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風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

がんばれ熊本・5か月後の町 4-2(Last)

2017-04-13 | 九州
その1からの続きです。

● 月と煙突

三池港から内陸に入り「月が出た出た~♪の煙突も見なくちゃね」と、モデルとされる煙突を見に行きました。
盆踊りで流れる歌だという認識しかありませんでしたが、タイトルは「炭坑節」。
三池炭坑のことを歌った民謡だったんですね。

 月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
 三池炭坑の 上に出た
 あまり煙突が 高いので
 さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)

出だししか歌詞を知りませんでしたが、ちゃんと「三池炭坑」って歌詞にも出てきました。
「高校の文化祭の時にみんなで炭坑節を踊ったじゃない」と同窓のさっちゃん。うーん、覚えてない~。



ここは「宮浦石炭記念公園」として整備された「三池炭鉱宮浦坑跡」。
ここも宮浦鉱という炭鉱だったのです。
遠くからも目立つ高さ31.2mの煙突。明治21年建造の立派な煉瓦作りです。



● 坑内マシン

一見普通の公園のようですが、近づいてみると、見慣れない大きな機械が置かれています。坑内で使われたもののよう。
辺りは無人ですが、外に置きっぱなしでも、いたずらされないんですね。
治安がいいのはいいことです。



斜坑坑口には炭鉱へと続くレールが保存されており、その上に滑車が置かれていました。
斜坑人車というドアなしオープンケーブルカーのような乗り物に、乗ってみましたよ。



私が座ったのは、車掌席です。ピー!出発進行!



「炭坑節」といい、初日の「あんたがたどこさ」といい、熊本に来てから懐かしい歌リバイバル。
「あんたがたどこさって民謡じゃないね」「なんの歌だっけ?」と3人で考えて、手まり歌だと思い出しました。

● 三池炭坑・宮原坑【世界遺産】

万田坑・三池港・石炭産業科学館・宮浦鉱と見てきましたが、まだ三池炭坑巡りは終わりません。どれだけ回るんでしょう。
今度は、最初の万田坑から見えた宮原坑へ行きました。
あれ、今訪れたばかりの煙突の公園は?
あれは宮浦坑。こちらは宮原坑。ちょっと紛らわしいです。



これなんだと思います?
旧炭鉱専用鉄道を模したトイレなんです。一見それとわからないアートな造りがいいですね。

こちらの炭坑は、広々とした万田坑と違い、ふつうの人家の中にありました。
近所の人たちは、そばにある寂れた廃屋が世界遺産に選ばれ、一気に観光客が増えたので、驚いていることでしょう。



まださっちゃんの具合は思わしくなく、今回も車内でお休み。
ヒロポンと私で、またガイドツアーに参加しました。今回はほかにおらず、2人のみ。
ここではガイドを申し込むと、タブレット端末を借してもらい、ガイドの解説を聞きながら、映像を見られるようになっています。かつての写真が360度のパノラマで再現されていたので、目の前の光景がいまのものでも往時の様子がわかります。
汽車の汽笛や滑車の音なども再現されていました。
便利でわかりやすーい。4か国語に対応するそうで、海外からの人にも使えます。
こういったガイド方式が、これから主流になるのかもしれません。

第一竪抗はもうなく、現存するのは第二竪抗のみ。
三井三池炭鉱の遺構の中で、この宮原抗第二竪抗櫓と捲揚機室が、万田抗と共に国指定重要文化財に指定されています。



万田坑は274mの深さがありますが、ここは160m。
ここも万田坑同様に地下水問題があり、当時世界最大の排水力を持っていたデビーポンプで汲み上げたそうです。

第二竪坑の櫓は高さ22m。



横には万田抗跡まで続く炭坑列車、三池鉄道が走っていた廃線の跡がありました。

テントの下にランドセルが固まっておかれていました。
賑やかな声が聞こえ、小学生たちがスケッチに来ているようです。水色ランドセルが人気なのね。



ここは近くの収容所の囚人や中国人捕虜も働かせて「修羅坑」としておそれられたのだそう。よっぽどきつい労働だったのでしょう。

● 炭都アイス

ガイドさんに熱心に教えてもらい、ツアーはとてもためになりましたが、外で解説を聞いていたので、暑さにちょっとフラフラ。
さっちゃんに次いで、具合が悪くなりそう。
血糖値が下がっているかもしれないと、ガイド終了後、日陰で涼みながらアイスを食べることにしました。



売られていたのは炭都アイス。タント?
初めて見る名前に注目していると、売り子のおじさんが「おいしいですよ」と勧めてくれました。
ここオリジナルの「MIIKE COAL MINE」Tシャツがいいですね。



ここだけにあるアイス。多分このチョコが炭がわりね。
なめらか~で、クリーミー。
宮原抗櫓を眺めながら食べる炭都アイスは、格別でした。



アイス売りのおじさんに「どこから来たの?」と聞かれたヒロポン、「うちは熊本だけれど友人は横浜から」と答えると「まあ・・・そんな遠くから・・・!」と、スタッフ一同感激してくれました。
世界遺産に登録されて日が浅いためか、まだ遠くからの観光客は少ないのでしょうか。
そのうち、世界中から人がやって来ますよ~。

小学生たちがスケッチを終えて帰っていき、ランドセルはきれいになくなりました。



この日は平日ということもあり、ほかに観光客はいません。
小学生たちが帰ると途端にがらんと広く感じます。
アイスをなめながら、スタッフの方とお喋りしました。
「世界遺産に認定されたばかりの炭坑が、地震で倒壊しなくてよかった」と話すと、「この辺りはそれほど揺れなかった」との話。
ヒロポンが「自分たちのところは震度6で、かなり大きな被害を受けた」と話すと、「まあ、大変だったのね」とスタッフ一同で同情してくれます。
帰りがけにアイスおじさんが袋をとり出し、「さっき買ったパンだけど、一つどうぞ」と、手作りの大きめ有機パンをひとつ分けてくれました。

「えっ?」と驚きましたが、勧められるがままにありがたくいただいたパン。
「パンもらっちゃったねー」「ビックリだねー」と言いながら、昼食をとらないうちに4時近くになっていたので、車に戻って3等分していただきました。
デニッシュだったので、なにもつけなくてもおいしくいただきました。
優しいわ~。大牟田の人は、みんなこんなに優しいのかしら?

