風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

雨の小江戸・川越へ

2013-05-11 | 埼玉
○ prologue
○ 関東三十六不動霊場第十番札所 田無山・総持寺
○ 蓮馨寺の空飛ぶ狛犬
○ 蔵造りの町並み
○ 時の鐘
○ めの薬師堂
○ 古刹 広済寺
○ 川越氷川神社
○ 太田道灌はカウボーイ? 
○ 川越熊野神社
○ 関東三十六不動尊霊場 成田山川越別院
○ 関東三十六不動尊霊場 喜多院
○ 仙波東照宮
○ 川越八幡宮
○ 石神井公園
○ 関東三十六不動尊霊場 三寳寺
○ epilogue
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○ prologue

「川越へ行こうと思って」と話すと、たいてい「東横線が直通運転するようになったからでしょ」と言われます。
確かに、川越市行きがよく来るようになりました。
「遠い行き先の表示を見ると、終着駅まで乗ってみたくなるよね」とも言われます。

でも違うんです。
関東三十六不動巡礼の二回目なんです。
ここのところ、神奈川の寺社を巡ることが多かったため、埼玉方面に行くことにしたというわけです。

結局直通運転でも行かないことになりました。
川越は、川越、川越市、本川越と、似ている駅名がいくつもあるんですね。
そしてそれぞれ、ちょっと離れているんですね。
紛らわしいわー。

川越の前に田無に行くことにしたので、西武新宿線で純と待ち合わせです。
早朝の歌舞伎町は、まだ眠りから醒めぬ静かな町でした。
交差点でセーラー服姿のおじいさんとすれ違いました。おじいさんだから歌舞伎町でも早起きなのかしら・・・

○ 関東三十六不動霊場第十番札所 田無山・総持寺(西東京市田無町3-8-12)

西武新宿線に乗り、まず訪れたのは、田無駅。
さほど遠くないところに総持寺(別名「田無不動尊」)がありました。
横浜人は、総持寺といったら鶴見の曹洞宗の大本山を思い出しますが、あちらは「總持寺」と書くのが正しいようです。
こちらは真言宗智山派の寺院です。



堂々とした立派な山門に出迎えられます。
大きな仁王像がいました。
邪鬼も発見しました→巡礼ブログ『田無山・総持寺の邪鬼』



古色然とした境内ですが、鐘楼は見たこともないようなモダンなデザインでした。



墓地にあった井戸。最近見なくなりました。(というかそもそも見慣れていません)



法要中だったので、邪魔にならないようあまり長居をせずにお暇しました。

○ 蓮馨寺の空飛ぶ狛犬

モーニングを食べてから再び新宿線に乗り、川越に移動します。
朝からポツポツ降り始めていた雨が、だんだん強くなってきました。

このお寺は特に予定に入れていませんでしたが、気になったので参拝しました。
ご本尊は呑龍上人。(龍を呑んだ人?)と思いましたが、捨て子の悪習を廃止し、貧しい子供たちを弟子にして育てた江戸時代に実在した人物で、信仰の対象となっているそうです。
川越七福神巡り第五札所で福禄寿神も祀っています。
大きな「おびんずる様」もいました。



すてきな手水舎を発見。→巡礼ブログ『川越・蓮馨寺の手水舎』
さらにかわいらしい、フライング狛犬を発見。→巡礼ブログ『川越・蓮馨寺の狛犬』
ああ、私をワクワクさせる、すてきなお寺です。

近くにはこんな味のある看板が。



名代焼???
さっぱり読めません。
「名代焼だんご」と読むんだそうです。へえ~。

○ 蔵造りの町並み

小江戸川越。昔ながらの町並みが保存されている通りを散策しました。





きちんとした家構えで、今でも現役で利用されているところがうれしいですが、車がひっきりなしに通っていきます。
歩行者天国にはできないものなのかしら。
特にこの日は雨降りだったため、傘をさすと道の細さが気になりました。
思ったよりも人でが多く、通りは観光客でいっぱいでした。

○ 時の鐘

川越に来たら、外せないのがこの町のシンボル、時の鐘。
寛永4年から11年(1627~1634)の間に、川越城主の酒井忠勝が、住民に正確な時を教えようと建てたものが最初だそうです。
明治26年(1893)の川越大火で焼け落ちてしまいましたが、翌年に再建されたものが現在使われているのだとか。



3層構造で、高さ約16m。
今は安全のために、通常は上まで上れないのですが、大晦日の除夜の鐘の時には、一般人も上に上がって突くことができるそうです。
ちょうどシティガイドの人が参加者に説明しているところだったので、一緒に話を聞くことができました。



