江戸時代の末期、江戸・日本橋の桑名藩邸に住んでいた武士が日々の見聞を記した日記が見つかった。三重県桑名市博物館などの調べで、筆者は同藩の役人を兄に持つ藩士と判明。つじ切りなどが頻発し、外国人が歩き回っていた町の様子から、薩英戦争(一八六三年)などの歴史的事件まで、市井の風聞や生活が生々しくつづられており、幕末の世相が分かる貴重な史料になりそうだ。(桑名通信局・境田未緒)
日記は、表紙に「文久日記」と記された文書で二〇〇三年、東京女学館大の元教授の金子皓彦(てるひこ)さん(65)が東京都内の骨董(こっとう)市で見つけた。「たばこと塩の博物館」(東京都渋谷区)で開催中の「幕末ニッポン」展で初公開中(十四日まで)。
日記からは、鎖国が解け、幕府の威信が低下して社会不安が高まっていく幕末の様子が読み取れる。
町中では、幕府が編成した護衛隊に守られた外国人が歩き回る一方、イギリス公使館が置かれた東禅寺を水戸浪士らが襲う東禅寺事件(一八六一年)が発生。外国人が子どもの生き血を吸うといううわさも流れた。
一方、押し込み強盗やつじ切りが頻発し、浪人が象の見せ物小屋で料金を支払わず刀を抜き、「見せろ」と脅す事件も。「将軍に会いたい」とたばこ屋の亭主が江戸城の奥まで入り込んだという記述もある。
当時、「コロリ」と呼ばれたコレラが大流行し、筆者は毎日、多くの棺おけが日本橋を通り過ぎていくのを目撃。各町で山車を引き出し、邪気払いをする様子なども書かれている。
また、薩英戦争など遠方の事件では、当初「薩摩が英国に勝ったらしい」などと書いてあるなど、情報がかなり錯綜(さくそう)していたこともうかがえる。
東京新聞 1/9
日記は、表紙に「文久日記」と記された文書で二〇〇三年、東京女学館大の元教授の金子皓彦(てるひこ)さん(65)が東京都内の骨董(こっとう)市で見つけた。「たばこと塩の博物館」(東京都渋谷区)で開催中の「幕末ニッポン」展で初公開中(十四日まで)。
日記からは、鎖国が解け、幕府の威信が低下して社会不安が高まっていく幕末の様子が読み取れる。
町中では、幕府が編成した護衛隊に守られた外国人が歩き回る一方、イギリス公使館が置かれた東禅寺を水戸浪士らが襲う東禅寺事件(一八六一年)が発生。外国人が子どもの生き血を吸うといううわさも流れた。
一方、押し込み強盗やつじ切りが頻発し、浪人が象の見せ物小屋で料金を支払わず刀を抜き、「見せろ」と脅す事件も。「将軍に会いたい」とたばこ屋の亭主が江戸城の奥まで入り込んだという記述もある。
当時、「コロリ」と呼ばれたコレラが大流行し、筆者は毎日、多くの棺おけが日本橋を通り過ぎていくのを目撃。各町で山車を引き出し、邪気払いをする様子なども書かれている。
また、薩英戦争など遠方の事件では、当初「薩摩が英国に勝ったらしい」などと書いてあるなど、情報がかなり錯綜(さくそう)していたこともうかがえる。
東京新聞 1/9