● 大牟田から熊本空港へ

一日つかってあちこち訪れた三池炭鉱巡りもこれで一段落。そろそろ帰途につくことにします。
それにしてもたくさんの世界遺産を訪れました。

途中の神社の石灯籠のてっぺんに狛犬発見。でも車窓からだったので、詳しいことはわからずじまいです。



すっかりおなかが空きました。さっちゃんの具合もようやく快復してきたようです。
私のフライト時間があるため、空港に近づいてから食べることにします。

県境とはいえ隣の福岡から熊本空港までの距離は結構あり、車でも1時間ほどかかります。
そこで、手っ取り早く食べれるラーメン店に入りました。

● 熊本で博多ラーメン

「さすがは地元、熊本ラーメンの店が多いね」と言いながら、入ったのは金龍という博多ラーメンのお店でした。
あれー?まあ私は特にこだわりありませんが。

ここの油そばを勧められたので、頼んでみました。
出された器を見て、びっくり。つゆがなくて、具と麺だけ。
具と麺に醤油ダレを絡めて混ぜるとんこつラーメン。こういうの見るのは初めてです。
今まで食べたことありませんでしたが、食べやすくておいしかったです。



● スコールか狐の嫁入り

お店から空港までは10分ちょっとの距離でしたが、その間にぽつぽつきたかと思ったら、ザーっと大粒の雨が降ってきました。
あっという間のことで、スコールに遭ったみたい。



でも、降っているのは進行方向のみで、両側と後ろの三方向は晴れており、西にはきれいな夕焼けが見えています。
変なの。狐の嫁入りでしょうか。



「虹がでるかなー?」と言っていたら、ゴロゴロピカッ!と雷が鳴り出して、さらに強まる雨足。
道路から雨粒が跳ね返り、車道にもどんどん水たまりができていきます。
もう虹どころではなくなりました。

土砂降りの中、空港に到着。ドライバーのヒロポンとの別れもそこそこに、さっちゃんと建物内に駆け込みます。
車のトランクからバッグを取り出すだけで、かなり雨に濡れました。

さっちゃん、ヒロポン、どうもお世話になりました。
彼女たちは、実はあさって、つまり2日後に、神奈川にお引っ越しをします。
たった2日後ですよ。次の次の日!
そんな土壇場の時に、こうして2人で相手をしてくれたのです。もう頭が上がりません。
数日後には自分たちが大きい荷物を運びこむだろう空港まで、お見送りしてくれました。

今度は近場で会えるね!一人チューチュートレインをして歓迎するわ!
単に屈伸運動しているようにしか見えなそうだけど。

ピカッ!ゴロゴロ!と空では雷が光ったり響いたりしているところで、お礼を言ってお別れしました。
ちょうどぴったりの時間に到着できたわ、と思ったものの、電光板を見ると、私のフライトは、今落ちたばかりの雷の影響で、30分出発が延びるとの表示。
あらま~。でもその分、空港でゆっくりできます。

からしれんこんと太平燕とドーナツ棒をおみやげに買ったあと、自分用にいきなり団子を買いました。
よもぎ味です。
プレーンと紫芋、よもぎ、これで3味コンプリートしたわ。





飛行機は出発が遅れたものの、それ以外はつつがなく東京に戻りました。
雲の上に出てしまえば、天気は関係なくなりますからね。

● epilogue

プライベートで1年ぶり、仕事を含めると2ヶ月ぶりの熊本。
今回の来熊は、大型台風12号とかち合ってしまい、なにも観光できないかもしれないと覚悟していました。
結局台風は熊本に上陸しなかったため、杞憂に終わりましたが。

仲良しの友が住んでいたため、何度も訪れる機会に恵まれた熊本。
美しい自然に囲まれたとてもいい県で、すっかり好きになりました。
だからこそ、5か月前に起きた震災の爪痕が今なお残る現状を見るのは、とてもつらいものがありました。

今回の熊本滞在中にも、なんどか小さな揺れがあり、まだまだ余震が続く、予断を許さない状況でした。
これ以上は揺れに悩まされないよう、祈るばかり。
失われてしまって元に戻らないものはたくさんありますが、たとえ時間がかかっても、元に戻せるものはきちんと復旧してほしいもの。

♪ 幸せは歩いてこない だから歩いてゆくんだね ♪
水前寺公園の名をもらったチータの「365歩のマーチ」。
改めて聴くといい歌。これを口ずさんで勇気を出して、みんなで明日を作っていきたいです。


がんばれ熊本・5か月後の町 4-1

2017-04-13 | 九州
3日目からの続きです。

● モーニングコーヒー

翌日はまず、ヒロポンが台風に備えて私たちが移動させておいたバイクを駐輪場に戻し、それから星乃珈琲でモーニング。



コーヒーが飲めない私。コーヒー好きにはそのことはなかなかわかってもらえず、よく質問されます。
夕べもヒロポンに「なぜ?どうして?」と聞かれて(ううむ)と返答に困ってしまいました。
コーヒー、香りはとっても好きなんですけれど、苦手なんですよね~。

そんなやりとりもあったことだし、せっかくカフェに入ったので、たまにはコーヒーに挑戦しようかなという気になりました。
ウインナコーヒーならクリーム入りで平気だろうとチョイス。
でもやっぱりコーヒーは本格的で、私には刺激的。
これからドライブで、私は車酔いしやすいなのに、しまったと反省しても、あとのまつりです。
急いで中和用のお茶を買い込んで、出発しました。

