ノストラダムス予言書解説.22(メシアの法)

今日は、ノストラダムスの予言詩の中から、有名な“メシアの法”の詩を紹介します。

「諸世紀」第5巻53番
太陽の法と金星の法が競いあう
予言の精神を我がものとしながら
双方たがいに耳を傾けないが
偉大なメシアの法は太陽によって保たれるだろう

一行目の“太陽”は、言うまでもなく日本のことです。
そして“金星”は、おそらくユダヤ・ネットワークのことです。

したがって“金星の法”とは、ユダヤの教えや思想のことで、“太陽の法”は、日本に新しく生まれる教えのことです。

つまり、全体的には、日本が“メシアの法”を守るという、ありがたい詩だということです。

ちなみに、この詩は、私の本「スピリチュアル」のP.124にも取り上げていて、見当はずれの解釈をしています。(^^;
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ノストラダムス予言書解説.21

ノストラダムスの予言書の解釈が、一つ、まとまりましたので紹介します。

1998年10月25日出版
五島 勉著、「ノストラダムスの大予言・最終解答編」
P.180より

「諸世紀」第9巻44番
離れよ離れよ、すべてのジュネーブから離れよ
黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう
光の反対のものが、すべてを根絶やしにする
再臨の前に、天が兆しを現わすだろう

一行目の“ジュネーブ”とは、金融や経済の象徴です。

二行目の“黄金のサチュルヌ(鉛)”は価値の高いもの、“鉄”は価値の低いものを表します。

三行目の“光の反対のもの”とは、この世の富を追い求める人々のことで、
結局そういう人たちが、彼らの“よりどころ”となる、経済システムを崩壊させるということです。

したがって、全体を通しての解釈は次のようになります。

『救世主の存在が人々に知られるようになる前に、世界経済が崩壊する。
そして彼が登場した後、何らかの天の兆しが見られる。』
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

3月20日?(続々)

3月20日に、地震は起こりませんでした。
日付の符合に気づいたら、そのとおりに、ならないですね。

ところで私は、正直、今の世の中には“うんざり”しています。
日本の政治も、テレビ番組も、ここ数年、同じことの繰り返しです。
まるで、延々と再放送を見せられている気分です。

それと、霊、すなわち人間を理解している人が少なすぎます。

このことは、飯田史彦さんの「生きがいの創造Ⅱ」にも書かれてあります。
http://jns.ixla.jp/users/ryuji58517/siba_003.htm
より抜粋、(上のページの終わりの部分にあります。)

『お前の本を手に取るものが100万人いても、そのうち99万9900人の者は、お前の考えの表面や、一部しか理解できないだろう。
お前の考えを真に理解する者は、100万人のうち100人ほどにすぎない。』

まあ、そんなところだと思います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「霊との対話」-天国と地獄-

今回は、アラン・カルデック著、「霊との対話」-天国と地獄-の解説をしたいと思います。
詳細はこちら←

この本は、亡くなった方を招霊し、その霊から話を聴くという内容です。

私はこれまで、スピリチュアル関係の本を数多く読み、私なりに死後や霊についてイメージを描いてきました。
だから、この本を読んだとき、その答え合わせをしているという印象だったのです。

そこで、その「霊との対話」の目次を掲載したいと思います。
(長いので、こちらを見てください。↓)
http://blog.goo.ne.jp/ryuji58517/e/8659a61218ed3809499f34f24587ccd9
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「人を動かす」より

今回は、1982年、私が23歳のときに読んだ、デール・カーネギー著、「人を動かす」という本の一部を紹介したいと思います。

この本は、かなり古い自己啓発書ですが、今でも売れ続けているようです。
しかし正直言って私は、それほど良い本だとは思いませんでした。

ただ、その中で一箇所だけ、読んだ当時から、とても印象に残っているところがありましたので、それを紹介します。

『ディズレリーというイギリスの政治家の、妻とのエピソードです。』
(例によって、別にupしました。↓)
http://jns.ixla.jp/users/ryuji58517/siba_005.htm

