スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

東京大学大学院理学系研究科附属植物園 小石川植物園 紅葉 その2 2014.11.30

2014-11-30 23:45:55 | 季節の花

精子発見のイチョウを過ぎるととても文京区だと思えないような木々の中を進みます。

イイギリ

大きな木で高いところに赤い実をつけています。

ずいぶんと実っていますが鳥が食べたりしないんでしょうか?

たくさんの落ち葉を踏んで進みます。

ヤマボウシ

丸い葉がきれいに紅葉していますね。

スズカケの木

熊笹とカエデ

ハゼノキの幹からイロハモミジの幹が出ていました。

黄色いのがハゼノキでイロハモミジはまだ緑の葉です。

ここで陽射しが出てきました。

ここから日本庭園へ向かいます。

降り坂になっていますがこちらの植物園は全体的に真ん中で段差があります。

ここが一番端で上段を歩いてきたので今度は下段を歩き折り返します。

日本庭園のカエデ。やはり陽射しがあるときれいですね。 

園内には稲荷神社が二ヶ所あります。

次郎稲荷鳥居

次郎稲荷祠

ちょうど崖下というか地面が段差になっている下にあります。

次郎稲荷の前にあったカエデ。水面にも映りとてもきれいでした。

日本庭園のお池

上の画像の左側のカエデです。水面の反射した陽射しが揺らぎとてもきれいでした。

旧東京医学学校本館(重要文化財)

青空となり水面に景色が映えます。

こちらの楓もきれいです。ちょっと右側の遠くにはサンシャイン60が見え、ここは文京区だと思いだしました・・・。

この辺りから階段を上がると旧養生所の井戸に行けるはずです。

あ~、またお池に映る真っ赤なカエデがきれいですね~。

上の画像のカエデの木の下で上を見上げてみました。

というかこちらから水面を見てもとてもきれいで~。

太郎稲荷

メタセコイア林

こちらもきれいな色をしていますね。

 

メタセコイア林を過ぎると植物園入口へ戻ります。

今度は自由に歩いてみようとまた入口から坂道を登りました。

植物園本館

ハンカチの木が紅葉しています。

ハンカチの花も見たかったです~ってそれは無理が。

いや~しかし、どこぞの山奥みたいですね。

赤ではなく黄色っぽく紅葉しているカエデ。

紅葉のトンネルにももう一度行ったのですが残念ながらまた曇って陽射しが遮られてきてしまいました。

半分曇っていましたが秋の日を満喫できました。 

11月も終わりですね。


東京大学大学院理学系研究科附属植物園 小石川植物園 紅葉 その1 2014.11.30

2014-11-30 20:30:32 | 季節の花

今日は久しぶりに小石川植物園へやって来ました。

以前、訪れた際は春でしたので秋にも来てみたかったんですよね。

いつだったかコンニャクの花が咲いてスゴイ話題になった時にも門までは来てみたのですが、何時間待ちという状態で諦めたこともありました。

今日も意外と混んでますね。券売機に行列が出来ています。大人400円でした。

なんか以前より値上げしているような・・・それに入場券は門前の商店で販売されていたんですよね~。

所在地:東京都文京区白山3-7-1

概要

東京大学大学院理学系研究科附属植物園は、一般には「小石川植物園」の名で呼ばれ親しまれており、植物学の研 究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。 この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、 世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。 約320年前 の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」が この植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立され た直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。 面積は161,588m 2 (48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、 泉水地などの地形を利用して様々な植物が配置されていま す。 この植物園は日本の近代植物学発祥の地でもあり、 現在も自然誌を中心とした植物学の研究・教育の場となっ ており、特に東アジアの植物研究の世界的センターとして 機能しています。 植物園本館には植物標本約70万点(植物 標本は、東京大学総合研究博物館と一体に運営されてお り、全体で約170万点収蔵されています)、植物学関連図書 約2万冊があり、内外からの多くの植物研究者に活用され ています。 園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある 植物や遺構が今も残されており、国の史跡および名勝に指定されています。(同園 HPより抜粋)

入場するとまず右側にあった自転車置き場のイタヤカエデの黄色が鮮やかでした。

左側には大きなイチョウの木があります。その前にあるのはバショウですかね?