● 阿蘇か万田坑

3人で家を出発。ヒロポンの運転で、遠出ができます。
行き場所は、阿蘇か万田坑の2択。
「どっちがいい?」と聞かれて「阿蘇は行ったことがあるから、現状が気になるけど、万田鉱は行ったことがないからわからない」と答えます。

阿蘇の地震の状況はとても気がかりですが、まだ通れない道が多く、迂回通路ばかりだそう。
今はまだ、復興トラックの迷惑になるかもしれないため、万田坑に向かいました。

● 三池炭鉱 万田坑【世界遺産】

ここは熊本県荒尾市。熊本市内から40キロ近く離れた、福岡との県境の場所にありました。
まずは入り口で、スタッフの方に顔はめパネルを撮ってもらいました。
大真面目な顔つきの3人の炭坑野郎を見て、吹き出しました。



まずはステーション内で、紹介ビデオを鑑賞します。
日本の近代産業を支えてきた動力、石炭。中でも三池炭鉱の「万田坑」は日本最大規模で、明治の技術が集められたものとなっています。
時代の移り変わりで、エネルギーが石炭から石油に移行し、1997年に万田坑は閉山。

そののち、万田坑は、近代産業遺産として国の重要文化財と史跡に指定され、2015年7月に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。

ビデオを鑑賞した後は、いよいよ三池炭鉱万田坑へ。
去年の夏にユネスコ世界文化遺産に登録されたばかりです。
天気がよく、じりじりと暑い夏日。熱中症になりそう。
少し体調不良になったさっちゃんは、見学の時間、風通しのいい木陰で休んでいました。



● 2度のガイドツアー

1日に何回かガイドツアーが催されますが、この時は時間が合わず、誰もいません。
そこで前にガイドさんの説明を聞いたというヒロポンに解説してもらいながら、建物を見て回ります。
レンガ造りの重厚な建物は、当時そのままに保存されていました。
高さ約19mの鋼鉄製の櫓。



ざっくり個人で敷地内を周り終えた頃、ガイドツアーの開始時間になったので、改めて教えてもらうことにしました。
参加者は、私たちのほかに女性2名。
旅行者っぽくなく、近所の友達同士で「世界遺産になったし行ってみようか」と気軽にやってきたという風情です。



近代遺産の知識はほとんどありませんが、5月に3人で訪れた島根の石見銀山は、予想を遙かに超えて大いに楽しめました。
ガイドさんは詳しく、いろいろと教えてくれました。

● 山の神だのみ

炭坑内での作業は、落盤、火災、ガス爆発などの災害の危険と常に隣り合わせ。
人々は、常に命を張って仕事をしていたわけです。
入り口に大山祇神社から分祀した祠があり、鉱夫たちは毎朝山の神に手を合わせて安全祈願をしてから、めいめいの作業に入ったそうです。



● 第二堅坑坑口(国重要文化財)

坑口には、ケージ(昇降用エレベーター)が吊り下げられ、炭鉱マンが坑底まで下がって行きました。
現在は埋め立てられているため、覗きこんでも下は見えませんが、炭鉱が稼働していた頃には深さ264mもある竪穴があったとのこと。
人だけでなく、馬も炭坑内に連れて行ったそうです。

ここでは、坑内の排気と排水も行っており、隣には扇風機室がありました。
換気のために5600台の扇風機がフル回転していましたが、それでは飽きたらず、8500台が増加されたそうです。



ここから264m下の坑底で作業をし、堅坑の中からトロッコいっぱいに石炭を積んで地表に出てくると、トロッコ1台分の石炭の賃金が支払われたそうです。



坑口の中には信号所がありました。
ここから鐘・ベル・電話などを使って、巻揚機室や坑底と連絡をとっていたそうです。



最盛期は1日3500人が働いていたとのこと。石炭が産業振興を支えたころ、ここは全盛期で毎日フル回転していたでしょうね。

敷地内には浴室もありました。
女性も男性に交じって働いていたそうです。



昭和45年には出炭量が年間657万トンとなり、1日2万トン以上の採掘がおこなわれました。その一方で、昭和38年と昭和59年に、ここで戦後最大の一酸化炭素中毒事故が起こったそうです。

明治35年に出炭を開始した万田坑は、昭和26年に石炭発掘を終え、1997(平成9)年に閉山するまで、坑内水の排水を行っていたそうです。

石炭を採るだけでなく、万田坑などで採掘した石炭を専用鉄道で三池港まで運び、船で輸出するという運搬システムも整えられ、三池炭鉱は石炭化学コンビナートとして発展しました。

戦前から戦中に年間平均86万トンの石炭を運び出し、日本の近代化に大きく貢献した産業遺産です。



ここで採れる石炭。大柄のヒロポンの手よりもずっと大きいですが、見た目ほど重くはありません。

● 巻揚機室

次に建物内部見学。
櫓の前にあるレンガ造りの巻揚機室に、ヘルメットをかぶって入りました。
ここには、先ほど第二堅坑坑口で見た、作業員用ケージ(エレベーター)を巻き揚げる機械があります。


36mmのワイヤロープを巻きつける直径4mの巻胴


同じガイドツアーの女性2人は、はじめは興味がなさそうにボーっとしていましたが、あれこれ少しずつ気になってきたようです。
炭坑野郎が増えそう(笑)。


運転台を説明するガイドさんとそれを聞く女性たち


ここではほかに、深度計や空気圧によるブレーキ装置などの解説をしてもらいました。



● デビーポンプ

炭坑からは、石炭の十倍くらいの地下水が出てしまうため、構内排水のために英国デビー社製の巨大なタービン(デビーポンプ)が4基設置されていたそうです。
デビーポンプ室跡には、もう何も残っていませんでした。

