大阪龍馬会

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淡路・塩尾港近く 明治末期建立石像と碑 市など対応に苦慮

2008-03-19 09:54:00 | 幕末ニュース
 淡路市の塩尾港改修に尽くした高田屋嘉兵衛(1769-1827)をたたえ、明治末期に同港近くに建立されたとみられ、現在は国道28号沿いに移された嘉兵衛の石像と碑の周辺が、無残に荒れ果てている。長い年月を経て誰が管理してきたか不明になり、石像の一部を囲む石垣は崩れて雑草が生い茂り、放置されたままに。地元住民らは気をもむが、市も「市有地ではなく、対応しにくい」と苦慮している。

 塩尾港はかつて水深が浅く大型船が停泊できなかったため、嘉兵衛が工費の約7割を寄付するなどして改修に協力。1831年に完成した。嘉兵衛は完成を見ずに亡くなったが、功績をたたえ、地元住民らが「高田屋港」と呼んでいたこともある。

 嘉兵衛の出身地・洲本市五色町の高田屋顕彰館・歴史文化資料館などによると、感謝した住民らが「港之修築 遺徳百年」などと刻んだ碑(高さ約1・8メートル)や石像(同約2メートル)を建立。だが、これまでに数回移転し、清掃などに携わってきた地区の人も亡くなって、次第に顧みられなくなったようだ。

 石像と碑を囲む石垣は現在、約3メートルにわたって崩壊。一帯にはススキなどが生い茂り、数年前のがけ崩れの影響で周囲の雑木がなぎ倒され、伸びた枝が碑の近くに迫っている。

 そうした現状に、存在を知る住民らは「見るに忍びない」「嘉兵衛さんも泣いているのでは」と嘆く。嘉兵衛の子孫や歴史愛好家らでつくる高田屋嘉兵衛翁顕彰会は「心苦しいが、誰が管理すべきなのかはっきりせず、勝手に手を加えるわけにもいかない」。

 行政に修復を求める声もあるが、淡路市は「費用もかかり、機運が盛り上がらないと動きにくいが、資料を集めて何とかできれば」としている。

(2008年3月19日 読売新聞)