スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

2019 第38回浅草サンバカーニバル

2019-08-31 23:00:00 | お祭

今日は浅草サンバカーニバルを見て来ました。

今日の東京は暑かったです。

今年も昨年と同じ辺りに場所を取りました。

スカイツリーがバックに入ります。

今年も暑い中、適当に撮影した画像を順不同でアップしてみたいと思います。

たくさんのチームが練習の成果を発揮しながらやって来ます。

各チーム、テーマもさまざまです。

帽子の中にウサギが入っています。

こちらは波の中、船が進んできます。 

お菓子をテーマにした団体。

戦隊モノでしょうか?

日本人のダンサーもいましたが、本場の方らしきダンサーもいました。

こちらはアサヒビールイメージガールの鈴木望さん。

お菓子の家の乗り物がやって来ました。

こちらは赤い鳥の乗り物。

今年は待ち時間を合わせ12時30分から18時00分まで、最後の団体まで見ていたら足腰が固まって痛くなってしまいました。

♪夏の終わりの~なんて歌詞の音楽が今年も流れていましたが8月がサンバカーニバルとともに過ぎ去って行きます。


2019 過ぎ行く夏 ~鎌倉から江の島~

2019-08-27 23:00:00 | まち歩き

8月ももうすぐ終わりですね。

波音が聞きたくなりふと、鎌倉から江の島辺りをぶらぶらしてきました。

お昼近くに鎌倉に着いたのでまずは食事をしました。

奮発して若宮大路にある、うなぎの老舗、茅木家さんへ。

うな重(3,240円)ときも吸(216円)

ふっくらと焼き上っていてとても美味しくいただきました。

食事を済ませ鶴岡八幡宮へ詣でました。

階段左のひこばえの銀杏の木があおあおと葉を生い茂らせていました。

鶴岡八幡宮の境内で心を浄化させようと歩いたあとは、おしるこ屋さんのかき氷で身体をクールダウンさせました。 

小町通りと若宮大路を結ぶ路地にある昭和28年創業の老舗甘味処「納言志るこ店」さんです。

宇治金時(700円)を注文しました。

さらさらのかき氷に抹茶がかけられ、下のほうに粒餡が入っています。

おしるこ屋さんの餡だけあって、とても美味しかったです。

それから江の島へ向かいました。

江ノ電鎌倉駅で電車を待っていたら東京2020の車両がホームに入って来ました。

何か江ノ電も関係しているのでしょうか。

江の島あたり、海を眺めながら少し歩いて帰路につきました。


東京都清瀬市「中里富士塚」

2019-08-25 23:00:00 | 富士塚

日枝神社水天宮から歩いて中里富士塚までやってきました。

富士塚No.81

所在地:東京都清瀬市中里4-1132

鳥居の右側には清瀬市による説明板がありました。

清瀬10景 中里富士山

中里富士山は、富士山を信仰する人々の集まりである富士講によって江戸時代文化年間頃築かれたといわれ、高さが約10m、東京都の有形民俗文化財に指定されています。
毎年9月1日には、ここで、東京都指定無形民俗文化財である中里の「火の花祭り」が行われます。
この行事は、講中が富士塚で経文を唱えたあと、円錐形の麦わらの山に火がつけられ、その火にあたり、灰を家に持ち帰って門口にまくと火災除けや魔除けになり、畑にまくと豊作になると伝えられているものです。

清瀬市

清瀬市による説明板の上にあった「火の花祭り」の様子。

その隣には東京都による解説板もあります。

東京都指定有形民俗文化財 中里の富士塚


所在地:清瀬市中里4-1132
指定:昭和60年3月18日
丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれた。文政8年(1825)再築という伝承や、頂上の石祠に同年の銘があることなどから、文化文政年間(1804~1830)の築造と考えられる。明治7年(1874)に2m程かさ上げされ、周囲よりの高さは約9mである。
北側の鳥居を潜ると登山道が九十九折りに続く。途中1合目から9合目までを記した小さな石柱がある。山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑が建つ。この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社を象ったもの。中腹には、富士山五合目に祀られる「小御嶽神社」の碑がある。少し下った先には、富士講が往路に参詣する「高尾山阿闍梨明王」の碑。その中間に、帰路で詣でる「道了大薩埵」の碑が建つ。
富士信仰に関する石造物を具備する一方、今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されている。また全山赤土で、一般の富士塚に見られる溶岩は一切使われていない。舟運に依存できない内陸地域の富士塚の、典型的な様式を示している。なお、講に関する中里丸嘉講関係資料が附として指定されている。初期の富士塚として、また江戸後期に武蔵野に進出した富士講の活動を知る上で重要である。