動力が蒸気から電気に移行するにつれ、建物は変電所に代わっていきました。
かつて炭鉱夫たちがもぐっていた炭坑は、いまは埋められています。
採掘時の地下の状態がわからないのは残念な気がしますが、排水を行わなくなると、地下水がしみ出して炭坑がひたされてなってしまう上に、毒ガスも発生するのだそうです。

第二堅坑があるということは、もちろん第一堅坑もありましたが、今では立ち入り禁止となっており、見学できません。
第一堅坑の穴はふさがっていませんが、深さ271mの穴の230mまでは、やはり水没しているそうです。

敷地内には専用鉄道式跡もありました。石炭はここから三池港を経由して、日本中に運ばれていったんですね。


ここのお土産、炭鉱野郎の黒ダイヤカリー


三池炭鉱の宮原(みやのはら)坑の櫓が、山の向こうに見えます。
同じ炭坑名ですが、ここ万田坑は熊本県荒尾市、あちらは福岡県大牟田市と県が変わり、少し距離も離れています。
三池炭鉱は、2万m2という日本最大規模の広大な敷地で、最大の出炭量を誇っていました。

ガイドツアーを終えてさっちゃんの元に行きましたが、彼女はまだ体調がすぐれず、青白い顔をしています。
水分補給のペットボトルを握っていてもらいながら、みんなでそろそろと移動。
熱中症でなければいいんですが。

● 三池港・旧長崎税関【世界遺産】

万田坑を見学した後、車を走らせて、三池港に行きました。
私たちもかつて採掘された石炭と同じような道を通って、海までやってきたのです。
旧長崎税関(三池税関支署庁舎)がありました。
明治41年に開庁した、明治期の税関庁舎遺構。
もうここは、熊本じゃなくて福岡なのね。



● 国内唯一の閘門港

ムツゴロウが干潟に住む有明海は、遠浅の海岸が続く、大型船の停泊が難しい地形になっています。
大型船は沖に停泊するしかなく、石炭はまず小さい船に積み込んで、沖まで出てから大型船に移し替える必要があったため、船への積み込みには多大な手間とコストがかかっていました。

この課題を解決するため、大型船に直積みできる港を大牟田に築港するという一大プロジェクトが持ち上がりました。
指揮をとったのは團琢磨氏。6年間の歳月をかけて水深8.5mの港が作られ、明治41年に竣工したそうです。

そうして作られた三池港は、日本で唯一、閘門(ロック)を持つ港。
今も使われている現役の港ながら、世界文化遺産に登録されました。日本の稼働資産としては初の登録だそうです。

「石炭山の永久などということはありはせぬ。築港をしておけば、いくらか百年の基礎になる」とは團さんの言葉。
まさにその通りになりましたね。

● 石炭産業科学館

大牟田市にある石炭産業博物館へ。
さっちゃんには車で休んでいてもらい、2人で中に入ります。
鉄の塊のようなものものしい外観。



ジオラマを動かすなどして、炭鉱の中の仕組みを見学。
結構充実していて、楽しめました。



炭鉱トンネルの中に入っていくような見学ルートになっており、入り口で写真をパチリ。
上着は借りもの。炭鉱服を着た、炭坑野郎です。



炭坑の中に入って、いろいろな機械を見ました。
見たこともないようなすごい砕石マシンの数々。テクノロジーの粋!





そして蒸気機関車。まさに近代産業日本の幕開けですね。



炭坑の中に入った時には、エレベーターで400m下りたはずですが、炭坑の外に出た時には、再び下る前の地上階に立っていました。
あれ?なぜ?
首をかしげながら、科学館の一番上の展望台に上ってみました。
目の前には有明海が広がっている…と思いきや、今では帝京大学の校舎やイオンモール、コメリの大きな建物が立ち並び、視界は狭まっていました。

● 団琢磨と三池港

団琢磨は、13歳で旧福岡藩主・黒田長知のお供として岩倉使節団に参加したエリート。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の鉱山学科に進み、20歳で卒業したというエリート。
政府から三井に払い下げされた三池港を26歳で任されたそうです。

港がめざましい発展を遂げたのちも活躍を続けていましたが、73歳で右翼の凶弾に倒れたという驚きの最期。
明治の近代化に貢献したすごい日本人だったんですね。
出光創始者の人生が『海賊と呼ばれた男』になったように、この人の人生も小説化されてよさそう。



彼のシルクハットが展示されていました。ジェントルマン~。
あとでわかりましたが、団琢磨の孫が作曲家の團伊玖磨でした。
名前が似ているのは、血縁だったからですね。

石炭を砕いていく機械の仕組みや、れきせい炭という石炭や、石炭は何種類もあること、セメントの原料になることなど、石炭産業科学館ではいろいろなことを学べましたが、私は、団琢磨の人生に一番興味が湧きました。

その2に続きます。


がんばれ熊本・5か月後の町 3-2

2017-04-11 | 九州
その1からの続きです。

● くまもと「水」検定

市電内にくまもと「水」検定のちらしがありました。
市が主催しており、検定試験なのになんと無料!
熊本市、ふとっぱらね~。
「でも問題、難しいなあ」と、例題を読むさっちゃん。
3級なら、一緒に勉強してみる?