コダチダリア

淡い薄紫が可憐ですね。

メンデルの葡萄

遺伝学の基礎を築くいたG. J. Mendel (1822-1884) が実験に用いた葡萄の分株です。

ニュートンのリンゴ

物理学者S. I. Newton (1643-1727)は、リンゴの実が木から落ちるのをみて「万有引力の法則」を発見した逸話は有名です。Newtonの生家にあったリンゴの木は、接ぎ木により各国の科学機関に分譲されていますが、本園の株は、1964年に英国物理学研究所所長サザーランド卿から、日本学士院長 柴田雄次博士に贈られたものです。

ふつうはリンゴの果実はできません。

そして一番見たかった紅葉したカエデ並木へやってきました。

ちょっと曇っていて残念でしたが撮影しまくりました。

画面右側には温室もあるのですが現在は整備中で公開はされていませんでした。

いや~それにしてもまさに燃えるような赤ですね~。

紅葉したカエデのトンネルをゆっくりと撮影しながら進みました。

雨が降って来ましたが少しパラついた程度で済みました。

進んで来た道を振り返ってみました。

草の上に落ちたカエデの葉。

ベンチに座り暖かい缶コーヒーを飲みながらしばし眺めました。 

カエデのトンネルを抜けました。80mくらいですかね?100mはないような気がしたのですが。

小石川御薬園の概要

小石川植物園の敷地は承応元(1652)年に館林藩下屋敷 が設けられたところで、白山御殿と呼ばれ、幼い藩主松平 徳松の居邸であった。 徳松が5代将軍綱吉となって後、 貞享元(1684)年に、現在の南麻布にあった幕府の南薬園が廃止され、白山御殿の敷地の一部が新たに薬園とされ て「小石川御薬園」と呼ばれるようになった。 8代将軍 吉宗の享保6(1721)年に御薬園が御殿地全体に拡張さ れ、面積約4万5千坪のほぼ現在の植物園の形となっ た(地図参照)。 御薬園は御番医師の木下道円が管理し ていたが、芥川小野寺元風と交代した。さらに享保の拡張 にともない、精子発見のイチョウのすぐ西側あたりを境と して、西北側半分を芥川小野寺、東南側半分を岡田利左衛門が管理することとなった。 それぞれの屋敷には御薬種 干場(乾薬場)があり、園内で生産された薬草を干して調 整するために用いられていた。 岡田利左衛門の管理地内 には享保7年12月(新暦1723年1月)に施薬院(養生所)が設けられ、享保20(1735)年には青木昆陽による サツマイモ(甘藷)の試作が行われた。 御薬園は時代と ともに衰退し、幕末の頃には5千百坪にまで縮小した。 しかし、明治維新により「大学病院附属御薬園」として東京府の所轄となるにあたり、ほぼ享保時代の敷地に復活された。(同 HPより抜粋)

精子発見のイチョウ

職員であった平瀬作五郎によって精子が発見されたことで特に有名です。イチョウには雄株・雌株があり、精子が発見された株は、なんと雌株なのです。秋にはギンナンがたくさん実ります。
イチョウの学名のbilobaは、葉の先端が2つに分かれることにちなみます。葉脈は二股の分枝(2叉分枝といいます)を繰り返すのですが、葉の左右の葉脈は柄にある2本がそれぞれの方向に末広がりに広がったものです。

