風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

平原の国ポーランドへ 7-(1) ソポト

2018-10-26 | travel
6日目からの続きです。
 
● きのこのピクルス

7日目。日本を出てから一週間経ちました。早いものです。
7時に目覚め、ゆっくりベッドで過ごしてから朝食。


にしんのトマト煮


にしんのトマト煮をリョコちゃんは取っていましたが、そういえば私は食べずじまいでした。
見ているだけで、食べた気になっていたようです。



ピクルスも、いろいろな種類がありました。
「すごーい、マッシュルームのピクルスだ!」とリョコちゃん。
たしかに、食べたことないわ~。 



毎朝2人ともティーを頼みます。
ウェイトレスさんにもう顔を覚えてもらっていて、大きなポットでサーブしてもらいました。

● ヴィラ・アントニーナ

1日どんよりしていた前日とはうってかわって、晴れやかな秋の空。
朝食後、2人で外出します。
散歩がてら、オーリさんや明治大の先生方の泊まるヴィラへ。



駅から10分ほどの場所にあるそう。
途中に吊り橋のような細い橋を見つけて、ワクワクします。



● 紫の橋

通りはこんなに広いのに、一気に細くなる橋。
山あり谷ありの道を通っていく、マリオな気分。
欄干が紫色というのが、日本の感覚とは違いますね。



別荘地をてくてく歩いていったところに、目指すヴィラ・アントニーナがありました。



まさにヴィラといった、すてきな洋館です。

● アバンギャルドなロビー

入口を入るとすぐに、ロビーの前衛的な壁紙と床のデザインに目を引かれました。
え、外観とずいぶん雰囲気が違わない?
ストライプとチェックの個性のぶつかり合いがすごいわー。
「不思議の国のアリス」の世界に入り込んだようです。



そこに、こちらのグラマラスなご婦人方がお座りになると、さらに迫力倍増!
食後でおなかいっぱいの上に、さらに満腹になった気分です。



ちなみに私たちが泊まっているホテルのロビーはこちら。
時が止まっているかのようなクラシックさでいっぱいです。



● 仕事のインタビュー

オーリさんの師匠の教授部屋にお邪魔しました。
ロビーのようなお部屋だったら、はたして安眠できるのかしらと思いましたが、がらりと変わって、薄いピンク色を基調としたファンシーなツインルーム。
バルコニーつきの、明るいさわやかな空間で、すでにパッキングを済ませたお部屋はきれいに片づいていました。
リョコちゃんはそこで、もう一人の教授を含めた3人で次の仕事の打ち合わせ。
私はそばで、そのやりとりを聞いています。

オーリさんの姿が見えないなと思ったら、彼女の部屋で電話中とのこと。

先生方の帰国日に、台風が本州を直撃するそうです。
無事に飛行機が日本に着いたとしても、四国へ帰るオーリさんは、成田から羽田に移動して国内便に乗り換えなくてはなりません。
都内に一泊する予定だったそうですが、台風状況を見て、国内便を1日早めるために、航空会社に国際電話をかけていました。

外は突き抜けるようないい青空で、バルコニーからキラキラの木漏れ日が入ってくる、気持ちのいい朝です。
ですが、遠い日本には大型台風が接近中。
今回の台風はかなり大変そう。
今、日本は何時なのかわかりませんが、便の変更をし終えたオーリさんが、ほっとした様子で登場しました。

● ソポト目抜き通り

打ち合わせ終了後、先生方はヴィラをチェックアウトし、みんなで駅の方へ向かいました。
前日の夜に食事をしたブルワリーの外観。



海に続くこの道を、私は毎日通っています。
でも、連日学会に参加していたリョコちゃんは、まだ一度も通っていません。



そろそろ、ダニエルとの待ち合わせ時間が近づいてきました。
ランチをしてからワルシャワに向かうという先生方とここでお別れして、ホテルに向かいます。
皆さん、お元気で~。台風に当たりませんように。

● グディニャへ

ダニエルとマルヴィナが、ホテルの前で待っていてくれました。
リョコちゃんを紹介して、ワーゲンに乗り込んで4人で出発。
彼らが住むグディニャに向かいます。

少し行くとにぎやかな通りになり、大きな白い建物が見えてきました。
市役所だそう。
ソポトのクラシカルな建物とはずいぶん違って、いかめしい感じ。共産主義的~。



建物の上には、市章が掲げられています。
二匹の魚と剣のデザイン。

グダンスクはネプチューン、ソポトは鳥、グディニャは魚。
どの市章もステキだわ。

● Emigration Museum

海沿いにある移民博物館(Muzeum Emigracji w Gdyni)をどうしても見せたいと、2人は言います。
両親がベルギーへ渡ったダニエルと、祖父がアメリカへ渡ったマルヴィナ。
2人とも、移民のルーツを持っているからでしょう。
マルヴィナがここの建物の人と知り合いで、顔パスで入れてもらいました。

