磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

青葉学園物語 右むけ、左!

2007年04月27日 | 読書日記など
『青葉学園物語 右むけ、左!』
    吉本直士郎・作/村上豊・絵/ポプラ社1978年

ずいぶん昔の作品という感じがしました……。ボクが十代の時の作品ですから、それも仕方がないことでしょうね。




時代なんですね……。

--男は男らしく。女は女らしく。

これは上野千鶴子が世界観をかえてくれたといってもいいでしょう……。

バカげた偏見でしかない……。

子どもは明るく、元気いっぱい!

そんな子どももいれば、障害をもっている子どもたちもいます。

もちろん、障害をもっていても、元気いっぱいの子はいます。

元気な子はそもそも、元気な理由があるように私は思います。

それぞれの場でみんな、がんばっている。そういう人が好きですね。

しかし、特に暴力団や癒着している政治家、企業などのシステム犯罪、そして人を不幸にさせることは除きます。

そんなものは頑張らないでください、お願いします。


この青葉学園物語りはシリーズのようです。

原爆孤児を収容した施設と、物語の中で語られています。下「」引用。

「「この学園は終戦の年の十二月、広島でただひとつの、原爆孤児を収容する施設として設立されました。」-略-先生は本堂の坂をのぼりながら、「設立から八年をへたいまでは、原爆で身よりを失った子どもたちはつぎつぎに巣立っていき、一般家庭の不幸などで、ここに身をよせている子どもたちのほうが多くなりました。」
とつづけた。」

「あとがき」にもこのことが書かれてあります。下「」引用。

「この物語は「広島戦災児育成所」という養護施設が舞台になっています。
 その施設は、のちに「童心園(どうしんえん)」と名前をあらためました。昭和も三十年ごろになると、戦災で身よりを失った子どもたちがあらかた巣立って、一般家庭の事情によってここに身をよせる子どものほうが多くなったからです。
 ここに登場したのは、その、戦災児育成所時代と童心園時代にまたがる時期の子どもたちです。」




慈善活動と思って手品師を迎え入れたら、営業だったという。

子どもが集まってから代金を請求なんて、施設の職員たちが困るのも無理はないと思います……。

子どもたちの期待をこわしたくないので、施設の職員のカンパによって手品はおこなわれました。



青葉学園物語シリーズ 2~5



映画化もされたようです。



シネ・フロント138より






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永井隆全集III

2007年04月27日 | 読書日記など
『永井隆全集III』
     サンパウロ2003年

いとし子よ
ロザリオの鎖
亡びぬものを
新しき朝
村医
乙女峠
・永井隆年譜要旨
 以上が収録されています。



『いとし子よ』という作品では、永井隆は子どもたちに対して書いたものです。

子どもたちは、永井隆さんの子どもさんに対して、
「ばんぞ(ものもらい)の子」とからかったという。

からかう方は気楽なことだけど、からかわられる人は辛いものですね。
古今東西そうであるようです。昨年はワールドカップのジタン選手の頭突きが話題になりましたね。

差別をする人が根本的に悪いのです。このことを忘れてはいけないと思うのですが、暴力として復讐するのは止めたほうがいいと思います。

スポーツマンシップといいながら、暴言(言葉の暴力)を許すのも間違いだと思います。


親子心中もこの当時多かったという。

心の飢え、心の餓死、今の時代も。下「」引用。
「心の飢え--文化の低さ。
心の餓死--野蛮。」

昭和天皇が長崎に行かれた時のことが書かれてありました。下「」引用。

「昭和二十四年五月二十七日。
 天皇陛下は長崎にいらっしゃって、親しく原子野をお巡りになり、市民奉迎場で、市民にありがたい言葉をたまわった。
「市民諸君。本日は長崎市復興の状況を見聞し、また市民の元気な姿に接することができてうれしく思います。長崎市民が受けた犠牲は同情にたえないが、われわれはこれを平和日本建設の礎として、世界の平和と文化のために努力しなければならないと思います」」



