大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

坂本龍馬:妻おりょうの謎多い生涯を舞台化

2007-07-14 01:27:05 | 展示会・イベント
ゆかりの横須賀で11月初演
 ◇川上麻衣子さんが一人芝居
○幕末の風雲児、坂本龍馬の妻おりょうを女優の川上麻衣子さん(41)が演じる一人芝居が、おりょうが後半生を過ごした横須賀で11月に初演される。龍馬と死別後は謎が多いため俗説が語られ、不幸な女性というイメージが強いが、制作者は「龍馬との思い出を胸に、強く幸せに生きた姿を表現したい」と意気込んでいる。○「市史研究横須賀」によると、おりょうは龍馬が暗殺された後、高知や京都、東京を流浪。東京で再会した旧知の商人、西村松兵衛と1875(明治8)年に再婚して横須賀へ。31年後、66歳で死去した。○芝居のタイトルは「横須賀夢幻翔(むげんしょう)」。横須賀の海岸で海を眺めながら、龍馬への思いをつぶやくところから始まる。「寺田屋」での襲撃事件や薩摩への旅行など、龍馬と過ごした回想シーンを挟み、その後の足跡をフィクションを交えて再現する。○明治初期におりょうは、現在も続く横浜市神奈川区の料亭「田中屋」の仲居だったという言い伝えがあり、愛した中国楽器・月琴を客に演奏したという想定のもと、川上さんが舞台で弾き語りを披露する場面も。○龍馬の妻として3年余り、松兵衛とは30年余りだが、信楽(しんぎょう)寺(横須賀市大津町)の墓には「龍馬の妻龍子之墓」と刻まれている。住職の新原千春さんは「龍馬とのよい思い出が語り継がれることが供養になる」。芝居を企画した藤沢市の山口千鶴子さんは「横須賀は咸臨丸出港(1860年)の地。龍馬が夢見た、世界につながる海があったからこそ、長く暮らせたのでは」と話す。○横須賀芸術劇場で11月8~10日に公演。市制100周年を記念した市民主催事業。7月3日から前売り開始。問い合わせは同劇場(046・828・1602)へ。(毎日新聞 6/16)

江戸時代の天皇の葬儀を紹介

2007-07-14 01:26:21 | 展示会・イベント
東山・泉涌寺宝物館で企画展

京都市東山区の真言宗泉涌寺派総本山、御寺 泉涌寺宝物館で、皇室の葬儀の変遷を辿る企画展が開かれている。江戸時代に全ての天皇の葬儀が営まれた泉涌寺で、その皇室の菩提寺の一端を紹介している。
泉涌寺は鎌倉~江戸時代に24人の天皇の葬儀を執り行った。それまでは権門寺院が担ったが、四条天皇が崩御した際、外祖父の九条道家の力により泉涌寺で行われるようになったという。
天皇の葬儀を記録した書面など約30点を展示した。承応3年(1654)の後光明天皇の式次第は以降のモデルにされた。皇室所縁の遺品も並ぶ。9月23日まで(第4月曜は休み)。入山料が要る。(京都新聞6/11)