今でも1日に4回、鐘が鳴るらしく、まさにその場にいる時に、12時の鐘が鳴り始めました。
なんてラッキー。6回打つ様子をすべて見守ります。
この鐘の音は、環境庁主催の「残したい“日本の音風景100選”」に選ばれたそうです。
たしかに、心に響くいい音色で、深い余韻がありました。

○ めの薬師堂

時の鐘の奥に、薬師堂がありました。
かかっている絵馬が「め め」と大きく書かれたもので、(なんだろう、め組と関係あるのかな?)と思っていたら、
薬師堂だけに、病気、特に目の病に効くといわれているそうです。
灯篭には鹿が。

薬師堂の隣には稲荷神社がありました。
しめ縄を首に巻いている、勇ましい顔のお狐さんがいました。
きちんと「阿吽」形をとっていました。



通りに「アイパー ニグロ」と書かれた美容院がありました。
なかなかなじみのない言葉ですが、先日訪れた松陰神社前にもあったので、しげしげと見ると、「能の面打ち指導」のポスターも貼ってありました。
ニグロもこさえて、能の面打ちもする。
お店の人は、ジャンルを超えて幅広い技術をお持ちなんですね。

○ 古刹 広済寺

通りを歩いていると、大きな古めかしいお寺の前を通りかかりました。
なんとなく気になったので、行ってみます。
大通りに面しているのに、とても静かで、なんだか京都の人知れぬ古刹を訪れている感じ。



狛犬ハンターの私、ここの金毘羅神社で、この日初の狛犬に出会いました。
「子取り、玉取り」です。
さらに、翼もついています。
流れるような尾の美しさ。
石座のモチーフは、天狗のうちわ。
全方面からしげしげと見入る私。そんな様子を初めて見た純は、かなり引いていました。



境内には、火伏の神として三峯神社の社もあったほか、虫歯や歯痛に霊験がある「あごなし地蔵」、咳きや喘息に効くといわれる「しわぶきばば」の石仏もありました。



額名は「青鷹山」と読むそうです。

○ 川越氷川神社

ここからさらに歩いて、川越氷川神社に行きました。
なんと古墳時代から続いているという歴史の長い神社。
祀られている素戔嗚尊(スサノオ)は水の神様だと初めて知りました。
御神水も湧き出ていました。



摂社の護国神社前の狛犬を熱心に見ていたら、神主さんと巫女さんがそんな私を眺めながら渡り廊下を通って行きました。



ここの御朱印帳がかわいらしくて気になりますが、悩んだ末に結局買わずじまい。
御朱印を集め出すと、御朱印帳も何を選ぼうかと、いろいろ考えるようになります。

○ 太田道灌はカウボーイ?

参拝を済ませて歩いていくと、テンガロンハットをかぶった銅像の後ろ姿が見えてきました。
アメリカーン。でも小江戸にカウボーイって、おかしくない?
さらに近づいていくと、なんだか鷹狩装束のようにも見えます。
カウボーイか鷹狩か、どっちなの?



気になって、そばまで行ってみると、それは太田道灌像でした。
市役所前に立っていました。ここはかつての川越城大手門前で、彼がこの城を築たそうです。

○ 川越熊野神社

秋葉神社の摂社があるので行きたいという純のリクエストにより、参拝しました。
ここにはほかに、七福神の弁天様も祀られています。
銭洗い弁天では、コインをすすいできました。
かごを持って片手で撮影したため、ぶれてしまいましたが。



なぜか稲荷神社の投げ環があり、純は「学業成就」、私は「恋愛成就」目がけて輪投げをしました。
入りますようにっ!
ところが、お互い3回やって3回とも失敗。
二人ともしょんぼりと肩を落としました。うーん、前途多難~。
それを見ていたご年配の奥様に「あはは」と爽やかに笑われ、その旦那様は、「金運アップ」に見事輪を投げ入れていました。



でも私は、ここの手水舎に目を奪われて、すぐに忘れました。
ひ、人がいる~。これが噂の、見える人にしか見えない、小さいおじさん?(いえ、鬼でしょう)
近所の人たちが世間話をしているすぐそばで、身をかがめながらぐるりと周りこんでこの手水舎を撮影していた私の様子は、なかなか怪しかったことでしょう。

この神社には、大きな山車の倉庫がありました。

○ 関東三十六不動尊霊場 成田山川越別院(川越市久保町9-2)

広々とした成田山川越別院(通称川越不動)へ。成田山最初の別院だそうです。
まだ成田山に行ったことがない私は、きょろきょろ。ここでも十分に広いです。
亀の池があり、たくさんの亀を見て驚きます。
亀戸天満宮か川崎大師かといった感じ。200匹くらいいるんだそうです。



