スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

品川神社~その2~ 「阿那稲荷神社、清滝弁財天」

2012-09-26 23:00:00 | まち歩き

さて、ここでは品川神社の末社である阿那稲荷神社と清滝弁財天をご紹介したいと思います。品川神社拝殿の右側に鳥居が並びます。

阿那稲荷神社上社

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どちらのお稲荷さまも結構な確立で奥に参道が続き、不思議な別の空間へ行くような感覚になるのは私だけでしょうか?こちらも右側へ参道が続きさらに折れて進めます。右側に小さな祠がありました。

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阿那稲荷神社の下社。中に入ると清滝弁財天もあります。

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左手に阿那稲荷神社があり奥には出口が・・・また奥へ続くのかと思いきや行き止まりでした。

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そして一番気になったのがこちら「一粒萬倍の泉」。

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  品川神社の境内には、”恵みの霊”を祀る阿那稲 荷神社があります。阿那稲荷神社は上社・下社の二 社制をとり、上社には「天の恵みの霊」が、下社に は「地の恵みの霊」が祀られています。 その下社には、「一粒萬倍の泉」と呼ばれる霊水 が湧いています。この霊水でお金や印鑑を洗った り、この水を持ち帰ってお店や家の入口、四隅に注 いだりすると商売繁盛すると言い伝えられています。葵の御紋が刻まれていますね。とりあえず財布の中の小銭を洗ってみました(笑)。


品川神社~その1~

2012-09-26 22:00:00 | まち歩き

社号 品川神社

祭神 天比理乃咩命

配祀 素盞嗚尊、宇賀之売命

立派な鳥居です。ちなみに秋の全国交通安全運動実施中です。

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急な階段です。気を付けて登らないと大変なことになりそうです。

ちなみに交通安全にも気を付けましょう!
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入口左には大黒様がいらっしゃいます。

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階段を上り境内へ。鳥居がいくつもあります。
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舞殿
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拝殿

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狛犬
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末社 阿那稲荷社、御嶽神社、清滝弁財天社、浅間神社、猿田彦神社

御嶽神社

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祖霊社
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例祭日 6月7日に近い金曜~日曜日

住所 品川区北品川3-7-15

備考 元准勅祭社、東京十社、郷社、東海七福神の大黒天

由緒

社伝によれば、後鳥羽天皇の文治3年(1185)に 源頼朝が安房国州崎明神を勧請した。 元応(1319)当国の守護二階堂出羽入道道蘊 が、当社の神威を感じて本社を新たに造立した。 応永年中(1394)当郷の住人鈴木正清入道幸純 が当社を深く崇敬して、永享4年(1429)社殿の 造営を行った。 長禄年中(1457)太田道灌が江戸城に入り、文 明10年(1478)6月に、自ら牛頭天王を勧請し て神事を怠慢なくつづけた。 後北条氏も崇敬し、数度にわたり修理を加えら れた。 天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入 り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地 を賜った。後に南貴船社(荏原神社)と朱印争い をおこし、2石5斗ずつに分けたのである。 寛永14年(1637)に東海寺建立のとき、当社地 の内南の方が御用地となり、代替地1813坪を門 前地として賜った。其の時、東海寺の鬼門にあた る為、同寺鎮守となり、以来本社以下神主宅まで 幕府によって修造され幕末に至った。 現在元禄7年焼失の時、造営奉行戸田能登守忠直 が、社伝等悉く造営した。社前に建てた制札が残されている。(品川区の文化財より)

なお、こちらには板垣退助のお墓があります。神道でお葬式をあげたのでしょうか?
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