『ロザリオの鎖』では、あいさつが「やあ、生きていましか!」であったそうです。
息子さんのことを、孤児予定者と書いておられました。

秋月辰一郎さんとの会話がさわやかです。

『村医』では、一分もかかわらず梅毒と診断した自称名医は、試験に落ちる。
そして、その理由が書かれてありました。下「」引用。

「臨床医学は数学とは違うんだ。診断の答えが出さえすればよいというわけにはゆかぬよ。その名医さんは落第するはずだ。大事なのは診断をつけるまでの考えの進め方なのだ。……人間の体は実は複雑で、しかも巧妙に統一されている。僕たちの簡単な頭で、ずばりと分かるものじゃない。病気のことだって教科書には、はっきり分っているように書いてあるが、あれは初歩の学生に大体の所をおぼさせるためで、実際はそう割り切れる結論が出るものじゃない。たとえば、そのワッセルマン反応にしたって、教科書には簡単に、陽性ながらバイドクと書いてある。ところが実際には陽性でありながらバイドクでない例外もあり、バイドクでありながら陽性に出ない例外もあるんだ。君が分かりませんで通したのが、実に科学的だったんだよ。」


今では三分診療という言葉があり、三分で診療してしまう時代ですね。

アメリカではエイズ検査の間違いがけっこうあるとに書かれてありました。

それで人生をだいなしにした方が幾人もおられるそうです。

中学の先生と東大の先生の違いが書かれてありました。下「」引用。

「大学の先生は何でも知っている博士と思っていましたが……」と登が重々しく言った。
「なあに、君、大ちがいだ。何でも分っているのは、中学校の先生だ。大学は、君、--これらの密林だよ」と吉井さんは言いながら、右の人差し指で、登の目の前の空気を?--の形に切った。」


十字架上でのイエズスは腰布さえなかったと永井隆は書いていました。
何かドラマとして考えると、大きく雰囲気が変わるような気がします。




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018 晴の姿!?

2007年04月27日 | ライト小説
総理がコジキでコジキがソーリィー

二章、首つりの木の下で




018 晴の姿!?


そして、教会で結婚式が開かれる。
先程までは角隠しだったのに、今はウェディング・ドレスである。
バージン・ロードを歩く父と娘。

なんと幸せなのだろう。いつか、こんな日が来ると思っていた。

寂しい気分がするだろうと思っていたけれど、こんなに幸福な気分になれたことはないと、ソーリィーは思う。

そして、神父が祭壇の前に立っていた。

それにしても、相手の男のことを何も知らなかったとソーリィーは思う。

不思議なことがあるものだと思う。

だが、いい! わたしの娘が選んだ相手だ。
間違いなんてあるわけがないと、ソーリィーは思い直す。

指輪の交換である。
男の顔を見ようと思うが、その男の顔はぽっかり穴かあいたようになっているではないか。

どうしたというのだ。娘は悲しんでいないか? 苦しんでいないか? ソーリィーは心配になった。心配でたまらなかった。

娘は膝から崩れおちて倒れ込もうとした。ソーリィーは娘を支えようとした。すると、娘の姿は消えた。ウェディング・ドレスだけが手に残った。

いったい、どうしたというのだ。幸福な気持ちは何処かへ行き、不安にかられるソーリィー。

娘を探さなければ、暗い道を走るソーリィー。街の中を走る。繁華街では、人とぶつかり、こけてしまう。

「バカ野郎!」という罵声が聞こえるが、そんなことより、娘のことが気にかかる。

走る、走る。

息が切れたころに、見上げると、大きな桜の木があった。







閑話休題

原発のことで、

電気会社が信用できないという。

今まで、こんなに反原発や、

脱原発の本があったのに……。


信用できないといって、

また、助成金を欲しがっているという、

そんなことを思っている方も

きっとおられることでしょうね……。










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