大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

篤姫、和宮登場の手紙発見 井伊直弼ら藩あて6点 土佐山内家宝物資料館

2008-12-12 10:22:22 | 展示会・イベント
 幕末の動乱期、天璋院(てんしょういん)篤姫(1836~83年)や皇女和宮(1846~77年)が徳川将軍家の正室となることや、それぞれの夫が死去したことなどを記した、幕府から土佐藩あての手紙6点が見つかり、土佐山内家宝物資料館が2日、発表した。差出人は大老の井伊直弼、老中の阿部正弘らNHK大河ドラマ「篤姫」でもおなじみの人物。同館は「短期間に吉凶が相次いだ幕府の慌ただしさがわかる。幕末ファンにはたまらない資料」と評価している。5日から、高知市鷹匠町の同館で公開する。


 手紙はいずれも、幕府の重鎮から各大名らにあてた「老中奉書」と呼ばれる一級の公文書で、縦40センチ、横56センチの上質な紙に書かれている。「篤姫」人気で、来館者から「篤姫や和宮の資料はないか」と問い合わせが相次いだため、同館が約9000点ある老中奉書の中から幕末期のものを調べ直した。


 1857年(安政4年)の手紙では、篤姫が13代将軍家定との婚儀が決まったことについて、阿部正弘が12代藩主だった山内豊資(とよすけ)にあてて「篤君はこれ以降、篤姫君と称するように」とした。59年(安政6年)には、井伊直弼の名前で、将軍が亡くなって篤姫が天璋院と号したことを書いている。


 明治維新まであと2年の66年(慶応2年)、長州征伐中に大坂で14代将軍家茂が死去したことに触れた手紙では「和宮様と天璋院様のご機嫌を伺ってきた。お変わりないので安心しろ」との内容が記されている。ただ、差出人は大坂にいる老中の名前で、「留守居」が代わりに出したとしており、混乱ぶりがうかがえる。


 老中奉書はお祝いやお悔やみに対して返礼した書面が多く、女性が登場することはまれという。渡部淳館長は「山内家は幕府上層部からの文書をほぼ完全に残しており、探し出すことができた。儀礼の世界だが、幕政の混乱が身近に感じられる」と話している。


12/3 読売新聞


よければ下記をクリックしてください。
人気ブログランキングへ
一日一回クリックしてもらえたらうれしいです。