スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

佐倉城址公園・武家屋敷

2017-07-18 23:30:00 | 歴史的建物

ひまわりガーデンから循環バスで京成佐倉駅までやって来ました。

京成佐倉駅から佐倉城址公園まで歩いてみました。

佐倉藩11万石のお城で、佐倉城は日本百名城のに選ばれています。

麻賀多神社を参拝して旧大手門跡から入りました。

三逕亭(お茶室)ではお茶がいただけるようです。

佐倉城天守閣跡

歴代佐倉藩主のうち9人が老中になっており「老中の城」と呼ばれています。

幕末期の城主「堀田正睦公像」

財政難に苦しむ佐倉藩の改革に成功した方だそうです。

姥が池

乳母が若君を池のほとりで遊ばせていた際、あやまって若君をおぼれさせてしまったというお話が伝わる池だそうです。

佐倉城には石垣がなく、空堀や水堀、土塁によって守られています。

空堀

凄い切れ込みでした。

佐倉城址公園から武家屋敷へやって来ました。

旧河原家住宅

旧但馬家住宅

飾られていた鎧。

旧武井家住宅

玄関を入ると白黒の写真が。武井さんでしょうか?

あまり時間が無かったのですが、江戸時代の武士の生活を想像しながら見学しました。

ちょとした小旅行気分を味わえ、とてもよかったです。


東京都青梅市「大悲山塩船観音寺」

2015-05-04 21:00:03 | 歴史的建物

今日は青梅市にある塩船観音寺へつつじを見にやって来ました。

いつも近くを通ったりはするのですが訪れたのは何年かぶりです。

所在地:東京都青梅市塩船194

概要

大化年間(西暦645~650)に若狭国の八百比丘尼が一寸八部の紫金の千手観音をこちらに安置したのが開山と伝えられ、貞権年間(859~877年)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられているそうです。

山門の仁王像。

歴史を感じさせ、とても立派ですね~。

阿弥陀堂(国重要文化財)

大杉

薬師堂

本堂(観音堂)

左が銅鐘で右が鳥居の向こうが七社権現社

さらに右に稲荷社

護摩堂

昨日はおそらくこの辺りで火渡りの行を行っていたはずです。

塩船平和観音

境内の一番奥で高い所から見守っていらっしゃいます。

左手にお持ちの物はなんでしょうね~とっくり?

お次は私が適当に撮影したつつじの画像です。

 


小田原城

2014-04-28 22:03:00 | 歴史的建物

何年ぶりかです、小田原城。

言わずとしれた北条氏の拠点として有名ですね。

晴天にまなびはしの赤が際立ちます。

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長い白い城壁が続きます。

侵入者は隙間から撃たれたり刺されたりするんでしょうね。

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二の丸隅櫓

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またまた赤い橋が見えてきました。

手前に広がるのは菖蒲田でしょうか・

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常盤木門

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まだまだ発掘している場所があるんですね。

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小田原城天守閣

いろいろな鎧、刀、火縄銃、瓦、、日用品等々いろいろな展示品を見てから天守閣へあがりました。

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天守閣からの眺め。三浦半島方面

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見えてはいませんが伊豆大島方面

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石垣山一夜城方面

実際には山の木の陰で密かに城を造り始め、完成したら周りの木を伐採して一夜にして城ができたように見せかけたという話を聞いたことがありますが。

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・・・ふ~。

 

 

 

 


上野東照宮「絢爛豪華な御社殿と唐門」2014.1.11

2014-01-11 23:00:00 | 歴史的建物

寒い日が続きますね。 今日は公開を始めたという上野東照宮の御社殿を見にきました。

前を通ったり近くまで来たりはしましたが一年ぶりに鳥居をくぐります。

(詳しくはこのブログの2013年1月19日をご覧ください。)

大石鳥居

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水舎門

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水舎門を抜け参道へ入りました。見える~御社殿が見えます~ぅ(^O^)。

昨年までは絵を描いたテントの覆われていたのに…ついにその姿をあらわしました。

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なんと神々しい門なんでしょうか?金ピカの扉です。

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唐門

1651年建築。国指定重要文化財。正式名称は唐破風造り四脚門。 総金箔の門で両側上部にある松竹梅と錦鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の技術 を集大成したものとして評価されています。 柱の内外四額面には、日光東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」 の彫刻があり、毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。 偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来して、頭が下を向いているものが昇り龍と呼ばれ ています。

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この黄金の扉の向こうはどうなっているのでしょう?楽しみですね~(^O^)

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そして門の左右にはの昇り龍?降り龍が飾られています。 昇り龍は口を開き、降り龍は口を閉じる、仁王像や狛犬と同じように阿と吽で対になっているのですね。 ご存知のとおり、宇宙の始まりと宇宙の終わりをあらわしています。

昇り龍

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降り龍

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ななめ前、お札授与所前から撮影。

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それでは拝観料500円をお支払いして中へ入りましょう。

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中に入ると石でできた彫刻があります。虎の親子でしょうか?

