CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

LCCはいかが?

2016年08月28日 | 特になし
ちょっとベトナムのホーチミンまで日帰りで行ってきた。

日帰りと言えば、バスを利用した日帰り温泉ツアーパックを思い浮かべる。朝一に家を出て、観光バスで温泉宿でお昼を過ごし、両手いっぱいのお土産を抱かえてその日の夜までに帰宅できるコースである。

これが東南アジアでは可能なのである。

特にシンガポールは、何しろその中心に位置する好立地条件なので、東南アジア諸国の首都もしくは地域での重要な都市とは、大体飛行機で2時間圏内に位置していてその恩恵を十二分に享受している。

インターネット経由の安価な通信方法が一般的に利用されているので、以前のように頻繁に出張するようなことは無くなったが、どうしても相手方と顔を突き合わせて話す必要があったり、緊急に重要書類や手荷物で運べる小さ目のスペアパーツを運ばねばならない場合には非常に有効である。

これが可能になったのは、上記の地理的要因だけではなく、次の二つの要因が後押しした。

その一つは、LCCの発達である。当然メジャーの航空会社とはサービスは違うが、価格が非常に安いのが特徴で、今回の往復との価格は特別なオプションを選択しない素のチケットであれば、出発2日前の予約で大体14000円程度である。

このレベルの価格であれば、東京ー大阪間を日帰りするのと同じ感覚で、別に現地で一泊しなくとも事は足る。

登場時間が2時間以上かからなく、また緊急の所要であることを考えれば、飲み物や食事が無料で提供されなくとも、そして席の配置間隔が多少狭くなっていて足が伸ばせなくとも、座席の幅の狭さによる隣の乗客との肘掛の取り合い合戦をしようとも、何とか我慢できる。

もう一つ大きな要因は、飛行場が新しく建設され最新の設備が投入され、入国管理、手荷物受け取りとその通関に費やされる時間が大幅に改善されたことだ。特にベトナムに関しては隔世の感がある。

始めてベトナムを訪問したのは、1987年のことであり当時はシンガポールとベトナムは敵対関係にあり、ベトナムへの直行便は就航していなく、ベトナムに入国するにはタイのバンコックにあるベトナム大使館でビザを入手し、そこからパリ発バンコック経由の週二便のエヤー・フランスでホーチミンに入った。

もしビザが何かの間違いで前日までに取れなかったら、バンコックで3-4日の休日を過ごす羽目となる。

空港に到着すれば、入管で1時間以上待たされることはざらで、事情を良く知る他の乗客と入管まで駆け足で競争したものである。

さらに税関で荷物や持ち込み外貨などの厳しい検査で結構時間が取られ、トータルすれば大体2時間が到着ゲート出るまでに費やされたものだった。

時は流れ、2007年日本のODAによって、なんとなく内装のデザインが関空に似ている、ホーチミンのタン・ソン・ニャット空港は当時の最新の設備を伴って新しく生まれ変わった。

出発ロービーのうえの階にあるフード・コートからは、空港全体が見渡せ離着陸の様子なども見えて結構時間がつぶせる。


出発ロビーの外にはバーガー・キングなどもある。ベトナムの外資によるファスト・フードは、90年代にケンタッキーが一番早く登場し、ロッテリアなどがその後出店してきた。


出発ロビーからの一枚。昔はビルと言っても10階程度の高さがほとんどであるが、此処10-15年の間に中心部に高層ビルが立ち並び、住宅地域にも、多くの高層アパートが建設される風景へと様変わりした。

用地収得に多額のお金と時間がかかり、さらに耐震や土壌汚染などに関する地質調査なども必要となる日本ではこうはいかない。

近年行くたびに色々と規則も変わってきて、もちろんビザ入手の必要も無く、最近では入国カードの記載も必要なく従って外貨に関する申告も規定内であればわざわざする必要もなくなり、入国審査もスムーズ。

通関も手荷物をX線の機械を通過するだけでオーケー。機内に手荷物を預けていなければ20分程度で空港から出てくることが出来る。

これはベトナムだけの話ではなく、東南アジア各国も、首都に新しい国際空港を開設したりして同じように効率化を図って、この手の競争は激化している。

かって飛行場で無益に数時間過ごしたことも、スピードの異なる別の世界に入ってきたので此処は気楽に行こうと気分転換をした。時間がゆっくり流れることで、ホッとすることもある。

効率を追求するために最新鋭のシステムやサービスの導入は確かに便利になったと感じるが、時として、あまりにあっけらかんとして情緒が無くってしまうこともある。

私のようなクラッシック・ロックを愛するオールド・タイマーは、“不便な中にも奥ゆかしさ”という個性こそが今では捨てがたく感じる今日この頃である。

“アー昔は良かった!”なんてジーさんの専売特許の台詞を声高にいうつもりは無いが、少し控えめに、“悪くは無かった”とは言っても良いと思う。

それにしても、一日でトンボ帰りの日程を組むとなると、朝5時に家を出て7時発の飛行機に乗らねばならない。

アー疲れた!