維新を見ずに散った志士たち

2007-07-14 01:25:27 | 展示会・イベント
期間:開催中~8月5日(日)9:00-17:00 休館日:月曜日と7/25
会場:鹿児島市 黎明館3階企画展示室  入館料:一般300円、高大生190円、小中生120円
●開催にあたって
 幕末維新期、薩摩藩は常に政争の中心に位置し、新しい時代の幕開けに大きく貢献しました。そのため、明治新政府においても多くの薩摩藩出身者が要職に就き、様々な業績を残しています。
 その一方で、政争の中心にあったがために、激動の時代の中で命を落とした志士が数多く存在することも事実です。維新を生き延びた人々に対して、彼等の存在がクローズアップされる機会は多くありません。しかし彼等の生き方と死は、後に続く者達に多くの影響を与え、それは維新の推進力のひとつとなっています。 今回の企画展では、それらの志士たちの中でも誠忠組に名を連ねた人物を中心に取り上げます。西郷・大久保らと志をともにし、新しい日本の姿をそれぞれに描きながらも、道半ばで倒れた人々を収蔵資料の中から紹介します。
【展示構成】は 序章 誠忠組の成立-ペリー来航以来、幕府はその体制の弱体化を露呈し、日本は西欧諸国による植民地化の不安に覆われていました。この状況を憂い、脱藩突出してさえも幕府を突き動かそうとした薩摩藩の若手藩士たちを誠忠組と呼びます。
①有村雄助・次左衛門 ~桜田門外の変~-万延元(1860)年3月3日、江戸城桜田門外で大老井伊直弼が襲撃・暗殺されました。大老の暗殺は幕府の権威を失墜させ、その弱体化に拍車をかけることになりました。この時、直弼の首級を挙げたのが有村次左衛門です。しかし次左衛門は重傷を負い、自害。兄の雄助は襲撃の成功後、直ちに上洛挙兵を図りましたが、伊勢四日市で藩吏に捕らえられ、国許で自害を命ぜられました。
②有馬新七 ~寺田屋騒動~-尊王家として知られた有馬新七は、安政3(1856)年に江戸に上り、西郷らとともに国事に奔走しました。安政の大獄以降、藩に度々上書して、行動を促しますが容れられず、文久2(1862)年、島津久光の上京に乗じて討幕挙兵を企てました。しかし、藩の鎮撫使との間で戦闘となり、伏見寺田屋において闘死しました。
③森山新蔵・新五左衛門 ~寺田屋騒動~-森山新蔵は町方出身の豪商でした。士籍にも列せられ、豊富な資金を誠忠組のために提供していました。文久2(1862)年の島津久光上京に際し、西郷・村田新八とともに有馬新七らの挙兵を止めるべく立ち回りますが、逆にそれに荷担するものと疑われ、国許に送り返されました。子の新五左衛門は寺田屋騒動で自害。その報を聞いた父新蔵もまた山川港で自害しました。
④維新を見ずに散った志士たち-道半ばで倒れた志士たちは誠忠組に名を連ねた人物だけではありません。ここでは誠忠組に名を連ねていない人物も交え、紹介します。
●企画展解説講座(黎明館学芸講座)
日時:7月28日(土)13:30~15:00  会場:黎明館 3階 講座室
演題・講師:「維新を見ずに散った志士たち」 黎明館 学芸専門員 崎山健文氏
黎明館 電話番号 : 099-222-5100  FAX : 099-222-5143

入館者200万人記念「坂本龍馬記念館所蔵品」展

2007-07-14 01:24:34 | 展示会・イベント
期間:開催中~7月20日(金)
平成3年オープン以来、龍馬を中心にこつこつと収集してきた貴重な資料約340点に、分かりやすく解説を付けて一挙公開。
【展示資料】・いろは丸想像図 ・對馬屋銘板 ・薩長同盟表書き(カラーコピー) ・薩長同盟裏書き(複製) ・ピストル2点(模型) ・一弦琴 ・田中良助具足 ・借用証文(複製) ・国沢新九郎画
・龍馬暗殺2日前の手紙(複製) ・望月清平宛龍馬書簡(複製) ・血痕の付いた掛け軸(複製) 
・吉行の刀(真物) ・血痕の付いた屏風(複製) ・慶応3年11月10日・11日林謙三宛龍馬書簡 
・慶応3年6月24日権平宛龍馬書簡 ・新政府綱領八策(複製) ・海援隊約規 ・文久3年6月29日龍馬書簡「日本の洗濯」 ・文久3年5月17日龍馬書簡「エヘンの手紙」 ・慶応3年10月9日権平宛龍馬書簡(家族宛て最後) ・慶応3年4月初旬乙女宛龍馬書簡「かきがら論」(複製) ・慶応3年4月7日乙女宛龍馬書簡(複製) ・元治元年6月28日乙女宛龍馬書簡「ねぶと」(複製) ・亀山焼き
・慶応2年11月20日寺田屋お登勢宛龍馬書簡(複製) ・寺田屋お登勢写真・直寛裏書き ・万国公法 ・慶応3年5月8日三吉慎蔵宛龍馬書簡「遺書」 ・慶応2年秋24日(推定)春猪宛龍馬書簡(写真) ・修行中心得大意(複製) ・汗血千里駒 ・文久3年3月20日乙女宛龍馬書簡「脱藩後最初」(複製) ・慶応元年9月9日乙女・おやべ宛龍馬書簡「お龍の紹介」(複製) ・慶応2年12月4日乙女宛龍馬書簡「新婚旅行」(複製) ・元治元年6月15日姉・妻宛武市瑞山書簡 ・慶応元年閏5月10日妻富宛武市瑞山書簡 ・慶応2年11月溝渕廣之丞宛龍馬書簡「脱藩後の心境」など 
龍馬記念館 〒781-0262 高知市浦戸城山830 TEL 088-841-0001 FAX 088-841-0015