ここもまた、共産主義時代を思わせる重々しい建物。
こういうドーンとした迫力の建物、日本にはそんなにありませんよね。
今思い出せるのは、皇居前にある旧GHQ本部の第一生命館くらいです。



二つの大戦を経て、ポーランドの人々が世界各地に散っていったことが、地域別に細かく紹介されています。
ポーランドルーツの人は世界各国にいるんですね。
国を出て行ったポーランド人の中に、ショパンの姿もありました。
パリに居を移した彼も、移民というくくりに入るのでしょうか。



大きな建物は、船のようでもあります。
グダンスク、グディニャはかつて自由港として栄えました。
海運都市で、船舶技術がどんどん発達していったこともわかります。


船のパネル


● ポーランド人街


移民船


19世紀から20世紀初頭にかけてアメリカ大陸に渡った彼らは、1870-90年代には汽車に乗って内陸のシカゴに行き、大きなコミュニティを作り上げました。
アメリカ大陸横断鉄道の開通によるところ大でしょう。



世界で一番大きいポーランド人の町は、首都のワルシャワ。
2番目はどこかというと、クラクフでもウッチでもなく、なんとシカゴなんだそうです。
うわ~、意外。
今でもシカゴのポーランド人街では、英語を使わず、ポーランド語だけで生活できるそうです。
英語至上主義のアメリカなのに!

● ポルスキ・フィアット

数日前にウッチに大集合してパレードをしていた、ポルスキ・フィアットが陳列されています。
車の横に解説員が控えています。
向こうでは、電話ボックスでポーズをとるダニエルをマルヴィナが撮影していました。



訪問者のサイン帳があったので、2人で感想を書いてきました。
ここは異邦人的らしく、日本語でね!



リョコちゃんと私は、ここでポーランド史の流れを学びました。
ヨーロッパの人たちは、ここで自分のルーツを確認するのでしょう。
今回の旅では、ユダヤ人墓地と移民博物館を訪れて、ポーランドの重い歴史を知りました。

● グディニャの海

建物の外に出て、グディニャ港を眺めます。
ソポトの浜辺とつながっていますが、また違う光景です。



向こう側の岸の高台に、彼らの家があるそうです。



おなかがすいてきたので、再び車に乗り、まずはガソリンを入れに行きました。
ポーランドのガソリンスタンドの機械からは、ビルが出るだけ。
それを持ってレジまで行き、精算する仕組みです。

● グダンスク内へ

グディニャを離れて、ソポト方面に向かいます。
昨日私が歩いた山道を上がって、水車小屋のところまで行き、「こういうクラシカルな建物も残っているよ」と教えてくれました。

そのままソポトを抜けて、グダンスク市内に入りました。
Tricityと呼ばれる3つの都市を、一度に通っています。
 
● コーカサス・ランチ

着いたのは、彼らおすすめのコーカサスのお店、Kuchnia Kaukaska
レジスタンスのアジトのような場所。
ここは、自分たちでは探せないし、入る勇気もないなあ。



ケフィアのような、酸味の強い白いドリンクを飲みました。
コーカサスなら、やっぱりヨーグルトでしょう。



ダニエルにオーダーを任せると、ピエロギの応用編のような料理が次々と出てきました。
蒸したり焼いたり、調理法もいろいろ。どれもおいしい!



ポーランドのラグマン(スープ)を飲みます。



もはや、ランチパーティです。



モリモリいただいて、おなかパンパン。

● 待ち人来たらず

ダニエルの母イゾルダは、26日にギリシアでの撮影仕事を終えて、27日にポーランドに来ると聞いていました。
ところが長いハードな仕事が終わって疲れてしまい、ベルギーの彼女の家に帰ったそう。
そんなわけで、残念ながら、彼女とは会えなくなってしまいました。

そこで、彼女へのおみやげを、日本のスイーツと一緒にマルヴィナにプレゼント。
いろいろとガイドをしてくれて、ありがとう!



ソポト駅の切符売り場に行き、翌日のワルシャワ行きチケットを、ダニエルの助けを借りて買いました。
それからグランドホテルまで送ってもらい、2人とキス&ハグでお別れしました。

その2に続きます。


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