「幸福の科学」の歴史①

※5chの「幸福の科学」スレに昔のことが書かれていました。
https://talk.jp/boards/psy/1710576287

73.2024/03/17 19:28:28
初期の幸福の科学において、「谷口雅春の霊言」は、「高橋信次の霊言」と並ぶ二大コンテンツだった

74.2024/03/17 19:29:56
教義としては
谷口雅春という親亀の背に、高橋信次という子亀が乗り
高橋信次という子亀の背に、大川隆法という孫亀が乗っている

75.2024/03/17 19:37:08
それにしても、どうして幸福の科学は、GLA高橋信次の教義体系をこれほど平然と丸パクリしてるのか?

実のところ、彼らには「教義をパクった」という意識がないのである
なぜかというと、1994年までの幸福の科学は、「GLAの後継教団」を自認していた

「高橋佳子先生は堕落して、信次先生からの通信を受けられなくなった」
「大川隆法主宰先生こそ、高橋信次先生の正統なる後継者なのである」

こういう話になってたから、高橋信次の教義体系をほぼ丸ごと受け継いでいるのは、当然のことと受け止められていた

76.2024/03/17 19:40:14
だが、問題は1994年以後だ

度重なるGLA関係者や生長の家との争い
さらには、GLAや生長の家の熱狂的な信者だった父や兄との骨肉の争いを経て
大川総裁は、高橋信次や谷口雅春が大嫌いになってしまった

このため、兄が死に、父を追放した大川総裁は、満を持して「方便の時代は終わった」と呼ばれる大幅な教義変更を断行した

78.2024/03/17 19:43:19
1994年以降
高橋信次は「仙人」、谷口雅春は「天狗」とされ、大幅に格下げされた

79.2024/03/17 19:46:11
多くの人がアキレて去っていく中、大川総裁に忠誠を誓う熱心な信者たちは高橋信次霊の降格を受け入れた

結果的に大川総裁は、信者に踏み絵を踏ませたと言える
総裁の言うことなら何でも信じる、熱心な信者だけが残った

80.2024/03/17 19:51:41
先行する昭和の教祖たちを持ち上げようが、落とそうが、それは総裁の自由なのだが
問題は、それによって教義体系に大きな矛盾が生じたことだ

なにせ、それまで根本神のような立場にあった二大指導霊が、「高級神霊というのはウソでした。実は、天狗や仙人の霊でした」ということになったのだ

それまでの話と、すさまじい矛盾が生じた
このため、大川総裁は初期の著書の大半を絶版にして、書き直して再出版するハメに追い込まれた

81.2024/03/17 19:53:02
「1994年以前の教義と以後の教義を比較して、矛盾を検証する」という教義マニアが登場したほど、幸福の科学の教義体系は愉快な矛盾のカタマリと化した

82.2024/03/17 20:03:20
この点でも、大川総裁は信者に踏み絵を踏ませたといえる

矛盾を矛盾と感じるような、論理的思考力のある信者を排除して、バカだけを残した(笑) 』


1994年のことは、よく覚えています。
当時「幸福の科学」の会員だった大学の後輩から不安そうな電話があったからです。

そして、その後「幸福の科学(大川隆法)」は本格的におかしくなってゆきました。
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