ここに水かけ不動尊像があり、雨の中水をかけてきました。
その横には獅子像がありました。
一体だし、座っていないので、狛犬ではないのでしょう。君は一体誰かい?
本堂には、獅子舞の獅子が保管されており、鼻づらだけが見えました。



うーん、こわい。「フンッ!」と一息で飛ばされそう。
川越七福神の恵比須神も祀られています。



境内の石不動は、怒りの形相というよりは、まじめで神妙な顔をしていました。

祈祷殿ではドンドンと大太鼓が鳴り、御祈祷が行われていました。

ここの手水舎には、今度は鬼ではなく狛犬が!
喜んで撮影します。川越の手水舎は、なにかが支えているものが多いんでしょうか。
川越不動尊の手水舎の狛犬

○ 関東三十六不動尊霊場 喜多院

どんどん雨脚が強くなってきます。
この日、町なかで雨かっぱ姿の人を多く見かけました。
道が狭いので、傘よりかっぱの方が使いやすいのかもしれません。

喜多院(別名川越大師)を参拝しました。
お寺の名前は、住職を務めた天海僧正が名付けたそうです。
広大な敷地で、ここでも護摩祈祷が行われていました。

ここのご朱印帳はシックな無地に多宝塔の金刺繍が入ったものです。
中を開くと、角が生えて悪魔っぽい不思議な絵が描かれています。
これは角(つの)大師の絵なんだそうです。

角大師とは良源(元三大師)の呼び名で(悪魔とは失礼だったかしら)と思いましたが、大師が鬼の姿になって疫病神を追い払った時の姿だそうですので、あながち間違ってもいなさそう。
魔除になるんだそう。

赤い多宝塔が目を引きます。



ここの手水舎には、下で支えている人はいませんでしたが、倶利伽羅龍になっていてカッコよかったです。
両方の口から水が出ていました。



家光が建てた天海の供養塔がありました。
鐘楼門は、2階建ての階上に梵鐘が吊るされ、前面には竜の彫刻があります。
境内には鳩が多かったので、背面の彫刻も鳩かと思ったら鷹でした。(白い鷹?)(政治家?)



○ 仙波東照宮

喜多院の敷地内にある仙波東照宮を参拝しに行きます。
でも、なんと入り口の門は締まっていました。
あれ、なぜ?
諦めきれずに、石段を上がって上まで行ってみましたが、やはり開いてはいませんでした。
休日なのに。普段も締めているのでしょうか。



でも、これで私は三大東照宮を訪れたことになります。
狛犬が、石座に座らずそのまま置かれていました。
これは、下から上がってきた参拝者の目線を考えてのことなのでしょうか。
それとも単に石座が奉納されなかったのでしょうか。

○ 川越八幡宮

それから、川越八幡宮に向かいました。
ここには狛犬が2体いましたが、神殿に近い方が古めかしく、そちらばっかり観察していました。
縁結びいちょうの大木があります。



稲荷神社の狐は摩耗が激しかったですが、子供ともう片方は、「阿のまん字」を持っていました。
奥にさらに別のお稲荷さんの社があり、そこにも狐がいました。



純はストレスが多いのか、聖徳太子の風貌をした「ぐち聞きさま」の前で、しばらく日頃のうっぷんを晴らしていました。

○ 石神井公園

それから電車に乗って、今度は石神井公園前で降ります。
雨の中、公園を通り抜けて、三寳寺に向かいました。



晴れなら気持ちのいい散策路ですが、あいにくの大雨。
でもそのためか、公園の遊歩道ですれ違う人はほぼいませんでした。

○ 関東三十六不動尊霊場 三寳寺(練馬区石神井台1-15-6)

そろそろお寺の閉門時間なので、足を早めます。
本堂には誰もいないどころか、明かりもついていませんでした。



ここにも庚申様の像があります。



大きめの大黒堂があり、その前には金色の打ち出の小づちが置いてありました。



帰りは池袋で解散。
やっぱり横浜からだと、川越は遠かったです。
「でもこれで、埼玉の不動巡りは終わったねっ♪」と言ったら、純が
「チッチッ、まだ加須が残ってるし、秩父もあるし」と言いました。
わー、まだありましたー。しかも秩父ってもう山岳地帯・・・

○ epilogue

それでもこの日は、雨の中、コンスタントに4つの不動を周れた日でした。
唯一心残りがあるとすれば、川越で芋せんべいを食べ損ねたことです。
ああん、おいもー!
切ながる私を、またもや純はクールな目で眺めていました。
さて、次回はどのお不動様に会いに行けるかな。

(狛犬などのリンクがまだ張りきれていないため、後日ちょっとずつ足していきます・・・)


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