今日、最も人気の高い維新の志士、坂本龍馬は尊皇の心が深かった。坂本家は代々、国学、神道、和歌を学ぶ伝統、家風があり、その感化を受けた龍馬の精神、行動の根本にあったのは、強い皇国意識、神国思想である。これが分からなければ、龍馬は当世風の民主主義者になってしまう。
和歌を愛し自ら詠んだ龍馬は、宗良(むねなが)親王(後醍醐天皇皇子)が編纂(へんさん)した新葉(しんよう)和歌集を愛誦(あいしょう)した。龍馬は手紙でこう書いている。
「新葉集とて南朝、楠木正成(くすのきまさしげ)公などの頃(ころ)、吉野にて出来し歌の本なり。これがほしくて京都にて色々求め候えども一向手に入らず。かの吉村よりお借り求めされ、おまえ(坂本家の元お手伝い)のだんなさんにおん写させ、おん願いなされ、何とぞ急におこし下さるべく候」
新葉集は南朝の天皇及び南朝に忠誠を尽くした人々の歌集で、志士たちの座右の書となったものである。
龍馬と志士たちが最も尊崇(そんすう)したのは楠木正成である。「月と日のむかしをしのぶ湊川(みなとがわ) 流れて清き菊の下水(したみず)(楠木家紋)」。龍馬の楠公(なんこう)仰慕の歌である。
「この数ならぬ我々なりと、何とぞして今上(きんじょう)様(孝明天皇)の御心を安めたてまつらんとのこと、朝廷というものは国(土佐藩)よりも父母よりも大事にせんならんというはきまりものなり」。この深厚な尊皇の至情の中に龍馬の真の姿がある。
(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)
6/10 産業経済新聞社
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「新葉集とて南朝、楠木正成(くすのきまさしげ)公などの頃(ころ)、吉野にて出来し歌の本なり。これがほしくて京都にて色々求め候えども一向手に入らず。かの吉村よりお借り求めされ、おまえ(坂本家の元お手伝い)のだんなさんにおん写させ、おん願いなされ、何とぞ急におこし下さるべく候」
新葉集は南朝の天皇及び南朝に忠誠を尽くした人々の歌集で、志士たちの座右の書となったものである。
龍馬と志士たちが最も尊崇(そんすう)したのは楠木正成である。「月と日のむかしをしのぶ湊川(みなとがわ) 流れて清き菊の下水(したみず)(楠木家紋)」。龍馬の楠公(なんこう)仰慕の歌である。
「この数ならぬ我々なりと、何とぞして今上(きんじょう)様(孝明天皇)の御心を安めたてまつらんとのこと、朝廷というものは国(土佐藩)よりも父母よりも大事にせんならんというはきまりものなり」。この深厚な尊皇の至情の中に龍馬の真の姿がある。
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