goo blog サービス終了のお知らせ 

CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ジミだけれど気になる人、クリス・ヒルマン

2016年09月25日 | West Coast Rock

海外でディベートなんかで、討論の内容が、自明の理と言う事で特に口を挟まず黙っていると消極的と捕らえられることがある。

もちろん私のように、持っている英語力がその議論に付いていく事が出来ないようなレベルであれば、仕方なく黙っている場合もあるが...

総じて日本人は比較的大人しい性格で、事がちゃんと進んでいるなら、俺が、俺がとわざわざ全面に出てきてリーダーシップを発揮しなくてもよいという奥ゆかしさがあるのだと思う。

反対に普段は地味と言うか控えめに見えるが、いざとなれば力を発揮すると言うような人に惹かれるのである。

クリス・ヒルマンは、当初はバーズ時代はフロント・メンの、ロジャー、ジーンそしてデビィッドの陰に隠れて地味な存在だっが、時が経つに連れて、またバンドが変わるごとに何かしら個性が見え始め、私にとっては無視できない存在となった。

とは言え、特に歌がうまい訳でもなく、また個性的な歌い方でもない。ベースの演奏に至ってもイエスのクリス・スクワィヤのようなブーン・ブーンと派手にかき鳴らす個性派でもない。

ただ誠実さと言うものが感じられるような気がする。

クリスと会って話したことのないあんたに何がわかるのかと言われると、彼の音楽を聴いた印象からとしか言えないのだが、

此処でちょっと彼の音楽活動の歴史を振り返ってみると、

ブルーグラスのマンドリン弾き、1964年請われてバーズにベーシストとして参加

ロージャー・マッギンとクリスを除く他のメンバーがバーズより脱退。デビッド・クロスビーが以前担当していたギター・ボーカルのポジションにインターナショナル・サブマリン・バンドのグラム・パーソンを加入させ、カントリー・ロック・アルバム“ロデオの恋人を”1968年に制作

クリスとグラム・パーソンは共にバーズから脱退。1970年にカントリー・ロック・バンド、フライング・ブリートー・ブラザーズ結成。

グラムはスタジオ・アルバム2作目を制作したところでバンドから脱退。ストーンズのセッションに参加。1971年フライング・ブリートー・ブラザーズは、3枚目のスタジオ・アルバムを出したところで空中分解。(後に新メンバーで再結成)

1972年、CSN&Yが活動を停止後、スティーブン・スティルスは、新グループ、マナサスを結成。またもやクリスは請われてベーシストとしてマナサスに参加

1973年、2枚のスタジオ・アルバムを制作したところで、マナサス解散。

1973年、アセイラム・レコードからクリスを含むオリジナル・バーズの再結成としてスタジオ・アルバム1枚制作。しかしまたもや解散

1974年、ポコのリーダーだったリッチー・フューレイ、ウエスト・コースト系シンガー・ソング・ライターのジョン・デビッド・サウザーらと、サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド(SHFBAND)結成。キーボードにマナサスのポール・ハリス、ドラムスにジム・ゴードンが参加。当時、ウエスト・コーストにスーパー・グループ誕生と言われた。

1975年、2枚のスタジオ・アルバムを出すも、チャートを賑わすことなく、敢え無く解散。

1976年、ソロ・アルバム、スリッピング・アウェイを出す。

1979年、ソロ活動の合間に、旧バーズのメンバー、ロジャー・マッギンとジーン・クラークそしてヒルマン3人でマッギン・クラーク・ヒルマンと名義のスタジオアルバム2枚を出す

1980年クラークが脱退し、マッギン・ヒルマン名義でスタジオアルバムを出す。

1987年ギタリストのハーブ・ぺダーソンとデザート・ローズ・バンド結成。ソロ活動なども含め現在に至る。

プロのバンドと言うのは人気商売で、売れなかったり、主要メンバーのエゴなどで解散の憂き目に会う。

クリスも、数多くのバンドを転々としているが、彼の場合請われてバンド・メンバーになると言う感じで、仲間内でも認められているのは彼が誠実な何かを持っているのかもね。

ジミヘン:私の名前も漢字で書けば地味片。地味のかけらって意味ですから、きっと誠実に見えるんじゃないかと…

イヤー、あなたの場合は、自身変ですよ。コンサートでギターに火を点けちゃったことあるでしょ!

Step On Out