平成23年3月建設 東京都教育委員会

富士塚麓の右側にはお地蔵様と庚申塔がありました。

富士塚麓の左側には手水舎と碑があります。

それではさっそく登ってみましょう。

溶岩ではなく土を盛った塚で、登山道がつづら折りに山頂へ続きます。

久しぶりに非常に大きな富士塚です。

号目石もあり、五合目には小御嶽神社の碑がありました。

山頂の祠。

山頂から見下ろす登山道。

9mはなかなかの高さですが木々が生い茂っていて遠くは見えませんでした。

暑い中ここまで歩いたのと、蚊が多く飛び交っていたのですぐに撤収しました。


東京都清瀬市「日枝神社水天宮」

2019-08-25 22:00:00 | 富士塚

ひまわりを見終えたあとは清瀬市内の富士塚を巡りながら散策してみました。

まずはネットで調べるとこちらに富士塚があるというので日枝神社水天宮にやってきました。

富士塚No.80

所在地 : 東京都清瀬市中清戸2-616

日枝神社水天宮は、天正7年(1579)中島筑後守信尚が社殿を造営して山王社として創建、江戸時代には上中下清戸村の鎮守社であったといいます。明治時代に入り水天宮の分霊を勧請して境内に奉斎したといいます。

三猿灯篭 

もともとは参道の両側に向かい合って建てられていたそうですが、風化が進み現在は永久保存のため移築されているそうです。

日枝神社

水天宮

水天宮の前の参道は現在、工事中でした。

八雲神社

金毘羅神社

白山社

御霊社

さて、富士塚を探して境内を歩いてみると、本殿向かって左側に塚がありました。

しかしこの塚は境内案内図には「御嶽神社」と記されていました。

25段の石段があります。

登ってみると上には祠が3つありました。

この3つの内の1つが浅間神社なのかと思ったのですがやはり御嶽神社のようです。

上からの見晴らしはこんな感じです。

また麓に戻り、今度は石碑をよく見てみました。

するとそのうちの1つの石碑に「富士山太々講記念碑」の文字がありました。

別の場所にあった碑を読んでみたら、この塚は文化3(1806)年に御嶽講の人々が築山したもの、つまり御嶽塚で、昭和48(1973)年に石段をつくったもののようです。でも、富士講碑がなぜここにあるのでしょうか。太々講とは青梅の御嶽山にまつわる講などにも用いられているので、同じ講で富士登山もした記念碑なのでしょうか。

 


清瀬ひまわりフェスティバル2019 2019.8.24

2019-08-24 22:00:00 | 季節の花

今年も清瀬市下清戸の小麦畑で開催されている清瀬ひまわりフェスティバルに行って来ました。

ひまわりフェスティバルは8月17日(土)から24日(土)の間に開催され、今日はその最終日でした。

西武池袋線清瀬駅は昨年と同じく混雑しており、今年も無料バスを諦め、会場まで歩きました。

2回目のせいかそれほど遠くにも感じませんでした。

会場に辿り着くと今年も入口を入ったところに高台ができていました。

高台からの眺め。

約2万4000平方メートルの土地に約10本のひまわりが植えられています。

もう最終日のせいかほとんど頭が垂れてしまっていました。

誰かが作ったひまわりスマイル。

まだ頭が垂れていない場所までやってきました。

にょろ~っと伸びたひまわり。

ミツバチが飛び交っています。清瀬市産がはちみつもあるようです。

会場には休憩所があり、かき氷や焼きそばなどのお店も出店しています。

切り花区画もあり販売されていました。

今年もひまわり畑をよく見て歩きました。また来年ですかね。