大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

薩土盟約

2010-11-02 00:01:00 | 講座関係
薩土討幕密約
 薩土盟約に先立つ慶応3年5月21日夜、京都御花畑の小松帯刀邸で結ばれたとする薩摩と土佐の武力討幕についての密約。土佐の中岡慎太郎・乾退助、薩摩からは西郷隆盛・吉井幸輔も同席し、席上で乾は土佐の藩論が佐幕に傾くのを嘆き、しかし1ヶ月の猶予があれば土佐の同志を糾合して上洛すると明言、できなければ切腹すると宣言した。中岡は自らが人質となって、違約したときには自分も腹を切ると保証した。西郷らは快哉して、ここに討幕の盟がなったという。

 しかし、これを「薩土討幕密約」とよぶには、薩摩はともかく土佐の代表が中岡と乾というのでは、とても藩同士の盟約とはいえない。また、兵庫開港と長州処分の問題について朝廷で会議が開かれるのは23日からのことであり、薩摩は長州の復権に望みを持っていた。そのときに討幕についての明確な言質を与えるはずもなく、これは武力討幕を掲げる乾らの威勢のいい発言を喜んだという程度のものだったにちがいない。


薩土盟約
 慶応3年6月22日、京都三本木の料亭吉田屋で結ばれた薩摩藩と土佐藩の王政復古についての条約。薩摩からは小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通、土佐からは後藤象二郎・福岡孝弟・寺村左膳・真辺栄三郎が出席し、龍馬と中岡慎太郎が陪席した。

約定之大綱
一、国体を匡正し万世万国に亙りて不恥、是れ第一議。
一、王政復古は論なし。宜しく宇内の形勢を察し参酌協正すべし。
一、国に二帝なく家に二主なし。政刑一君に帰すべし。
一、将軍職に居て政柄を執る、是天地間有るべからざるの理也。宜しく侯列に帰し翼戴を主とすべし。
右方今之急務にして天地間常有の大条理也。心力を協一にして斃て後已ん。何ぞ成敗利鈍を顧るの暇あらんや。
皇慶応丁卯六月

 以上を「主旨」として、以下七ヶ条にわたって王政復古の内容を定めている。第一条で朝廷の全権掌握と議事堂の設立、二条は設立資金、三条は上下二院の開設と選挙、四条は大政奉還、五条は対外条約の新締結、六条は朝廷の改革、七条は議員の倫理綱領を記している。この盟約は主旨全体を第一条とし、これに七ヶ条を加えた八ヶ条の条約として、3日後に結ばれる薩土芸三藩約定書に引き継がれた。


薩土芸三藩約定書
 慶応3年6月25日に結ばれた薩摩・土佐・芸州三藩による王政復古に対する8ヶ条の条約。第二条以降は薩土盟約の「主旨」を除く部分とほぼ同文になっている。第一条は次のとおり。

 方今皇国の急務、国体制度を糺正し、万国に臨で不耻、其要王政復古、宇内の形勢を参酌して、下後世に至て猶其遺憾なきとの大条理を以て処せしむ。国に二王なく家に二主なし。政刑一君に帰す。是れ大条理なり。今封建の体となり、大政遂に幕府に帰し、上皇帝あるを知らず。是を地球上に考ふるに、其国体制度、如此者あるを知らず。然則制度一新、政権朝廷に帰し、諸侯会議、人民共和、然後庶幾は以て万国に臨で不恥。是を以て初て我皇国特立する者と云ふべし。若二三の者事件を執り喋々曲直を論じ、朝幕諸侯、倶に相弁難し、枝葉に馳せ、小条理に止り、却て皇国の大基本を失す。豈に本志ならんや。爾後熱心公平、所見万国に存すべし。此大条理を以て此大基本を建つ。今日堂々諸侯の責のみ。成否顧る所にあらず。斃て後止まん。今般更始一新、皇国の興復を謀り、奸謀を除き、明良を挙げ、治平を天下に求め万民の為に寛仁明恕之政を為さんと慾し、其法則を定むる事左の如し。

 そして8ヶ条の末尾は「右約定せる決議之盟約は方今の急務、天下の大事之に如く者なし。故に一旦盟約決議の上は何ぞ其事の成敗利鈍を顧みんや。唯一心協心、永く貫徹せん事を要す」と結ばれている。

 6月22日の薩土盟約締結に同席した福岡孝弟は、田中幸輔と相談のうえ三藩約定書として芸州代表の辻将曹に提示し、若干の修正ののち、薩摩藩もこれを認めた。

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