磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

死者が語る戦争

2007年04月29日 | 読書日記など
『死者が語る戦争』
    河出書房新社編集部・編/河出書房新社1983年

残酷な写真が掲載されています。気の弱い方などは見られないほうがいいかと思います。実はボクも気の弱い方なのですが……。



戦争も知らずに平和を語るな! という人がいます。

まあ、一理はあると思います。

でも、戦争する人がいなければ、平和は存在するともいいたいです!

話しあいで解決もできへん。暴力主義者にはなりたくないものですね。

暴力で解決しようなんて、卑劣としかいいようがありません。

そして暴力では本当の解決もできないとも思います……。



目次

日中戦争   3
太平洋戦争   13
アウシュビッツ   21
沖縄   29
空襲   39
広島・長崎   45
朝鮮戦争   55
ベトナム戦争   63
アフリカ諸国   71
エルサルバドル   79
ベイルート   87



これが戦争です。

戦争を美化しようという勢力があるそうですが……。

とても美化などできそうにありませんね……。






この写真集も英語の説明文つきです。








目 次





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わが町の歴史長崎

2007年04月29日 | 読書日記など
『わが町の歴史長崎』
     加藤章、外山幹夫(著)/文一総合出版s59年

「原始・古代の長崎」からはじまります。大きな時代のながれを一冊の本にされています。



永崎氏と永崎浦について書かれてあります。下「」引用。

「しかし古代についてもろちん、中世の「深堀文書」その他をみても、深江浦とよばれた証拠はみとめられない。ただ戦国時代末の長崎に深江辰之助という者があ(『長崎年来(ねんらい)記録』)、深江浦出身かとの推定も可能である。しかしかりに深江浦があったとしても、別に永崎浦があったのだから、深江浦を長崎の古名ともいえない。今後の検討にまたねばならない。」

歴史というのも、何かの方程式にのっているものはウソくさいと思います。

この本はそんなことはありません。

歴史に、斬新なみかたをされたのは、松本清張さんでしょうね。


長崎氏という方も出て来ます。下「」引用。

「要するに、長崎小太郎が鎌倉初期の文治初期の文治年間に長崎に来往したというのである。しかも、同時に、戸町藤次・千綿太郎・時津四郎・浦上小太夫ら四十数名の者も下向したとも記している。」

キリシタンとの交流なども書かれてありました。

豊臣秀吉のことも書かれてありました。下「」引用。

「こうして長崎の地は、大村純忠(すみただ)によって、イエズス会に永久に寄進されることとなった。しかし教会領長崎は、このわずか八年後、豊臣秀吉が長崎の直轄領として没収したことによって、あっけなく終止符が打たれた。
 対外貿易港としての長崎に着目したのは、じつは秀吉にはじまったことではなく、すでに室町幕府将軍足利氏、および織田信長もまた注目し、食指を動かしていたらしい。」


長崎原爆のことも書かれてありました。投下機の機長もカトリック教徒であったという……。

観光ブームについても書かれてありました。

観光にも役立ったという長崎がタイトルについたヒット曲。

・昭和23年、「長崎のザボン売り」、歌は小畑実。
・昭和24年、「長崎の鐘」、サトウハチロー作詞・古関裕而作曲・藤山一郎歌。
・昭和25年、「長崎の花売娘」(岡晴夫)

長崎を歌うとヒットするという神話、以来長崎をテーマにした歌は750曲をこえるといわれる。

それにしても多いですね。

長崎はきょうも歌われているでしょう♪

WaWaWaWaWa……♪ (字余り……)










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020 悪夢……

2007年04月29日 | ライト小説
総理がコジキでコジキがソーリィー

二章、首つりの木の下で




020 悪夢……


その向こうには、ぼんやりと、枝からロープをたらし、箱の上にのったシルエットが映っている。

「今、行くからなあー。死ぬんじゃないぞ」
ソーリィーは全速力で駆けた。

そのシルエットは、箱から飛び降りた。

ソーリィーは、飛ぶように、シルエットのところへ行き、抱きしめた。
「死ぬんじゃない、死んではいけないんだ」

ソーリィーはシルエットの人物を抱きしめている。
「死ぬんじゃない。真美、死ぬんじゃない」

ソーリィーは、首にかかったロープをほどく、
「死ぬんじゃない、死んだら、もう二度と息ができなくなるんだ。わかるか、息ができないってことは、死ぬってことなんだ。死ぬってことは、パパといられないってことなんだぞ。真美、わかるか! 真美」

熊谷老人が、ソーリィーの跡を追ってきていた。
「やはり、ここだったか」

階段の頂上で、息を切らしている。
「真美、生きているかあー、生きているって素敵だなあー。夜はこんなに冷たいのに、真美の息はとても温かいじゃないか。生きているって素敵なことだよ、真美」

熊谷老人は、ソーリィーは正気でないことがわかった。

真美とソーリィーが呼んでいるのは、女性ではなく、少年なのである。
「ソーリィー! その人は真美さんじゃない」
悲しい顔をして、熊川老人はソーリィーに忠告した。

「何!」

目をしばたたかせるソーリィー。

「その人は、真美さんじゃない。どこかの知らぬ少年だよ」

「少年? 真美じゃないのか」
「真美さんは死んだ」









閑話休題

死んだら、二度と……。

生き返らない……。

こんな当たり前のことも……。

わかっていないのか、

わかっていないふりなのか?

いじめをする子どもたち、

このことは忘れないでほしい。










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