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透塀

1651年建築。国指定重要文化財。 菱格子の塀で向こうが見えることから「透塀」と呼ばれています。 上下に施された300枚もの彫刻には、上欄には山野の動植物、下欄には海や川の動植物 が、どれも雌雄、陰陽の姿として生き生きと表現されています。

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透塀はそれぞれ彫刻が施されているので一日見ていても飽きないかもしれません。

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大楠

樹齢600年以上の上野の祖木といわれている御神木です。 幹の太さは8m以上で上野公園一です。

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栄養大権現

社殿脇にお祀りしてい ます。 「お狸様」 「夢見狸」 と呼ばれ親 しまれています。 江戸時代に奉献 された大奥で災いをもたらし、その後も安置された大名、旗本諸 家を潰した悪業狸として有名でしたが、大正年間に東照宮に寄贈 されてから災いがなくなったといわれています。 現在は、他を抜 く狸という縁起から強運開祖の受験の神様として信仰されています。毎年多くの受験生の方が合格祈願のお参りをされます。

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透塀の中に入ってみましょう。なんか既に前が輝いている~。

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入ってきた扉にも立派な雀の彫刻が施されていました。

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御社殿を左回りに見て歩きます。裏側はまだ改修のようです。

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それでも本殿裏側は金ピカです。

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金閣寺にも負けないくらいの輝きです。 思わず「すごい!すごい!」と小声で独り言をブツブツいいながら歩き出しました(^_^;)。

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本殿の横の扉。手前にある水鉢にも扉の光が映り込んできます。

ちなみに寒さで薄い氷が張ってました。

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屋根も立派ですね。

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では拝殿の方へ歩いてみましょう。

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拝殿正面

黄金の扉の中、見たいですね。近くにいた人が「昔は中に入れた。」と話していました。

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拝殿正面上

こちらも素晴らしい彫刻が施されています。

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この紋所が目にはいらぬかぁ~!?

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拝殿左から撮影。

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御社殿の左側はまだ改修中なんですかね。ちょっとさみしいです。

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唐門の裏側は御社殿と紛らわしくなるので次の記事でご紹介します。 いや~、それにしても流石は徳川将軍家、素晴らしいの一言でした。


円通寺「旧寛永寺の黒門」

2013-09-26 22:00:00 | 歴史的建物

素盞雄神社から歩き出すと円通寺の前を通りかかりせっかくなのでよって行きました。

所在地:荒川区南千住1-59-11

延暦10年(791)、坂上田村麻呂が開創した と伝える。また、源義家が奥州を鎮定した とき、討ちとった四十八の首を寺域内に埋 めて塚を築いたので、このあたりと小塚原 とよぶようになったという。 江戸時代、下谷の広徳寺、入谷の入谷鬼子 母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよば れた。秩父・坂東・西国霊場の百体の観音 像を安置した観音堂があったことから「百 観音」の通称で親しまれたが、観音堂は安政二年(1855)の大地震で倒壊した。 境内には、石像七重塔、彰義隊士の墓、永仁四年(1296)銘をはじめとする板碑四基 (区指定文化財)などがある。(荒川区教育委員会)

円通寺山門

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お寺さんなのになぜか狛犬があります。

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円通寺本堂

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寺号額は榎本武掦の書だそうです。

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三代将軍家光鷹見の松

家光が鷹狩を行った際に境内に鷹が止まったことから名付けられる。

首塚・七重の塔

八幡太郎義家奥羽征伐して賊首四十八をこの地に埋め 四十八塚(首塚)を築く、これにより、この地が小塚原と 呼ばれる事となった。

首塚の上に建っているのが、この寺の由緒「重興圓通 寺記幵塔銘」が刻んである、七重の石塔である。

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旧寛永寺の黒門    戊辰戦争唯一の記念物

慶応四年(1868)五月十五日上野東台に於て、彰義隊と官軍の激戦が展開された。 その中心地に建っていたのが、黒門である。 明治四十年十月帝室博物館より特に当寺に下賜せ られたものである。

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しかし銃のあとがよく残っています。数年前に訪れた時とまったく変わっていません。

よく保存されています。

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彰義隊士のお墓 

また、慶応四年(1868)五月十五日上野の山内にて戦死した、彰義隊の遺体は「賊軍」がゆえ、戦場に散乱放置したままで在ったのを、当寺二十三世「大禅佛磨大和尚」が、上野の山に出向き、斬首覚悟で供養していた。勿論、官軍に 拘束されるが、幸いにも当寺に埋葬供養を許すという官許をいただけた。 これが、逆に明治時代に唯一「賊軍」の法要が、おおっぴらに出来る寺として、旧幕臣の信仰を集める結果となっ た。 「彰義隊戦死者」は義商「三河屋幸三郎」の助力をえて、現在の西郷銅像の後方にて火葬(現在でも記念碑があるが、 火葬場所で墓では無い) 遺骸266体を当寺に埋葬す。

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