● 熊本の市電

水前寺公園を出て、再び市電のB系統に乗ります。
さっきは2駅しか乗りませんでしたが、今度はかなりの区間を乗ります。
初日に見た、レトロな長崎書店の横も通っていきました。

熊本市民の足となっている市電。いつ見ても、乗者は結構大勢います。
市電が走る町って、いいですね。
この前に市電に乗ったのって、いつだろう?と考えます。
さっちゃんは函館、私は松山で乗って以来でした。
地元神奈川の江ノ電も、路面電車になる区間があるんですけどね。

● 巨大な白楼門



本妙寺入口前で降りて歩くと、巨大な白い楼門が見えてきました。
台湾の中山記念堂を思い出だします。
近くまで行くと、門に至る幅広の石段にはロープがかかって、通行止めになっていました。
地震で危険な状態になっているのでしょうか。
ぐるりと大回りをして迂回路から登っていったところ、門を支える柱にはブルーシートが巻かれ、あちこちに倒壊やひびが入っていました。
うわ・・・。被害の大きさから、今回の地震の破壊力を想像して、声を失います。



一見、なにがあっても壊れなさそうな頑丈さが感じられる門ですが、満身創痍の姿を前に、(この世にそんな堅牢なものはないのかもしれない)と悲観的な気持ちになります。

● 参道を歩く

この門のところからお寺の敷地になるようで、本格的な石畳の参道が始まります。
歩いて行く両脇に塔頭が並び、相当に大きなお寺だということがわかります。
これは石の力士像。中華風です。



あちこちからひょっこり顔を出すにゃんこ。
何匹もいました。ご飯の時間なのかな。



ニャーニャーと猫をかまいながら桜並木を抜けると、参道は再び長い石段になります。
ずいぶん長く、下からゴールは見えないほどですが、おそらくこの先にお寺があるのでしょう。

● 痛ましい石灯篭



石段参道の真ん中には、おびただしい数の石灯籠が並んでいます。
最初の辺りはまだ何とか保っていますが、すぐにそのほとんどが倒壊し、散乱している状態となります。



古めかしい灯篭の数々が、見るも無残な壊れ方をしている痛ましい光景に、胸が痛みます。
かつてはお寺まで灯篭がずらりと立ち並ぶ、壮観な参道だったでしょうに。



産まれてこの方、こんなに崩れおちた、つらい道を通ったことは、ありません。
おそらく今後もずっと、忘れることはできないことでしょう。



目の前の圧倒的に悲惨な光景を前にして、ほがらかに会話を続けることなんて、とてもできません。
お互い押し黙って、重苦しい気持ちを抱えて一段一段登っていった先に、清正公を祀る本妙寺がありました。

● 日参50年記念

参道の果てに、やっとたどり着いたお寺。とにかく敷地が広いのです。
本堂前の狛犬の台座には、赤文字でなにか刻まれていました。。



86歳の宗さんという方が、日参50年を記念して奉納したそうです。
ということは、36歳の時から長い石段を上って、毎日参拝し続けたんですね。
宗さんすばらしい!!雨の日も風の日もカゼの日も、すごいことです。根性ナシの私には、とても真似できません。



対の狛犬は、地震で顔が落ちてしまったのでしょうか。
原型がよくわからなくなっていました。宗さんはショックを受けてしまうでしょう。



狛犬のとなりにある灯籠もまた、倒壊していました。
これは落ちてこなごなになってしまったのか、もう跡形もありません。
載っていた台だけが、今にも落ちそうな状態で残っていました。



● モンスターとのご縁

目下大人気の「ポケモンGO」のプレイヤーへのメッセージがありました。

「ゲーム等でモンスターと呼ばれるものが境内を徘徊しているようです。
 何かのご縁で出現しているものと思われます。
 そのままにして、温かく見守っていただきたいと思います。」

多くの寺社はポケモンGO目当てでやって来るゲーマーたちへの対応に苦慮していますが、このお寺は優しい文章です。
住職さんの人柄でしょう。



徘徊モンスターがいないかなと、起動してみましたが(実は私もプレイヤー)、残念ながら見つけられませんでした。ご縁はなかったみたい。

● お馬さんの堂

「栗毛堂」の中には、たしかに栗毛色の馬の人形が奉納されていました。
両脇には見ざる言わざる聞かざるがいます。どういう意味でしょうか。特に意味なし?



あとで調べてみたところ、猿は馬の世話をし、馬の守り神とされているんだそうです。
堂を守っている狛犬が、ユーモラスでかわいい!



フクロウのようにも見えますね。
崩れ落ちた石塔を見て、悲しい気持ちになっていたので、彼らの姿に心が癒されました。



● お猿さんの堂

その隣には「論語猿」と書かれた祠がありました。
清正公の飼っていた猿が論語を読み始めたんだそう!
そんな逸話があるんですねえ。



● ネバーエンディング石段

さらに奥を登ったところに清正公の銅像があるとのことで、行ってみることにしましたが、これまた先が見えないほど延々と長く続いていく石段を前に、やる気が揺らぎます。
「これって、日本一長い石段・・・?」
「あ、違うよ」
なんと3333段あるという釈迦院御坂遊歩道は、熊本にあると聞いていましたが、市内ではないそうです。そこじゃなくてよかったー。



でもここまで来たですし、力を奮い起こして、がんばって行ってみることにしました。
なるべく無理をしないように、ゆっくりゆっくり上っていきますが、そんな牛歩の歩みの私たちを追い越して、スイスイ歩いていくおじいさんがいます。
鍛えているのね~。

● 市内を見守る清正像



石段を登って登って、ようやく清正公の銅像前までたどり着きました。
やったあ。
へとへとになりながら石段を上る私たちに「力がほしいか?」って語りかけているみたい。
ええ。でも登る前にほしかったわ!



上の画像とほぼ同時に撮った画像ですが、撮り方でこんなに違ってしまうんですね。
飛んでいるのは同じ鳥がです。

柵から犬がかわいい顔を出して、石段途中の私たちを見ていました。
登り切ったところにあるあずまやでは、犬を柵につなげて、ランナーが腕立て伏せをしていました。
これだけ登って、さらに力が余っているなんて、どんだけパワフルなの~!



● 市内一望

熊本市内が一望できる、すばらしい見晴らし。
がんばって上っただけあります。
お城もくっきり見えました。



しばらく景色を楽しんで、また戻ることに。
石段は300段とのこと。3000段くらいあったかと思ったのに。
ってことは、日本一の石段は、この11倍?うそでしょー!!