こういうのを霊的なつながり、いわゆるソウルメイトと言うのでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「ツインソウル」

今回は、飯田史彦さんの著書「ツインソウル」の解説をしたいと思います。

この本は、「飯田さん本人が臨死状態のときに体験した出来事を記述したもので、」
基本的には大変よい本です。ただ、問題の多い本でもあります。

というのは、私の印象では、6割が正しく4割が間違いだからです。
そこで、間違いだと思われる部分を指摘したいと思います。

① “究極の光”は“神”そのものではない。
本の中で、“究極の光”と飯田さんが対話をするところがあります。
飯田さんは、その“究極の光”を“神”そのものと考えているようですが、そうではありません。“究極の光”は、高級霊の一人です。

② “ツインソウル”は、一つの魂が分かれたものではない。
飯田さんは、“ツインソウル”を一つの魂が分かれたものと定義づけています。しかし、それは違います。
“ツインソウル”を定義し直すとすれば次のようになります。
「転生において、夫婦であることが圧倒的に多かった魂。」そして、もちろん別々の魂です。

③ 残存思念?
飯田さんは、「幽霊など存在しない。よくある幽霊騒動は“残存思念”によるものだ。」と主張しています。しかし、“残存思念”など持ち出す必要はありません。

④ 飯田さんは“イエス”の生まれ変わりではありません。
本文中(P.155)に、飯田さんが“イエス”(or仏陀)の生まれ変わりだと告げる場面があり、私はビックリしてしまいました。
もちろん飯田さんは“イエス”ではありません。“イエス”は、それほど安くありません。

⑤ 第三章は読む価値がありません。
第三章に、宗教についての飯田さんの意見を述べていますが、これは読む価値はありません。
私には、飯田さんの、「スピリチュアリズムへの理解の浅さを告白している文章、」としか思えませんでした。

こうして批判ばかりを書いてきましたが、誤解しないでほしいのは、この「ツインソウル」は、基本的には大変よい本だということです。
特に“究極の光”との対話は、感動的です。

付記:
ということで、「ツインソウル」の中から、「極限までまぶしい光との対話」の一部(私が一番感動した部分)をupしました。↓
http://www2.kct.ne.jp/~ryuji58/iida1_001.htm
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

伴星ネメシス

今日は、私が最近読んだ、エハン・デラヴィ著、「フォトンベルトの真実と暗黒星ネメシス」という本の解説をしたいと思います。
詳細はこちら

この本を読んだ印象ですが、「久しぶりに胸のすく仮説に出会った。」といった感じです。

さて、この本の中で著者は、「太陽は連星であり、太陽よりも小さく、光も弱い弟星(褐色矮星ネメシス)を伴っている。」と主張しています。
(太陽より小さいといっても、木星の数十倍の大きさだと考えられています。)

そして、現在の地球温暖化の主な原因が、この伴星ネメシスの接近による太陽活動の活発化にあるとしています。

さらには、そのネメシスが太陽に最接近するのは、2012年12月21日だと主張しているのです。

ところで、これらを読んで思い浮かぶのは、“マヤの予言”との関連です。
すなわち私は、「あの謎に満ちた、マヤ暦の長期暦(約5125年)は、太陽と、その伴星ネメシスの公転周期を表しているのではないか、」と考えているのです。

それから、この本の最終章には、2012年に、眠っていたDNAが覚醒するという風なことが書かれてあるのですが、
これには、ついて行けませんでした。

付記:
タイトルに“フォトンベルトの真実”とありますが、著者は、フォトンベルトの存在を完全に否定しています。
それと、この本では、私の嫌いな“太陽=核融合”説を拒絶しています。

これらのことにも、私は好感を持ちました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飯田史彦さんの著書