カエデのトンネルを抜けると正面にありました。

小石川養生所で使われた井戸

享保7年(西暦1722)年に設立された小石川養生所で使われた井戸です。大正12年(西暦1923年)の関東大震災の時には、飲料水として役立ちました。

甘藷試作跡

享保20年(西暦1735年)に青木昆陽(通称甘藷先生)が、この地でサツマイモの栽培を試みました。この試作の成功により、サツマイモが全国的に栽培されることになりました。この記念碑は大正10年(西暦1921年)にその功績をたたえて建てられたものです。

その2へ続きます・・・。

 

 


赤坂見附から神宮外苑まで 歴史と紅葉の散策路

2014-11-24 21:53:37 | まち歩き

季節がら神宮外苑の銀杏並木の様子を最初にアップしましたが実は赤坂見附駅から散策しながら辿り着いたのでした。

赤坂見附駅で降りて一ツ木通りへ出るとまず赤坂不動尊の文字が目に入って来ました。

赤坂不動尊威徳寺

所在地:港区赤坂4-1-10

概要

真言宗智山派寺院の威徳寺は、智剣山阿遮院と号します。赤坂不動尊威徳寺は、伝教大師が唐より帰国の途中、暴風雨で船が沈みそうになり海に沈めて祈願した御自作の不動明王が、天安2年(858年)越後出雲崎の漁師が拾い上げ、祀ったことにより創始したと伝えられます。慶長5年(1600年)住僧良台(元和3年1617寂)が赤坂一ツ木へ移転し開山、江戸時代には紀州徳川家の祈願寺となっていた他、御府内八十八ヶ所霊場75番札所となっていました。

赤塚不動作音本堂 

右側にはお不動さまの石仏がありました。

一ツ木通りから円通寺通りへ入るとやや上り坂になりました。

こちらが通りの名の由来であろう円通寺。

所在地:港区赤坂5-2-39

概要

日蓮宗寺院の円通寺は、佛智山と号します。円通寺は、佛壽院日通上人が開山となり寛永2年(1625)創建、元禄8年(1695)類焼により、当地に移転したといいます。

急な坂の三分坂を下ると報土寺があります。

ちなみに三分坂は当時、駕篭などで通る時は運賃が三分増しだったそうです。

土を突き固めて屋根をかけた築地塀(練塀)は230年以上前のものだそうです。この塀の傾き方を見ると坂の角度がよくわかります。

報土寺仏殿

こちらが江戸時代の伝説の力士雷電為右衛門のお墓です。力石がありますね。

氷川神社に向かう前にちょっとだけ遠回りして「南部坂」へやってきました。

江戸時代初期に南部家の中屋敷があったためと書かれてありました。

大石内蔵助は討ち入りの前日に瑶泉院を訪れたといわれ、講談「南部坂雪の別れ」の舞台となったといわれている坂です。年末時代劇とかでよく見るシーンですね。大石内蔵助になったつもりで歩きました(笑)。

赤坂氷川神社

所在地:港区赤坂6-10-12

概要

赤坂氷川神社の創建年代は不詳ながら、古呂故ヵ岡(赤坂小学校台地)に天暦5年(951)創建したといいます。徳川吉宗が将軍に就くにあたり、当社が紀州徳川赤坂屋敷(旧赤坂離宮)の産土神であった縁から、享保14年(1729)当地に遷座、社領200石の御朱印状を拝領したといいます。明治31年古呂故稲荷、地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷を合祀(四合稲荷)、大正14年に、鈴降稲荷神社、縁起稲荷神社二社を、また昭和9年に、明徳稲荷神社を、遷座合祀したといいます。

赤坂氷川神社一之鳥居

赤坂氷川神社二之鳥居

奥に白無垢のお嫁さんが写っていますのがわかるでしょうか?

