ホテルの駐車場で二時間、シャレードで二時間、雄太は時間待ちをすることになった。
この夜は柳田の接待が主で、仕事がらみの込み入った話があるらしく、雄太の同席は許されなかった。
柳田は鷹揚に雄太も一緒になどと誘ってくれたが、あらかじめ神山から申し渡されていたので、丁重に辞退した。雄太自身、気詰まりな場所にいるよりも、一人で時間を過ごす方がよほど楽だと思っていた。
クルマで近くのラーメン屋 . . . 本文を読む
冬のうちに、大地を削る作業ははかどっていった。
全長5・5キロメートルの周回走路を持つ楕円形のコースが、しだいにその姿をあらわにし始めていた。
もともと松林や雑木まじりの自然林が広がる丘陵地を、削ったり均したりしながら重機が平準にあわせていく。
その中を、先行する少人数の測量チームが黙々と動き回っている。雄太は、その中の一人で同世代の佐藤に好奇心を抱いていた。
彼はいつも、スタッフ . . . 本文を読む
雄太はランドクルーザーのエンジンをかけた。
箱型の車体がブルブルと震え、運転者の昂ぶりに同調して鉄のマシーンも興奮しているように思えた。
L字型に矯正された背中と脚が、朝の冷気の中でいっそう緊張した。内部から溢れ出る活力を、筋肉の強張りで押しとどめようとしているかのようだった。
雄太はまだ若い。九月末で二十四歳になったばかりである。
地方の高校を卒業して五年余り、一度地元の信用組合 . . . 本文を読む
それぞれの退場
休暇が終われば出勤してくる人間に、課長はなぜ電話をかけてきたのだろう。吉村は、熊本から帰ってきたばかりの疲れた頭で考えていた。
(契約のことで、また不備でも探し出したのか)
それとも、辞めさせることができなかったので他局へ放り出す算段でもしているのか。
蒲団にくるまっても真意が分からないために苛立ちを感じていた。
となりの部屋では、久美と乳児が休んでいる。何 . . . 本文を読む
密息
その日仕事から戻ると、課長から局長室へ出頭するよう申し渡された。
「すぐにですか」と問い返すと、事務処理を済ませてからでいいと歯切れの悪い言葉が付け加えられた。
何事だろう。頭が高速回転をしている。集金カードの集計が覚束なくなるほど気になった。
(こんなときこそ密息だ・・・・)
いつか雑誌で読んだ気功の記事が頭に浮かんだ。
もともとは高僧が修行のなかで会得した呼吸法 . . . 本文を読む
流砂のごとく
急いで事務室に戻ると、内務の総務主任が慌てたように立ち上がった。返還しておいた集金カードをめぐって何かの動きがあったらしい。
「吉村さん、遅いですよ」
「おお、こっちだって気になってるさ。だけど課長が放してくれないんで仕方がないんスよ」
言いながら壁の掛時計に目をやると、二時五十五分を指していた。吉村は思わずヒェ―ッと奇声を上げた。いままさに客の要請してきたタイム . . . 本文を読む
視線のゆくえ
夏の日差しが顕著となった休みの一日、吉村は久美と連れ立って近くの水天宮にお参りにいった。
ふたりの住むマンションからはゆっくり歩いても二十分ほどの距離だから、その程度の運動はむしろ久美にとって望ましいものだった。
梅雨明け宣言のあと、ぐずついた天候が戻ってきて気象庁が慌てる一幕もあったが、この日は朝から夏到来に太鼓判を押してもいい気温の上昇が見られて、部屋の中に . . . 本文を読む
新世界より
腰を痛めて集配課から貯金課に移った間宮が、久しぶりに演奏会のチケットを送ってきた。
今回のプログラムには、ドボルザークの『新世界より』が入っていた。他の楽曲も含めて三つのパートで構成されていた。
アマチュア・バイオリニストの彼は、休日や勤務終了後の時間を使って練習に励んでいるらしく、郵便局の同僚とはあまり交流する時間がないようであった。
酒は嫌いではないので、仕 . . . 本文を読む
天草薫風
吉村と久美の新家庭がスタートして半年、こんどは八代の兄が嫁取りを考え出したとの連絡が母からの手紙に記されていた。
相手は地元のスナックで働く二十八歳の女性とのことだった。
兄が米屋の会合の流れで立ち寄った際、カウンターの奥でママを手伝う控え目な女の様子に心を引かれたらしい。
「本人がいうには天草生まれの家庭的なオナゴで、浮いた話など何もないんじゃと。ばってん、よかオ . . . 本文を読む
カウベルの響く町
唐崎の後について会社訪問を繰り返す中で、中堅の旅行代理店との商談が有望になりつつあった。
そうした進行の途中、経理畑の役員との懇談の際、近ごろの若者の旅行事情が話題になったことがあった。
「まあ、短期のレジャーではハワイ、グアム、韓国、台湾といった近場が主流ですが、このごろは新婚旅行も含めてタヒチ、モルディブ、バリ島あたりが人気になってますねえ」
「いやいや、 . . . 本文を読む
かわたれどき
十二月半ばに転勤の辞令が出た。
翌日から皇居をはさんで反対側の郵便局へ出勤することになった。通勤時間は以前より短くなった。
職種が変わった際の規定に従い、二週間ほど局内での職場研修が行なわれることになった。課長が講師になって、保険業務の基礎的な知識を教えられた。
その間に、送別会と歓迎会が相次いで催された。
片や居酒屋チェーン店、他方も寿司屋の二階と似たり寄 . . . 本文を読む
瓢箪から駒
秋の将棋大会で保険課の蜂谷を破ったことが、吉村の予想もしない評判を呼んでいた。
同じ屋根の下に居ながら、自分の所属する課以外の職員に妙な対抗意識を持っている者が少なくないことを、つくづく感じさせられる顛末でもあった。
「あいつ今年も優勝できると思ってそっくり返っていたけど、おまえに負けてへこんでたぞ」
吉村を讃えるというより、蜂谷をくさすことに熱中しているのだ。
. . . 本文を読む
指運
郵便局の公社化を睨んで、集配課への締め付けも更に厳しくなってきていた。民間企業を見学した足での業務研修や、デパート地下売り場での体験実習など、組織の活性化とサービス向上を念頭においてのスケジュールが頻繁に組まれるようになってきた。
流行の自己啓発セミナーにも中堅の職員を参加させ、さらには郵政局のホールに講師を招いて主任クラスの意識改革を図ったりした。
局内では班の編成を . . . 本文を読む
不知火の町
一度はお母さまに会っておきたいという久美の希望で、五月の連休を利用して八代に帰郷することになった。
東京駅を朝の九時前に出て、八代に着いたのは午後五時近かった。
新幹線と特急で熊本へ。在来線に乗り換えて八代まで、ほぼ八時間をかけての長旅は、慣れているはずの吉村の方が音を上げそうになった。
「久美さん、疲れなかった?」
「岡山から先は来たことがないから、楽しかったわ . . . 本文を読む
年賀状狂想曲
富士山に初冠雪があったとのニュースが、朝のテレビ画面に流れていた。
平年より一週間ほど早かったとのことで、吉村の住む高円寺のアパートでも、明け方の寒さは冬近しを思わせるものだった。
一昨年までなら、ウールのシャツ一枚でせんべい布団に横たわり、冬山に備える訓練を課していた時期だが、去年は久美の祖母の他界、自分のバイク事故と続き、今年は早川の滑落死が追い討ちをかける . . . 本文を読む