飯田史彦さんは、福島大学の経営学科の教授をされています。
多くの著書がありますが、私は、以下の4冊を推薦します。

①「生きがいの創造」 (1996年7月)
②「生きがいの本質」 (1999年3月)
③「生きがいの創造Ⅱ」(2005年4月)
④「ツインソウル」 (2006年4月)

上の4冊を順番どおりに読めば、霊についての知識は、ひととおり頭に入ります。

さて、一冊目の「生きがいの創造」に、非常に印象に残る箇所があります。
それは次のところです。

P.34より
「あるときに個人的な超常体験に出会ってから、“魂”の存在は具体的な実感として知っていますし、本書も『だいじょうぶだ、勇気を出せ』という“魂”たちの強いすすめにしたがって記しています。」

このことについては、「生きがいの創造Ⅱ」で明かされます。
なんと飯田さんは、いわゆる霊能者だったのです。

付記:
それでは、ここで、飯田史彦著「生きがいの創造Ⅱ」の中から、私が何度も繰り返し読んだ部分を紹介したいと思います。

例によって、長いので別にupしました。↓
http://www2.kct.ne.jp/~ryuji58/iida2_001.htm

ちなみに、この「生きがいの創造Ⅱ」は、飯田さんが大学三年(1983年?)のときに突然、霊能力を授かり、
その後、霊からの通信を関係者に伝える、“魂のメッセンジャー”としての活動を本にしたものです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「ダビデの星からのメッセージ」(続々)

今回は、ニーニョ・デ・ベルダー著、「ダビデの星からのメッセージ」(続々)という本から紹介したいと思います。

この本は、ある主婦に降りてきた、霊からの通信をまとめたものです。
また、(続々)の名称から想像できると思いますが、「ダビデの星からのメッセージ」の三冊目です。

この三冊は、ある意味とても興味深い本です。
というのは、同じ主婦が書いたのに、
一冊目は、物足りないもの、
二冊目は、なかなか良いもの、
そして三冊目は、おかしなものに、なっているからです。

ただ、おかしなものとはいえ、ごく一部に大変参考になる内容もあります。
今日は、それを紹介したいと思います。
(長いので別にupしました。)↓
http://jns.ixla.jp/users/ryuji58517/siba_002.htm
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大浄化の日

今回は、私が1993年に読んだ、「ダビデの星からのメッセージ(続)」という本の中から紹介します。
この本は、平成元年頃に、ある主婦に降りてきた霊からの通信をまとめたもので、内容もなかなか良いものです。

ほとんどが訓話ですが、その中で特に、予言に関する記述(具体的なものではありません。)が一番印象に残りました。
そこで、それを紹介したいと思います。

1993年10月30日出版
ニーニョ・デ・ベルダー著、「ダビデの星からのメッセージ(続)」
P.37より

「大浄化の日」
ひたひたと歩み寄る足音がする。人々の笑いさざめく声にかくれて。
聞く耳を持つ者のみ、その音は聞かれる。

人々が予期せぬとき、それは起こる。
まったく何の前ぶれもなしに、、、、、、、、

気づいている者にしか、その危機感はない。
飲み食い、さかり、人々は、そのことを知ろうともしない。

まさに、すでにある天界の縮図が、この地においてなされる。
人々が気づいた時には、もう遅い。

今のうちに笑うがよい。今のうちに食うがよい。
大帝国の滅亡の再現を眼のあたりに見るのだ。

平安そのもの、のように見える帝国も、
息はあえぎ、断末魔の様相を呈してきている。

それでも人々は、なおも気づかない。
どうでもいいことに、うつつを抜かし、滅び去る日を待つ。

天も、神も、怒りはしない。地さえも慈悲深い。
すべて、人の想念の末路ゆえ。

大浄化の日を待つ。
すべては計画の成就のままに、、、、、、、

天が口を開くとき、地はその始まりを見る。
おごれる者が裁かれる日。』

これを読んだ当時は、ピンと来ないところもあったのですが、今読むと不思議なくらいピッタリです。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