磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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D055.〔バイオレット・ルーム〕

2005年11月12日 | 【小説】 レインボー...
IV.むらさき色の部屋(虹の世界)

D055.〔バイオレット・ルーム〕





 遠くの方から、
「同じむらさき色でも、色々あるんだ。キリーキリー」

 そう言う声が聞こえた。
 本当に、そうだと思う。何かまわりの色の感じがかわった。

 泣きべそをかいて、
「こんなところに一人でいるなんていやよ」
 と叫ぶと、ユリカは目を両手でおさえて坐りこんでいた。

 そこにキリーキリーと音をたてて、大蜘蛛があらわれた。
 ユリカは恐いながらも、目をそぉーと開けた。

 大蜘蛛は、
「おじょうさん、グリュー、リュウ」
 毒々しく話しかけてきた。

 ユリカは震えていた。
 大蜘蛛の頭にも冠があることに気がついた。

 大蜘蛛はよだれをポタリポタリとたらしながら、
「おじょうさん、グリュー、リュウ。ぼくはバイオレットのあるじさ。もう一つの法律さ。ところで、おじょうさん、おいしそうだねグリュー、リュウ」
 と地底から響く轟きのような声を上げた。

 ユリカは、
「きゃー」
 大きく叫んで両手をあげて逃げ出した。

 キリー、キリーと大蜘蛛は音をたててユリカのあとをおった。

 ユリカは泣きながら「わー、ママ、助けて。ママ、助けて」と一生懸命走った。

 あんなに大きな蜘蛛なら、ユリカなんて一回分の食料でしかないように思えた。

 ヒュルルーと大蜘蛛は後ろから糸を飛ばして来た。

 つかまれば、食べられてしまうとユリカは恐怖でいっぱいだった。

 ですが、大蜘蛛は走るのが遅いので、ユリカとの距離はだんだんひらいていった。

 ユリカは、
「あ、大きな木」
 心の中で、うれしくなって言った。

 そのとき、ユリカはいい考えがうかんだ。
「そうだ、あそこに隠れよう」

 木のかげに隠れ祈る。
「ママ、どうか、大蜘蛛が、気がつかないで通りすぎますように……」
 大蜘蛛はじょじょにユリカのいるほうに近づいてきた。

 ユリカは、
「ママ、助けて」
 手を組んで、目をつぶって祈った。

 ユリカの肩をだれかが、ちょこんちょこんとさわった。
 ユリカは「きゃー」と叫んで飛び上がった。



閑話休題

あっ、絵の話をかきましたが、
自分の絵をのせているのを忘れてました。(-_-;)

教えてくれた人はすごかったんです。m(_ _)m

紫色のイメージは、上品というものもありますけど、
ワイルドいうイメージもありますね。

冠位十二階の色の最高位は紫色ですね。
お坊さんの袈裟の色も、
この色にあわせている宗門もあるそうです。
これに似せたカルト教団もありましたね……。






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[レインボー・ループ]もくじ







凍結した1945年広島 --私の一里塚--

2005年11月12日 | 短編など
凍結した1945年広島 --私の一里塚--

広島の原爆、長崎の原爆というものを知ったのは
おそらく小学校のころだろうと思います。

私は中学の修学旅行に行ったとき広島を訪れたのです。
私は修学旅行前、扁桃腺をはらし熱をだしやっとなおったころ、
すぐ修学旅行だったのです。

私のからだは少し弱っていました。
ナップのなかには薬が入っていました。
岡山まで私たち一行は新幹線で行く日程でした。
新幹線の車中、私は友達とトランプをしたりしました。

すると、キュキュとお腹が痛くなりました。
私は薬を飲んだ。でも、途中からトランプをする気力もなくなって、
ぼんやりと流れる景色を見ていました。

唇は少し白くなり、目はトロンとしていました。
私は気分的にいやになりました。
もし、このまま悪い状態なになったら、
このままどうして帰るのだろう。

どこの病院に入るのだろう。
そんなことを考えていると、元気を出さなければ
大変なことになろうと思い、から元気を出して、
仲間のトランプに戻りました。

そして昼過ぎ広島に着いたのです。
私はつかれていました。食欲もあまりありませんでした。
横川の駅につきバスへ搭乗しました。

私がツバをごくりと飲んではやるせない気持になりました。
そんな私が広島の平和公園につきました。

そして記念館についたそのときの天気はよかったですが、
そんな具合でしたから、必要以上に感じてしまったのか、
私の心の中には広島、そして原爆というものが凍りつきました。

私の心の中の広島、そして原爆というものが凍りつきました。

私の心のなかの広島、原爆というものは、小学校のころ知ったと思います。
担任の先生の話、教壇の教卓の上に先生の手によって掲げられた写真。
そのなかにのみあったのです。

それが今、私の心を凍りづけたのです。
広島の記念館のなかには1945年広島が凍結しているのです。

あの中の瓶、爪、皮膚、すべて、きっと1945年から凍結しているだろう。
「どうしてだ、どうしてだ」
「助けてくれ、助けてくれ」
「僕が何をした」
「私はどうなるんだ」
そう言っている。彼らの心は凍結しています。

そして、このことと対決していこうと、
それをLIFEWORKにしようと考えたら、
気分がよくなりした。

僕は生きているのです。
きっと何かができるのです、
そう思ったら、元気が出てきました。


【本人評】この文章はざっと書きました。今みても間違っている箇所があって直しました。
作品というのは、よく考えたから素晴らしいとは限らないみたいですし、よくわかりません。

話は変わりますが、
宮沢賢治のあの名作、「雨にも負けず」は詩集にはのらず、手帳に書いてあったのですから。
宮沢賢治は、あの文章を見ながら仕事に励んでいたのでしょう。
教条主義とはまったく違います。素晴らしい方です。



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--平和のために--

1億人の著作権

2005年11月12日 | 読書日記など
『一億人の著作権』
      富樫康明・著/株式会社日本地域社会研究所2005年

横に書かれている文字で、
「ケータイネット時代すべての人に関係する」と
いうのと、「知らないと大変!」という文面に
ひかれて読んでしまいました。




難しいですね。
この本をスキャンしたのも、
訴えられたらダメなのでしょうか?
という疑問も残りました。

訴えられたら、すぐひっこめるつもりではおります。m(_ _)m

しかし、引用という考えもできるのでしょうか?
はっきりしたことは僕にはわかりません。
けれどビジネスのマイナスはしていないつもりです。

ファンのHPにも著作権の許可をとっていないものが
けっこうあります。公式と名乗っておられないところは、
ほとんどが黙認という形だと何かで読んだこともあります。

ぼくはそれを聞いて、その方式で載せているのもあります。
つまり、ビジネスのマイナスはしないという方針です。

本についても、内容をスキャンしたり、
売りになっている部分ではなく、
導入部分などにしております。

ザ・ムッシュについては、復刻版が出てほしいので、
ファンの方がおられたら、思い出していただきたく、
強引に掲載しております。
しかし、これもビジネスのマイナスにはならないと
いう原則でやってはおります。

藤村屋さんなどにはお許しをもらっております。

この本では、著作者人格権ということが何度か出てきました。
著作権を買ったとしても、すべて自由にできるというわけではないと
いうことが理解できました。

また、ラジオ放送も感想や出演者のコメント、概要はいいけれど、
シナリオのように詳しく掲載すれば、著作権違反になるそうです。



この本とは関係ありせんが、
気になるニュースもあります。
アラシと単純に僕は書いていますが、
悪化しているようですね。
ブログで自滅する人々(第1回)というのは気になりますね。

長続きしたいです。

[インターネット関連]