は実際に私がたびたびいう言葉でもある。 誰か私に"それはあまりにも損なことじゃない"と話すときはいつもそう答えたりする。 ゴヌの性格と似ている面がある。

デビューの時から私の座右の銘が孔子の'知之者不如好之者好之者不如楽之者、それを知っている人はそれが好きな人にはおよばない'であるが,この言葉と共にいつも念頭に置いている言葉が"他人を傷つけて生きるのをやめよう"だ。 そのような点で似ているようだ。

 

-実際に大きく損害をこうむったことがあるならば

今すぐに思い出すのは映画を撮って苦労した仕事だ。 "私が苦労はほどほどにすれば良い"と考えてした仕事なのに、とても苦労したことが結構ある。(笑い)例えば時間に追われてアクションシーンをする場合にはとても危険だ。 限定された予算でそうでなくても時間も不足したが、もし私が一つ一つ几帳面に問い詰めて撮影するならばさらに遅れるではないか。 このような時は危険を甘受してとる。 そうするうちに映画'マスター'(2016)の撮影時はカーチェイスシーンの途中で長いガラスが首に刺さって穴があいて治療を受けたこともある。

 

 

 

つづく

 

 

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