● 帰りもつらい

上りで結構足を酷使したため、かなりだるくなっています。
筋肉痛にならないことを祈りながら、降りていきます。。

帰り道もやはり、崩れかけた石灯籠や時計塔などを目にすることになります。
ここを通る人は皆一様に、心を痛めることでしょう。
たくさんの灯篭が一堂に崩れ落ちてしまっているため、これを修復するのはとても大変。
膨大な時間と費用が掛かることでしょう。



そんなすさんだ参道も、猫がいるので気が紛れます。
似ているし、仲良し兄弟かな。

またもや白い楼門の横を迂回して、境内を出ました。



● 昭和なサーティーワン

いろいろと見どころの多いお寺でしたが、とても暑い中、一番上まで上ったので、喉が渇いて脱水症状を起こしそう。
ポカリを飲んでミネラル調整します。
昭和感のある電柱には、商店街のお店の看板がついており、その中にあったサーティーワンがなんだか珍しかったので、パチリ。



再び市電に乗り、途中から電車に乗り換えて帰りました。
熊本では本当に、何かの折に常にさりげなくくまモンがいます。
Always with youって感じー。



光の森駅で降り、ゆめタウンへ。
売り場面積が広すぎて、全体を把握しきれません。
醤油コーナーの品揃いがとにかく多いのはわかりました。九州あるあるです。

帰宅して、『ブラタモリ』の熊本特集を2本、見せてもらいました。
前の日に見た、白いタヌキがご登場~。タモリたちもあそこに行ったのね。

● あるじの帰還

23時近くになって、ヒロポンが中国出張から帰ってきました。
あるじの留守中に家にお邪魔して、奥さんと3日間みっちり一緒に過ごしていた私。
どちらかが男だったら、えらいこっちゃ。(当たり前)

まあこれまでも、彼がいる時もいない時も遊びに行っているので、もうお互い慣れっこ状態。
本当は彼は、これからみんなで温泉に行きたかったようですが、日中暑かったので、私たちは帰宅後早々にお風呂をすませて、すでにさっぱりしています。
家長、許したまえ。

出張先の中国の話をいろいろと聞かせてもらいます。
中国のチョコレートはとても食べれた味ではないけれど、Dove(ダブ)はおいしいとのことで、ゴチになりました。

彼がいま夢中なのは、高反発のマットレス。
低反発だと、マットが身体を受け止めて沈んでしまうため、寝返り回数が減ってしまうんだとか。
そのデメリットを克服したという高反発のマットレスの具合を確かめるべく、さっちゃんと転がってみました。
たしかに堅さがあって、身体がじんわり埋もれていくことはありませんでした。高反発って、初めて聞く言葉だわ。

4日目に続きます。


がんばれ熊本・5か月後の町 3-1

2017-04-10 | 九州
2日目からの続きです。

● 台風一過

朝、ゆっくり目に起きたときには、もう青空が見えていました。
天気いーい。台風はどこに行ったのー?
もう九州を抜けたようです。熊本を直撃しなくて、よかったー。
私たちも、一日家の中にいただけで済みました。
もともとスピッツ強化合宿は行われる予定だったので、そんなに大きなプラン変更はなかったかも!

昨日、外に耳を澄ませても、なんの気配もなくシーンとしていましたが、いまは誰かが道を掃除する音が聞こえてきます。
弱っている熊本を台風が襲わなくて、よかった!
まだまだ復興途中のこの辺りには、しばらく嵐は来てほしくないものです。

復興ねぶたが追い払ったのかもしれないし、初日に玄関に停まっていた大きな蛾が守護神となって護ってくれたのかもしれません。
とにかく被害がなくて、ほっとしました。



前日ローソンで見かけた、Kumamoto Projectパン。
熊本限定かと思ったら、目下日本中で売られているようですね。



● あとぜき願い

食事をとってゆっくりすごしてから、出かけます。
マンションの裏口ドアに「あとぜきお願いします」の表示がありました。



すでにさっちゃんに教えてもらっていたものの、やっぱり意味が分からず、一瞬立ち止まってまじまじと見つめます。
ドアの絵がないと、なにをお願いされているのか、わからないわ~。

● 階段だけど県道

JR九州・豊肥本線の駅へ。
光の森駅の改札までの道は、珍しい階段県道になっています。



青森では階段国道、ここ熊本では階段県道を通りました。
これで私も、階段道マニアの仲間入り!?



ホームから、ブルーシートの屋根があちこちに見え、痛々しい気持ちになります。
昨日の台風対策か、シートの上に重石が乗っています。

● 無人の原水駅

降りたのは、周囲に田畑の広がる、いかにもうら寂れた無人駅といった風情の原水駅。
無人駅なのでICカードで乗るのですが、機械は片方のホームにしかなく、わざわざ向こう側まで渡っていって、ピッとします。
ちなみに九州のICカードは、SUGOCA。凄かね~。



目的地には、このなにもなさそうな駅(失礼)から向かうんですねー。
てくてく歩いて行くと、どこからかカントリーなにおいが…。
「ンモモォ~。」
鳴き声が聞こえてきました。畑の向こうに見えてきたのは牛舎。
外で飼われている牛たちもいます。
におい問題があるでしょうから、近所の人たちの理解あってできることですね。
もしくは、この辺り一帯を所有しているオーナーなのかも。



子牛もおり、(かわいい~)と写真を撮ろうとしましたが、不穏な空気を察知してか、すっと母牛の脚の下に隠れてしまいました。

● 緑の鉄砲小路

そのうちに、緑の垣根がずっと先まで続く一本道にさしかかりました。



ここは鉄砲小路といって、江戸時代、有事の際に鉄砲隊として駆けつける人たちが住んでいた地域です。
今でも約4kmにわたって、当時の石垣が残されているのだそう。住民たちの努力で、美しい景観の町並み保存がなされています。