合同特別企画「坂本龍馬・中岡慎太郎」展

2007-07-14 01:23:51 | 展示会・イベント
龍馬記念館・歴史民俗資料館・中岡慎太郎館
期間:7月28日(土)~8月28日(火)
龍馬記念館のみ9月30日(日)まで開催
 暗殺140年!-時代が求めた“命”か-
今年は龍馬と慎太郎が暗殺されて140年になる。これを機に、高知県立歴史民俗資料館と高知県立坂本龍馬記念館、北川村立中岡慎太郎館の3館が合同して「坂本龍馬・中岡慎太郎展」を開催する。
▲高知県立歴史民俗資料館 総合展示「坂本龍馬・中岡慎太郎展」
  龍馬・慎太郎の生涯及び活躍等を概観する内容の展示
  【主な展示】京都国立博物館の龍馬関係資料(国の重要文化財)、
宮内庁所蔵の慎太郎関係資料など
▲高知県立坂本龍馬記念館 「海援隊・陸援隊展」
  海援隊と陸援隊及び龍馬と慎太郎の描いた将来像について展示
  【主な展示】海援隊約規、龍馬・慎太郎書簡など
 ▲北川村立中岡慎太郎館 「土佐勤王党展」
  土佐勤王党及び龍馬と慎太郎の政治思想のルーツについて展示
  【主な展示】慎太郎書簡、武市半平太書簡、野根山二十三士関係資料など

幕末の志士・橋口壮助の鉄扇、四国で発見「伏見周辺から流出」

2007-07-14 01:21:42 | 幕末ニュース
◆四国の愛好家宅で発見 遺品散逸「貴重な資料」
○幕末に薩摩藩が藩内の倒幕派志士を弾圧した「寺田屋事件」で、伏見の寺田屋で斬殺(ざんさつ)された志士の1人、橋口壮助(1841~62)のものとみられる護身具「鉄扇」が見つかった。同事件で犠牲になった志士9人の遺品は散逸しており、専門家は「貴重な発見。志半ばで散った若き志士をしのびたい」としている。 ○鉄扇は長さ約37センチ、幅2~4センチ、重さは約700グラム。相手の刀を受ける護身具として用いられたほか、手首の鍛錬にも使われた。今回、見つかった鉄扇は、銃刀類の研究団体「堺鉄砲研究会」代表の沢田平さんが四国の愛好家宅で見つけて入手した。 ○鉄扇には「橋口壮助」の名前や薩摩藩の刀工の銘があり、木箱に同封されていた墨書には伏見周辺の古美術品屋から流出した記録が記されていた。日本美術刀剣保存協会の京都府支部も鑑定。銘にみられる刀工が当時、実際にいたことが確認できたという。 ○鉄扇には、「皇國臣(皇国の臣)」などの文字が刻まれ、20歳余りで命を落とした若き志士の意気込みがうかがえる。 ○寺田屋事件は1862年4月、尊王攘夷(じょうい)の急進派だった有馬新七や橋口らが、倒幕の挙兵を計画、船宿寺田屋に集結した。当時、藩の実質的指導者だった島津久光は公武合体を進めており、有馬らを説得する使者を派遣、乱闘の末、有馬や橋口ら6人を斬殺、負傷者ら3人が自刃した。遺体は近くの大黒寺(伏見区)に葬られたという。 ○鹿児島県歴史資料センター黎明館によると、寺田屋事件の犠牲者は明治維新後に名誉を回復したが、事件直後は藩命に背いた罪で武士の資格を剥奪されるなど重い処分を受けた。同館は「遺族に遺品すら戻らなかった可能性が高い。志士の遺品は発見例がなく、貴重な資料」としている。(読売新聞 6/18)

