スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

「海皇ポセイドン降臨!?」 ちばサンドアート 

2015-09-27 23:50:00 | アート・文化

今日は稲毛海浜公園でサンドアート見て散策してきました。

公園の中央入口から入りまっすぐ進むと三体のサンドアートが飾られていました。

まずは上の画像の右にあった、

千葉市立稲毛高等学校付属中学校美術部の皆さんの作品 。

タイトル「太古の海より」

アンモナイトや三葉虫、そしてっぺんに頭を乗せているのが首長竜でしょうか?

そしてお次が最初の画像の左にあった、

千葉大学教育学部彫刻研究室の皆さんの作品 。

タイトル「冒険」

波にエイ、サメ、ウミガメ、エイが泳いでいます。

そして最初の画像中央の保坂俊彦さんの作品

タイトル「ポセイドン」

ポセイドンとは・・・

オリンポス十二神の一柱で、ゼウス・エナリオス(海のゼウス)と呼ばれるほどポセイドンの地位と実力は高く、その支配力は全物質界に及んだ。ティーターノ マキアーの際にキュクロープスから贈られた 三叉の矛(トリアイナ)を最大の武器とし、 これによって大海と大陸を自在に支配する。 これを使えば容易く嵐や津波を引き起こし、 大陸をも沈ませることができる上に、万物を木端微塵に砕くことができる。世界そのもの を揺さぶる強大な地震を引き起こすことも可能で、そのあまりの凄まじさに、地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではないかと 冥王ハーデースが危惧したほどである。ま た、山脈を真っ二つに引き裂いて河の通り道 を造ったり、山々と大地を深く切り抜いて海 中へと投げて島を造ったこともある。

髪と髭が指などの細部がよくできており、筋肉や腕などはどっしりとした迫力です。

まさに解説どおりの神々しさを感じました。

後ろには「三叉の矛(トリアイナ)」が刻まれています。

サンドアートの展示は今日までだそうです。

稲毛海岸を眺め、帰路に着きました。

9月もあと3日で終わりですね。


「萩のトンネル」 国指定名勝 殿ヶ谷戸庭園

2015-09-24 23:30:21 | 季節の花

ふと、萩の花が見たくなり、どこかあったかな~と考え、殿ヶ谷戸庭園二萩のトンネルがあるの思いだしました。

赤い萩がそこそこ咲いていました。

向島百花園の萩のトンネルに比べるとちょっとスカスカなところがあります。

白い萩

このお花はなんというお花でしょう?

ほととぎす

上を見上げるとご覧の通りの緑。紅葉もきれいなんですよ。

シュウメイギク

すすき

曼珠沙華

竹の小径

やぶらん

以前にご紹介した湧水地点。

紅葉亭

次郎弁天池

小さな鯉がたくさん泳いでいました。

カッコウアザミ

キキョウ

おみなえし

ボケの実

サンザシ

コムラサキ

紅葉亭でお池を眺め、アンフェアを見に向かいました。


映画「アンフェア the end 」

2015-09-23 23:50:06 | 映画

シルバーウィーク最後の今日は映画「アンフェア the end 」を観てきました。

まず感じたのは映画とは関係ない、

「篠原涼子も歳とったな~自分も歳とるわけだ~。」

ということでした。

私には「ダウンタウンのごっつうええ感じ」に出ていた頃のイメージが強くて。

アンフェアはドラマから見ていますが、篠原さんはアンフェアはこれが限界だと感じました。

それから検察の武部さん・・・どうも台詞が棒読みというかなんというか。

レギュラーの加藤雅也演じる「薫ちゃん」が好きなキャラです。

篠原涼子演じる雪平の父親を殺したのは誰だったのか?

佐藤浩市さん演じる一条は分かりにくいキャラでした。

そして急に幅を利かせてきた吉田鋼太郎さん演じる検事総長。

なんかちょっと雑な感じを受けました。

・・・アンフェアなのは誰か?


「久米川の富士」 久米川熊野神社 東村山市

2015-09-22 20:23:35 | 富士塚

富士塚No.76

所在地:東村山市久米川町5-13-1

旧鎌倉街道の役道に鎮座し元弘年間久米川の合戦の時新田義貞後詰を置いた所。明治4年村社に列せられた。明治14年本殿落成の折有栖川熾仁親王の直蹟二軸を賜り毎年祭例にこれを掲げている。(境内掲示より)

熊野神社拝殿

稲荷神社

新明宮

御岳神社

伊勢神宮

久米川の富士

教育委員会掲示版

富士塚の石碑

なんて刻まれているのでしょう?

山頂には大きな木が。

この祠、ふもとにあったのですが、おそらく上の画像の長方形の石台の上にあったと思います。

保存状態があまりよくないようです。


浅間塚 東村山市

2015-09-21 22:30:59 | 富士塚

富士塚No.75

所在地:東京都東村山市本町1-15-1

曼珠沙華が咲いています。

蝶がとまっていました。

西武国分寺線と西武新宿線の線路の間にあります。

東村山指定史跡 浅間塚

江戸時代の末、文化文政の頃(十九世紀後半)から富士信仰が盛んになり、各地に冨士講がつくられ、また富士山を模した富士塚も築かれました。

この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰の浅間神社が祀られており浅間塚と呼ばれています。浅間神社の小祠は西宿(現在の諏訪町一、二丁目あたり)の人々が天保十三年(一八四二)に建てたものです。

現在の形は円形でなく長辺二十七m短編二十四mの長方形をしており、高さは五m程です。

このような方形の塚は武蔵野地域には数多く残されており、多くは江戸時代の塚と考えられていますが、何のために築かれたものなのかははっきりしていません。

この塚も後に浅間神社を祀ったもので、富士信仰のために築かれたものではないようです。

かつては府中海道から参道が続いており、山上からは富士山も良く眺められたものと思います。

平成四年三月 東村山教育委員会

概要には富士塚でないと書かれていますがこちらは浅間神社の祠があります。

という訳でとりあえず富士塚としてご紹介しました。