● 蘇古鶴神社

長く続く生け垣沿いに歩いていくと、蘇古鶴神社(そこづるじんじゃ)がありました。
鉄砲小路の守護神として阿蘇神社より勧請された神社。
「鳥居がなくなってる!」とショックを受けるさっちゃん。
「熊本のあちこちの神社の鳥居が、地震で倒れちゃったんだ」
それを聞いて、今度は私がショックを受けます。

東関東大震災の時に、自分が七五三参拝をした茨城の鹿島神宮の大鳥居が倒れた光景は、かなりのショックでトラウマになりました。
阿蘇神社も、楼門が崩れてしまいましたからね。
でもここの鳥居、この月のうちに新たに建て直しされたそうです。氏子たちのパワーだわ。



● ゆるい狛犬、こわい門番

重々しく立派な二層建築の楼門。
「ここに色付きの狛犬がいるんだよ」
狛犬好きの私のためにチョイスしてくれたんですね。
楼門をのぞいてみたら、中にいたー!



色違いのカラフルな二体。
楼門の雰囲気から、もっと崇高なルックスかと思いきや、とても親しみやすい二体です。ユーモラスな表情に、ゆるゆる癒されます。
こんなペットが家にいたら、毎日脱力できますね。



狛犬は350周年記念だそうなので、昔ながらの歴史があるようです。
狛犬さんたちにほっこりしましたが、その隣にいる随神を見て、「キャーッ!」と思わず声を上げました。
目つき!!!こ、こわいいぃぃ~!!
なぜにこんなに怖いお顔?もはや、ホラーの表情です。
その目で殺さないで!その矢で射らないで!



ゆる~い狛犬とのギャップの大きさが、さらに怖さを強調します。
夢に出てきそう。
こちらは「奇岩窓神(くしいわまどのかみ)」、「豊岩窓神(とよいわまどのかみ)」という、門を守る異名同体二神だそう。
子供が見たら、泣き出しそうなレベルです。
バクバクの動悸を押さえながら、楼門をくぐりました。



雰囲気のいい神社。ご祭神は、阿蘇一の宮と二の宮の神さまで、のちに菅原道真神を合祀したそうです。
神殿奥には、砲弾らしきものが奉納されていました。

● すだれがけのトラック

帰り道に見た、復興作業中のトラックの窓には、すだれがかかっていました。
わかります。たしかに暑いし、すだれをかけると違いますからね。
でも、すだれがけのトラックを見るのは初めて。南だなあ。



雄大な阿蘇の山々を見渡せる広々とした場所がありました。
いそいそとカメラを取り出すと、「私も最初来た時、ここで写真を撮ったよ」とさっちゃんが。
気が合うわね!



● 飛んでゆけ、のぼり

それから元来た道を歩いて、ふたたび原水駅へ。
駅前のお宅には、高いポールの先に、幟が立っていました。
(鯉のぼりの幟?それにしても下から見えないくらい、ずいぶん上まで伸ばしているんだなあ)と思ったら、「あれは、風に飛んでいくのを待ってるの。幟には、息子の名前が書いてあって、この辺りの地方では、幟が風に飛ばされたら、その子は丈夫で健やかに育つと言われているんですって」
変わった風習ですね。突風が吹いて、幟をさらっていくのを待ちましたが、見上げている間は穏やかな風が吹くのみでいた。



● カフェランチ

夏草の中をやってきた電車に乗り、新水前寺駅で降りました。
一気に交通量が増えて、都会方面に来た感じ。



そこから市電に乗り換えて2駅の、水前寺公園前で降ります。
降りたところで、雰囲気のいいCAFE LA PAIX(カフェラペ)を発見。



お昼時だったので、入ってランチにしました。



信楽焼の器を使った、野菜たっぷりのおいしいランチセットでした。



● いきなり団子の店だらけ

それから、チータの由来となった水前寺公園へ。
くまモンがおでむかえだモン。



参道には、いきなり団子の発祥の店がありました。
うう、引かれる~。



(おお~)と思っていたら、そのとなりの店は、いきなり団子の無添加の店。
軒を連ねて競っています。
気になりますが、ランチを食べたばっかりなので、さすがに手が伸びることはなく、そのまま通り過ぎました。

● 水前寺成趣園



みんな水前寺公園と言っていますが、本当の名前は「出水神社神苑・水前寺成趣園」というんだそう。
聞き覚えなーい!
台風一過でこの日はすばらしく晴れ上がり、美しい景観を見せてくれました。
日本三名園になれるくらいに、美しい回遊式庭園。回遊式といったら、金沢の兼六園が有名ですが、こちらの方がきれいな気がするなあ。
でも考えてみたら、兼六園に行ったのは冬。季節が違うので、比べられませんね。





漱石の来熊(らいゆう)120年記念ポスター。
29歳で第五高等学校英語教師となった彼は、それから4年3ヶ月、熊本で過ごしました。
「吾輩の原点は、熊本にある」そうです。そうなの…?



● 戻ってきた湧き水

とてもきれいな庭園。
湧き水の豊富な熊本。水前寺公園の池も、湧水(ゆうすい)がこんこんと湧き出ています。
水はとても透き通っていて、魚たちは隠れようがありません。
大きな鯉がたくさん泳いでいるのが、上から見えます。



水量を確認して「ああよかった、水が戻ったみたい」とほっとした声を出すさっちゃん。
地震直後は、阿蘇からの伏流水がなんと9割も減ってしまい、元通りに水がわき出るようになるのかが、熊本県民の大きな心配事だったそうです。

● 武士とくまモン

「くまもと秋のまつり」のポスター。
これを見ても、やはり熊本は武家城下町なんだなと思います。



そしてくまモンの占領下にある町(笑)。
BOSSのCMでも「くまモンだらけだねえ」と紹介されていましたね。



● 出水は泉

園内にある出水神社。出水と書いていずみと読むのは、湧水あってのことでしょう。
もしや「泉」という言葉は、もともと「出水」から来て、読みが残ったのではないかしら?