おめでたいですね~。

下の画像の右側の看板

この社殿は、本殿・幣殿・拝殿の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。
江戸時代の第八代将軍である徳川吉宗によって享保一五年(一七三〇)に建てられました。吉宗は「享保の改革」と呼ばれる倹約政策をとったことで有名で、社殿にも当時の質実簡素な気風を見ることが出来ます。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この社殿の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。しかしただ質素なだけではなく、大きな雲形組物や吹寄せ垂木など軽快な意匠を取り入れる工夫も見られます。また全体は朱塗漆としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっています。(東京都教育委員会掲示より)

赤坂氷川神社拝殿

特段、願い事もないのでさっきの新婚さんが末永く幸せであるようささやかながら祈っておきました。

浅野土佐守邸跡(あさのとさのかみていあと)

 

元禄の頃、この地は備後国三次藩浅野家の下屋敷でした。三次藩は寛永九年(1632)に安芸国広島藩から五万石を分知され立てられた支藩です。初代藩主は安芸国広島藩二代藩主光晟の庶兄因幡守長治で娘には播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室になった阿久里(阿久理、阿久利とも)がいます。

元禄一四年(1701)三月一四日浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央を切り付けた元禄赤穂事件が起きました。長矩は即日切腹を命ぜられ領地没収の上、家は断絶にとなりましたそのため長矩の正室阿久里は出家し瑶泉院と称し、生家である三次浅野家に引き取られました。以後、正徳四年(1714)に死去するまで、ここに幽居しました。この事件が起こった時、藩主が土佐守を称した三次藩主長澄であったことから「浅野家土佐守邸跡」として標識されました。

三次浅野家はその後、四代藩主、五代藩主ともに早逝したため享保三年(1718)、に断絶となり遺領は広島藩へ還付されます。享保一五年(1730)、現在の赤坂四丁目からこの地へ氷川神社が遷宮され今日になっています。

                                  平成二五年三月 建設 東京都教育委員会

 

絵馬殿

門の内外に立つ二対四基の石燈籠です。門内の本殿前に立つ二基は、赤坂表伝馬町・裏伝馬町・元赤坂町(現在の元赤坂一~二丁目)の講中が、享保九年(一七二四)閏四月に奉納したものです。氷川神社が徳川吉宗の産土神として信仰され、現在の地に遷座したのは同十五年であり、それ以前は「古呂故が岡」(現在の赤坂四丁目一辺り)にありました。この燈籠はその時代のもので、遷座に際し移されたものと考えられます。(東京都港区教育委員会掲示より)

あれ~め組じゃないの~ってそれは時代劇か・・・。

御社殿の左側の方にあった境内末社

御社殿右側の鳥居 

山茶花の花が左右に咲いていました。

左側になぜか立派な赤い橋があります。水が流れていました。

四合稲荷神社(しあわせいなりじんじゃ)

正一位 西行稲荷神社鳥居

正一位 西行稲荷神社鳥居

岩に穴が開いていてその中にお稲荷さまの人形、画像中央の木の陰に布袋様の銅像、そして祠が一つあります。

結構な階段を登れば境内です。

そしてこちらの境内は大きな銀杏が何本か植えられているのです。

一度紅葉の時期に来てみたかったんですよね。

以前、東京十社巡りをしていて、その時に訪れた際は夏で蚊に刺されのをよ~く覚えています(苦笑)。

こちらは樹齢400年の銀杏の木です。

陽射しに照らされきれいな黄色ですね~。

赤坂氷川神社を出てふと、思い出して向かったのがこちら。

どこにあったのかすっかり忘れていました。

下の画像の中央やや右側に柱が立ちその下に案内板があることにお気付きでしょうか?

こちらはあの勝海舟の家の跡です。柱には勝海舟邸跡の文字が書かれています。

なんかすごい時代の流れを感じますね~。

勝海舟邸跡をあとにして檜町公園へやって来ました。

こちらは長州藩下屋敷があった場所で、美しい庭園が当時の面影を残しています。

楓がよく紅葉していますね。

大きなあづま屋では大勢の人が景色を眺めたりおしゃべりしたり楽しんでいました。

柳の枝も趣があっていいですね。

水が流れています。奥の楓も綺麗に紅葉しています。

茶色の葉もいいですね~。

紅葉した楓が密集していてとてもきれいでした。

檜町公園からミッドタウンの前を歩き野木神社へ向かいました。

ミッドタウンにも寄りたかったのですが時間がなかったので素通りです。

赤いクリスマスツリーの向こうには白いクリスマスツリ-

乃神社へやってきました。

乃木神社

所在地:港区赤坂8-11-27

概要

乃木神社は、日清戦争や日露戦争で活躍した陸軍大将乃木希典が明治天皇に殉じて自決、明治神宮が鎮座した後の大正12年乃木邸に創建、大正13年に府社に列格したといいます。