河井継之介 銃撃はここ

2007-07-14 01:20:52 | 幕末ニュース
○幕末・明治期の戊辰戦争で、長岡藩の軍事総督だった河井継之助が命を落とすきっかけになった脚に受けた銃の傷―。長らく諸説あったこの銃撃場所について、地元の住民有志が1か所に絞り、近くその地である長岡市新町二丁目の国道352号沿いに、記念の看板を設けることになった。住民らは「河井継之助について学ぶ一助になれば」と話している。○河井継之助は慶応4年(1868)7月25日、長岡城を巡る戦いの最中、左脚に銃弾を受けた。その傷が悪化し、敗走先の福島県只見町で死亡した。○記録などによると、継之助は長岡城下への入り口となる「新町口」(同市新町地区)で、新政府軍に撃たれたとされている。ところが、その銃撃場所を巡っては複数の言い伝えがあり、これまで特定できていなかった。○昨年12月に同市に「河井継之助記念館」が開館し、継之助に再び脚光が当たり始めたことをきっかけに、新町地区の歴史愛好家ら住民有志が協議。○同市西新町一丁目の長福寺に伝わる「陣羽織を着て、寺の参道を出たところで狙撃された」との説の信頼性が高いとの意見で一致し、寺から約100m先の国道352号沿いにある蕎麦屋「石田屋」の壁に看板を設置する事を決めた。○看板の制作費は地元住民の寄付で賄う。文言は「史実、河井継之助が新町口で撃たれた場所が判明」との見出しで始まり、その経緯などを詳しく紹介する。○住民有志の1人で、米穀店「高石商店」社長の高石恒一さんは「場所はほぼ間違いない。継之助について調べている子供たちの勉強に役立つものにしたい」と意気込む。言い伝えが残る長福寺の伊藤良全副住職は「多くの人が苦しんだ戊辰戦争の記憶を伝えるものになれば」と話す。○河井継之助記念館の稲川明雄館長は「場所の特定はできないが、当時、継之助の作戦で家が焼かれた新町住民の複雑な心境を考えると、住民自らが調べ、こうした結論を出すのは評価できる。継之助の苦労を見直そうとする動きと言える」と話している。(朝日新聞5/25)

坂本龍馬:旅好きは先祖の血? 曽祖父の書状、兵庫県の旧家で発見

2007-07-14 01:19:52 | 幕末ニュース
◇土佐から城崎温泉へ何度も
兵庫県豊岡市竹野町の民家の蔵から、幕末の志士・坂本龍馬の曽祖父、直躬(なおみ)の書状が見つかった。直躬が城崎温泉(同市)を訪れた際に、世話になった地元の大庄屋にあてた礼状。龍馬と血縁関係にあり、龍馬研究家の土居晴夫さん(84)は「坂本家は先祖代々、旅好きなことが分かり、貴重な発見」と話している。
 ◇縁者・土居さん「貴重な発見」
 豊岡市文化振興課が6日発表した。古文書を調べている同課職員が今年春、竹野町で大庄屋だった細田家の蔵に保管されていた封書を発見。中に縦18センチ、横50センチの和紙の書状が入っており、土居さんらが調べた。土佐の有力商人で、歌人だった直躬が書いたものは、これまで短冊1通しか確認されていないという。
 書状は細田平四郎あてで、「私義入湯随分相応に仕り候」などと記述。城崎温泉に何度も湯治に訪れ、高知には上質の砥石(といし)があるので細田家に贈ったことなども記されている。署名が「土佐 才谷屋 兼助 直躬」となっており直躬は直海と改称していることから、1770(明和7)年ごろに書かれたらしい。
 書状は、半分に折り曲げた状態の縦書きの半折(はんおり)の手法が使われていることから、同課は「格式があり、学問にも厚かったのでは。字も達筆」。土居さんは「交通網が発達していない時代に、高知からわざわざ城崎まで行くとは、直躬はよほどの旅好き。龍馬に通ずるものがある」と話していた。(毎日新聞6/8)

歴史群像シリーズ

2007-07-14 00:10:01 | 書籍紹介
歴史群像シリーズを皆さん御存じですか?
龍馬会会員でもある作家・坂本犬之介氏が「幕末再考」というタイトルで連載しています。
最新号は素晴らしいですよ。2007年8月号(NO.84)では

「戊辰戦役 関東激闘譜 【不羈独立の武士、かく戦えり!】」
永き泰平の果てに、徳川幕府は瓦解した。しかしその遺臣の中には、武士の本義に目覚めた人々がいた。二百六十余年の呪縛から脱却した“新たな武士”たちは、江戸無血開城の陰に追いやられた戊辰関東の緒戦で、正邪を後世に問う戦いを挑んだのである。江戸開城から北越の激戦が始まるまでの間に、関東で繰り広げられた数々の戦いの顛末を詳述する。

と「幕末の弾痕」としてカラーグラビアで7頁にわたり関東近郊の戊辰戦争戦跡を写真で紹介しています。これは読み応えアリの内容です。是非お求め下さい。970円です。

過去にも
2006年12月号(NO.80)で「天誅組 大和義挙に託した救民の志」
2007年2月号(NO.81)で「伊東甲子太郎 理想主義の陥穽に斃れた未完の志士」
2007年4月号(NO.82)で薩摩藩の江戸騒乱について(タイトルを失念しました)

これからも注目の作家です。

龍馬、原点消ゆ

2007-07-13 23:45:22 | 書籍紹介
著者:前田秀徳 出版社:三五館 2006年12月
A5判 430頁 価格:2,415円(税込)

