スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

2012 クリスマスツリー

2012-11-30 20:09:16 | まち歩き

♪クリスマスキャロルが~流れる頃には~

・・・あっ、どうも。街を歩くとクリスマスデコレーションを見かける時期ですね。

そこでクリスマスツリーやイルミネーションなども撮影してみました。

①東京ドームシティホテルのクリスマスツリーです。

「祝 ジャイアンツ日本一」の看板も立っていました。

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こちらのクリスマスツリーは赤が綺麗ですね。お子さんも夢中です。

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②丸ビルのクリスマスツリーです。3階から見下ろすとツリーをバックに記念撮影されている方の多いこと。ちなみに私、どこへ行ってもたいてい声をかけられます。「すみません、撮ってもらっていいですか?」と。なんでこんなあやしいオヤジに声をかけるのか不思議です(苦笑)。

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穏やかな淡いオレンジ色であたたかみを感じます。

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③そして有名な銀座ミキモトのクリスマスツリーです。

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根元にはスノーマンが。そして真珠の輝きが散りばめられている感じでとてもゴージャスです。

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11月も終わりですね。街はクリスマスムードがいっそう漂います。


溶岩石で焼く池袋大人のハンバーグ

2012-11-26 21:19:21 | 食・グルメ

2つの富士塚を歩いて巡り、池袋駅に降り立ちました。歩き疲れ、昼食もまだ食べていなかったので池袋東口で何か食べようとお店を探しました。するとなんとも目立つ旗が見えてきました。「ハンバーグランキング1位」とは…。

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お店には行列が出来ています。「溶岩石で焼く池袋大人のハンバーグ」ですか…まったく聞いたことない私は田舎者です。

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田舎者でも味がわかるか?こちらでランチをいただくことにしました。

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行列の割にはカウンターに着いて少ししたら熱々のハンバーグが出てきました。タレにつけてお召し上がりくださいとのことたでしたので早速、フォークで切ると肉汁が溢れジューシーです~~…あれ?ほぐれてしまう…つなぎのない黒毛和牛100%だからでしょうか?それとも田舎者だからうまく食べられない?なんとかほぐれたお肉をフォークでタレにつけていただきました。さすがは溶岩石で焼いたハンバーグ、熱々です。タレはニンニクが少し効いているようでした。う~む、期待していたよりは…私が田舎者だからでしょう。

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池袋氷川神社(豊島区池袋本町)~池袋富士~

2012-11-25 22:00:00 | 富士塚

富士塚No23

池袋氷川神社の概要

池袋氷川神社は、豊島区池袋本町にある神社 です。池 袋氷川神社の創建年代は不詳ですが、池袋という地名 が永禄二年(西暦1559年)の「小田原衆所領役帳」に 記載されていることから、この頃には村鎮守として創建していたと推定されます。

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一の鳥居 参道を進みます。

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道路を挟んで二の鳥居

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拝殿

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末社

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さて、富士塚は拝殿の左側にありました。

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説明書き

池袋富士塚 富士塚は、さまざまな理由から富士登山がで きない人たちも、これに登れば富士山に登った のと同じ霊験が得られるとして、江戸時代後期 以降、現東京都域および近隣地域に各富士講集 団を単位として築造されたものである。高さ約 五メートル、東西幅約一三メートル、南北幅約 一八メートルを測り、全山がボク石(※ 溶岩石です)で覆われている。登山道は正面部分に電光 形に設けられており、その道筋ははっきり確認できる。 この富士塚は、明治四五年(1911)六月に池袋 月三十七夜元講によって築かれたものである。 塚内に造立された講碑から、歴代先達の名前や 近隣の富士講集団とのつきあいの様子が知られ る。一般に、富士塚の石造物は、頂上に奥宮、 中腹向かって右には小御嶽社をあらわす石祠、 中腹向かって左には烏帽子岩を配置するのを基本としている。池袋富士塚の石造物は、こうし た特徴を備えているほか、経ヶ岳(日蓮ゆかり の霊地)を示す題目碑、合目石、講碑、教祖角行像、一対の天狗像、さらには胎内が配置され ており、充実した石造物群を構成している。 豊島区に残された数少ない富士塚のひとつと して、また池袋本町地区に展開した民間信仰を 考えていくうえでも貴重なことから、平成十年 (1998)六月に東京都豊島区指定史跡となり、保 存がはかられている。

平成十一年三月 東京都豊島区教育委員会

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残念ながら「山に登ってはいけません」の文字が・・・残念。

それよりも目に入ってきたのは中腹にあるこちらの石像は説明書きの教祖角行さん?

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お猿さんお石像があります。

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ちなみに毎年7月1日は山頂まで登ることができるそうです。

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小御嶽神社と一対の天狗像

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山頂の祠

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胎内

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号目石もしっかりとありました。

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毎年7月1日が山開きで登山が可能という富士塚が結構ありますが登ってみたい富士塚の一つでした。


富士浅間神社(豊島区高松)~長崎富士~

2012-11-24 22:00:00 | 富士塚

富士塚No22

富士浅間神社の概要

富士浅間神社は、豊島区高松にある神社 です。富士浅 間神社の創建年代は不詳ですが、富士塚が文久2年 (1862)に築造されたことから江戸末期には創建されて いました。

鳥居

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拝殿

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長崎富士

残念ながら神社も富士塚もフェンスに囲まれていて立ち入ることはできないようです。

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富士塚は、富士山を神の宿る地として信仰する 人々の集まりである富士講によって、江戸時代後 期以降、主として富士登山が困難な人々のため に、江戸とその周辺地域に築かれたものです。 この富士講は、角行を開祖とし、江戸時代中期に は身禄によって広められ、最盛期には、八百八講 と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民 信仰の一つとなりました。 豊島長崎の富士塚 は、文久2年(1862)に富士講の一つである豊島 郡長崎村の月三講(講祖は三平忠兵衛)の椎名町 元講の人々によって築造されました。高さ約 8m、直径20m、表面は富士山の黒ボク石(溶岩) でおおわれています。 塚内には、頂上に大日如来坐像、小御岳石尊大権 現碑、烏帽子岩奉献碑があるほか、合目石、講 碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約 50基の充実した石造物群で構成されています。 浅間神社では、かつてお焚き上げが行われてお り、奉献された数多くの講碑からは長崎村の人々 の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流を うかがい知ることができます。 この富士塚は、東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから、昭和54年5月21日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。その美観と偉容を 永く後世に伝えるため、昭和62年には昭和大修 復が行われ、以後浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。(豊島区教育委員会)

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フェンスの隙間からの撮影です。

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天狗さまが二人いらっしゃいます。初めて富士塚で天狗さまをみました。

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全体

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天狗さまの他にも石仏も何体かあります。

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山頂へややズーム。

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山頂の祠

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東京タワーとクリスマスツリー

2012-11-18 21:21:00 | まち歩き

久しぶりに東京タワーの近くに行ったので下まで行ってみました。

先端の部分は真っ直ぐになったようです。

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第一展望台へズーム。

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第二展望台へズーム。

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東京タワーとクリスマスツリー

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この角度からだとガラス床が見えます。ズーム!!

人が覗き込んでいます。11月18日(日)12時16分の画像です。これは私だという方、もしこのブログを見ることがあったらぜひコメントを~(笑)。

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本当は暗い時間帯の方がイルミネーションが綺麗だったでしょうね。

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