乃木神社一之鳥居

境内社赤坂王子稲荷神社鳥居

やはり赤い鳥居が並びます。

赤坂王子稲荷神社祠

乃木神社二之鳥居

あれっ、こちらも結婚式が行われていす。しかも二組。

乃木神社拝殿。

正松神社

旧乃木邸

厩(うまや)

明治二十二年に新築されたものだそうです。煉瓦がいい感じでした。

乃木邸

明治時代の陸軍大将乃木希典が澄んだ家です。

乃木家祖霊社

この小社には、乃木家祖先と御令息との御霊をお祭りしてあるそうです。

このあと神宮外苑まで歩きました。 


明治神宮外苑 「銀杏並木」2014.11.23

2014-11-23 22:17:57 | 季節の花

今日は日中は比較的、暖かったですね。そこで今日もお散歩に出かけました。

まずは赤坂周辺を散策して神宮外苑へやって来ました。

昨年は12月13日に来たらもうほとんどが葉を落としてしまっていて葉が残っているきは確か2~3本くらいしかありませんでした。

今年は少し早かったかなという感じですがまったく葉が無いよりはマシですね。

この辺りはよく紅葉していますね。

歩道には人が大勢いました。

そして周辺のカフェテラスには行列が出来ていました。

私もお茶をしたかったですけど諦めました・・・。

散りはじめている葉もあります。

途中から歩行者天国になっていました。

人混みを除けながら一番端まで辿り着いたので逆から撮影しました。

神宮外苑イチョウ祭りが行わており、いろいろな出店がありました。

ここまで何も食べていなかったので浪江町焼そばをいただくことにしました。

値段が700円から500円に値下げしてますし~(笑)。

あらっ、浪江町焼そばって麺が太いんですね~なんか焼うどんに近いような?

唐辛子ニンニクをかけていただくととても美味しかったです。

今日も出掛けたのが遅かったのでこの辺で帰路につきました。

 


府中市 浅間山公園 浅間神社

2014-11-22 22:44:59 | 富士塚

富士塚No.74

所在地:東京都府中市若松町5

府中の森公園から浅間山公園へやって来ました。

まさにその名のとおり浅間神社が山頂にあります。

うわぁ~結構な石段が続いています。

浅間山公園案内図

多摩の台地が古多摩川や他の河川で削られ、小高い丘として残ったもので堂山、中山、前山の3つの頂があるそうです。

そのうちの堂山に浅間神社があります。祠は富士塚のようになっていました。

府中市教育委員会の掲示板

浅間神社祠

 浅間神社の横に浅間山標高79.6mの看板が立っています。

どおりで一気に登ろうとしたハゲデブオヤジにはキツイ訳です(苦笑)。

しかし祠のまわりにはずいぶんと大きな木が生えていますね~。 

本当はこちらにはムサシノキスゲが咲く5月頃に来てみようかと考えていたのですが近くまで来たので寄ってしまいました。

浅間山公園の中を歩いていたら鳥居と小さな祠がありました。祠の下からはごくわずかですが水が湧いて流れ出していました。

おみたらし

浅間神このところより出現すと傳う

水神社祭神 彌都波能賣神

平成元年十二月吉日建之 人見稲荷神社

この後、武蔵野公園の紅葉も見に行こうと考えていたのですが、だいぶ陽が傾きかけてきたので諦めました…残念。