ここでは細川家の歴代藩主をまつっています。
もちろん、私の好きなガラシャ夫人も。
公園内にあるというイメージですが、「出水神社神苑」という庭園の正式名称を見る限り、まず出水神社ありきで、その神苑として水前寺公園があるわけですね。

境内は大がかりな修復中でした。
神水「長寿の水」があり、飲んでみました。
おいしい水。これがもし「短命の水」でも、私はきっと飲んでいたでしょう。
とにかく熊本の湧き水は美味しいので、チャンスがあれば飲みたいと思っています。



● そこそこ幸せ

「そこそこ幸せでありますように」と書かれた絵馬がかかっており、2人ともツボにはまりました。
「これ、いい!」「まさに、これよね!」
そう、多くは望みません。そこそこ幸せなら、満足です。
私たちも、そこそこ幸せでありますように(-人-)



拝殿にかけられたしめ縄が、デザイン性があって華麗でした。
ペンダントのようで、熨斗袋の水引のよう。



細い鳥居がたくさん並んだ稲荷神社や、京都の長岡京から移築した茅葺き屋根の茶室もありました。
「古今伝授の間」というロマンチックな名前は、天皇の弟君に細川幽斎が「古今和歌集」の奥義を伝授した場所であることから。
どんな奥義だったんでしょうね?



鯉がいて、サギがいて、鳩も雀もいて。
緑豊かな水辺で暮らすたくさんの動物たちを見て、のんびりしました。

その2に続きます。


がんばれ熊本・5か月後の町 2

2017-04-07 | 九州
1日目からの続きです。

● 台風接近中

昨晩、2人でおしゃべりを続け、3時過ぎに寝たため、翌日は10時近くになってからのんびり起きました。
気になる台風12号ですが、外を見ると空は明るく、雨も降っていません。
「大丈夫かな?」
でもTVを付けると、特番となって台風情報が流れ続けています。



食事をしているうちに、サッシがガタガタと鳴り始めました。
とうとう熊本にも、嵐がやってきたようです。



TVを見ると、いよいよ台風が九州に上陸したというニュース。
知り合いから、無事を心配する連絡が入ります。
まださほど実感はありませんが、じきに大嵐にさらされるのでしょう。
この日は外出はやめて、のんびり家で過ごすことにします。

● スピッツ強化合宿・第2弾

室内でも、することはあるのです。
さっちゃん宅にずらりと並ぶ、膨大なスピッツDVDコレクション。
今年発売された『THE GREAT JAMBOREE 2014“FESTIVARENA”日本武道館』をはじめとして、ライブDVDを何本も観せてもらいます。
つまり、去年お邪魔した時にも夜な夜な繰り広げられた、スピッツ強化合宿・第2弾!
帰るころには私もすっかりスピッツ通!?
DVDを交換する合間に、時々台風情報を確認しながら、鑑賞の時は続きます。



でも、待てど暮らせど、おそれていた暴風雨は全く訪れません。
(いえ、待っていませんけれどね)
おやおや?
空もそれほど暗くはありません。
どうしたことでしょう?
「でも油断してたらいけないよね、きっとこれからくるから」
と言いながら、お喋りとライブDVDで過ごしました。

● いきなり団子



お茶の時間に、空港で買ってきた松ノ屋本店のいきなり団子をいただきました。
いつもプレーンばっかり食べていましたが、さっちゃんはよもぎ、私は紫芋をチョイス。



餡につつまれたゴロンと大きなさつま芋が、おいしい~!
もう私、これを主食にしてもいいです。



「ここを離れたら食べられなくなるのが、残念だわ」
もうすぐお引っ越しのさっちゃんの言葉に、2人でしんみりします。
私も食べおさめに、帰りに空港で買っていこうっと。

● あやしい日本語グッズ

中国旅行帰りのさっちゃんは、謎めいたおもしろいものをいろいろゲットしてきました。
一見日本語表記と思いきや、
「くがえてきた」?



「修眉のある女性用のナ眉イフ」!
「この項美刀、便利で。」
「皆さんの愛はすこしMM見逃さないでください!」



読めば読むほどわからない~!
トンデモ日本語説明文に、おなかを抱えて笑いました。

● マツケングッズ

引っ越しの整理中に出てきたというマツケンサンバグッズ。
キンキラキーン!



こんなにグッズがそろっている彼女のお家には、マツケン衣装もあるんじゃないかと思われます!
もう引っ越し荷物にパッキングしているのかも(笑)!
いつか踊ってくれるでしょう。



見ているだけで明るくなれる、楽しいグッズたち。
自宅待機の台風の日にもってこいですね。
そんなこんなで、嵐を避けてのんびりと一日過ごしました。

● 直撃回避

夜寝る前にニュースをチェックすると、中継は長崎に変わっていました。
あれ、いつの間にか台風の進行ルートが変わってる。



予想されていたコースは、九州西岸から鹿児島に上陸して熊本を直撃し、北上するものでしたが、実際には、海からまっすぐ北上して、長崎に上陸するルートでした。
ということは、もう熊本上空は通り過ぎちゃったのね。

外はとても静かで、雨の音も風の音も聞こえません。
うなりをあげて襲い掛かってくると思っていた嵐は、すでに去ったようです。
バルコニーに出ると、もわっと熱い、尋常ではない亜熱帯の空気に囲まれます。
もう台風の気配はありません。
覚悟はしていたのに、あまり荒天を実感することなく終わった一日だったので、「思ったよりもこの台風、大きくなかったのかな?」「このまま勢力を落として温帯低気圧になればいいね」と言いながら、眠りにつきました。

3日目に続きます。