2006年夏、土佐の墓山が跡形もなく消えた。龍馬が坂本龍馬になった理由が、ここにあった。
龍馬の先祖たちをはじめ、幕末の志士たちが眠る、歴史的貴重な墓山に、突如押し寄せた開発の波。
ここから、著者・前田秀徳の孤独で長い闘いが始まった。
墓の中から見えてきた「龍馬」に関する新事実、「通説」を否定する証拠の数々…。
開発という名の現代史が弄ぶ龍馬の時代の記憶と記録、遂に結実。
唯一の取材者となった著者が放つ渾身のフォト・歴史ノンフィクション。

土佐の記憶―消えゆく墓山に通った経緯とその想い
第1部 龍馬の先祖たちの「想い」(第一の光景・龍馬の祖父、曽祖父が眠る墓所の発掘記録―丹中山;第二の光景・才谷屋歴代墓所の発掘記録―小高坂山;第三の光景・もう一つの幕末、その記録―小高坂山と丹中山に眠っていた幕末の人々)
第2部 龍馬関係七つの真相(お龍、そして「龍馬の生家」の真相;姉・栄の自害説に疑問;龍馬と乙女の生き様を継いだ岡上菊栄;龍馬の青春・日根野道場跡を追う;新説「龍馬脱藩の道」を否定する;あの龍馬の撮影者はだれだ?;諸説を判定する)
第3部 龍馬たちの誇り―史跡ガイド(龍馬の仲間たちの「十色の青き彩」;盟友・中岡慎太郎;武市瑞山(半平太)とそのまわりの人々
ともに奔走した人々
土佐の志士たちの家族の絆)

坂本龍馬の系譜

2007-07-13 23:39:15 | 書籍紹介
著者:土居晴夫  出版社:新人物往来社

発行年月:2006年11月 B6判270頁 価格:2,940円

◆龍馬一族の実像、後世に 甥の孫・土居さん出版 史料収集、脚色排し執筆(読売新聞 11/16)○高知や北海道訪れ史料収集、脚色排し執筆 姉・栄、またいとこの沢辺琢磨… エピソードを紹介○幕末の志士・坂本龍馬の甥(おい)の孫、土居晴夫さん(83)が、龍馬とその一族に関するエピソードなどを収めた「坂本龍馬の系譜」(四六判、270頁)を出版した。坂本家に伝わる口伝や写真、史料などをもとに、脚色を排して執筆。龍馬を取り巻く人々の〈群像〉を、生き生きと描いている。○龍馬が京都・近江屋で暗殺された後、坂本家は龍馬の姉・千鶴の二男で、後に兄・権平の養子になった直寛が継いだ。直寛の孫にあたる土居さんは、高知県や直寛が移り住んだ北海道へ何度も足を運び、史料を収集。これまでに「坂本龍馬とその一族」「坂本直寛・自伝」「図説 坂本龍馬」などを出版している。○来年、没後140年を迎える龍馬の人気は衰えず、多数の伝記や研究書が出ているが、脚色や、家族のことに関する誤認も少なくない。土居さんは「一族の正しい姿を後世に伝えたい」と考え、1992年から昨年にかけて「龍馬研究会」の機関誌に寄せた原稿を手直しし、出版することにした。○龍馬が土佐藩を脱藩する際、姉・栄が刀を渡した責任をとり自殺したとされる話や、龍馬のまたいとこで、仲の良かった同い年の沢辺琢磨が、日本ハリスト正教会の第1号信者になったことなども紹介。姉・乙女が愛用したなぎなたや権平の写真、直寛と子どもらの集合写真(1898年撮影)など、貴重な史料も掲載している。○土居さんは「あえて龍馬を脇役にした。ほかにも多くの素晴らしい先祖がいたことを伝えるのが、子孫としての私の役目」と話している。大手書店で販売中。

◆龍馬研究会の『龍馬研究』に、1992年12月発行の83号から、「龍馬の祖先」7回、「龍馬の家族」14回、「龍馬の一族」49回を連載し、途中休載したこともありましたが、13年間にわたり連載され、2005年11月に完結。

◆第一章、龍馬の祖先-才谷三代/才谷屋三代/郷士坂本家◆第二章、龍馬の家族-龍馬の父母/龍馬の兄と姉/龍馬の妻/龍馬が愛した姪の春猪◆第三章、龍馬の一族-才谷屋坂本家/高松家/高松太郎/沢辺琢磨/坂本直寛 ◆坂本家系譜-その一 坂本家系譜-その二