風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2012-11 福井いにしえのドラマ1-1

2012-11-04 | 中部(北陸)
○ prologue
○ 小松駅
○ 福井城址(福の井)
○ 一乗谷朝倉遺跡
  ・復元町並
  ・越前朝倉将棋
  ・ジオラマ
  ・橋飾り
○ ラリーニッポン2012
  ・瓜割清水
  ・朝倉館跡
  ・唐門
  ・湯殿跡庭園
  ・諏訪館跡庭園
  ・上城戸と下城戸
○ 朝倉義景、そして越前から見る戦国武将


○ prologue

福井県の一乗谷朝倉遺跡で行われる「戦国あさくら市」にご招待いただき、日曜日に行って参りました。
(片山津温泉に行ったことがあるから福井は二度目~)と思ったら、片山津は石川県でしたね。
つまり、福井を訪れるのはこれが初めてです。

知らせを受けたのが直前だったため、弾丸日帰り旅行になりました。
横浜から北陸って、なかなか行きづらいものですね。
新幹線だと、京都や滋賀から北上する形になります。
うーん、北陸って遠いんだわ。

○ 小松駅

今回は、小松から北陸入りしました。
「空港と駅は少し距離があって、駅にはなにもないよ」と言われていた通り、なにもない駅でした。
(それでも、なにかはあるでしょう)と、駅前を散策してみたところ、弁慶の銅像が。
隣にいるのは、義経ではなく、富樫でした。男と男の間に、張り詰める緊張感。
ここは安宅の関にほど近い場所なのです。



ホームからは、巨大なブルドーザーが見えました。「こまつの杜」と書いてあります。
隣には、KOMATSUと書かれたビルがあります。
ん?小松製作所のこと?本社はここなのかしら?
後で調べてみたら、現本社は赤坂ですが、発祥の地はここ小松で、企業城下町になっているそうです。



○ 福井城址(福の井)

そこから特急で福井まで30分。待ち合わせの時間まで少しあったため、車窓から見えた福井城址に向かいました。
ここは家康の次男で初代福井藩主の結城秀康が築城し、石垣とお堀のみ現存しています。





石垣内の本丸跡には県庁と県会議事堂、県警がありました。
金沢城址内にはかつて金沢大学が置かれていたのは知っていますが、福井県庁がお堀の中にあることは、知りませんでした。
職員は、気持ちがいいでしょうね。テロが起きても籠城できるし(!?)



天守台の遺構のそばには「福の井」という井戸が残っていました。
「福井」の語源の由来だという説があるということで、来てみたかったのです。
思ったよりも大きな井戸で、覗くと水が見えました。



○ 一乗谷朝倉遺跡

駅前で、県のご担当者ワタナベさんとお会いし、会場へと向かいました。
softbankのCMですっかりおなじみの一乗谷は、戦国時代には朝倉家の拠点であり、熾烈な戦いが行われた場所。
名門朝倉家は初代孝景から5代義景までの100年にわたって一乗谷で栄え、城下町も人口1万人に上る大きなものでしたが、1573年の織田信長との一乗谷の戦いで、滅び去りました。

その後は長らく水田や畑地に使われていましたが、遺跡の発掘調査が進められ、今では四百年前の戦国城下町が復元されるに至っています。
ここは、国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けた場所で、そんな場所はほかに京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、広島の厳島神社の4箇所しかないそうです。

地図で見ると、一乗谷は高い山々で囲まれた長細い地形で、まさに自然の要塞といったところ。
地の利を得て、朝倉家が発展したことが伺えます。
278ヘクタールという広大な面積で、じっくり見ると一日がかりになりそう。

・ 復元町並

復元町並は「戦国あさくら市」のメイン会場。当時の衣装姿の人々であふれ、一気に時代をさかのぼった気分になりました。



ここで、今回のご担当のミタケさんにお会いしました。町娘の格好でご挨拶していただいたため、なんだかタイムスクープハンターになったような、不思議な気分です。
柱に大工がつけた模様や、染物屋の大甕、茶室などがきちんと再現されていました。
町人の町屋と通りを隔てた大規模な武家屋敷の対比もなされています。



これらは、発掘された石垣や礎石を使用しているとのことです。とってもリアル。

・越前朝倉将棋

ワタナベさんに「将棋の駒も出土されました」と教えていただき、陳列されている大駒を見ます。



「酔象(すいぞう)って、聞いたことありませんが」
「今の将棋にはないですね」
「どうして無くなったんでしょう?」
「それがあると、いつまでも勝負がつかないからだそうです」
なるほど、それは困りものの駒ですね。

・ジオラマ

遺跡のジオラマがありました。建物がびっしりで、繁栄のほどがうかがえます。



まだ発掘復元中の箇所も多く、井戸の跡がたくさん出ているのが印象的でした。
一乗川にほど近い場所にありながら、それぞれの家一戸一戸に水を引いているというところに、生活水準の高さを感じます。
瓦が出土されなかったため、木の屋根に石を置いていたと推測されるそうです。



復元町並みを上からのぞくと、とても風情があります。
時代劇にも使われそうですね。



今は、すぐ横の道路を車が通っていますが、ゆくゆくはマイカーを規制して、遺跡内部には低公害バスのみを通すというパークアンドライド案も出ているそうです。
さらに、道路沿いの電柱をすべて地中化するという計画もあるとのこと。
そうなると、一層昔の風情が蘇ることでしょう。

・橋飾り

一乗川に架かる橋は、どれも橋下に木の飾りがついています。



「これも当時の雰囲気を出しているんですね」と言ったら、「実はあれで、橋の下を通っている水道管などを隠しているんです」と教えてくれました。
なるほどー。景観を損なわない、グッドアイデアです。

○ ラリーニッポン2012

ちょうどこの日は、クラシックカーラリーイベントが行われており、朝倉遺跡が立ち寄り場所になっていました。



福井駅前でも何台か見かけて(おや?こちらの人はずいぶんレトロな車に乗るんだなあ)と思ったら、彼らは前日、京都の上賀茂神社をスタートして、ここで昼食休憩を取り、岐阜へと向かうそうです。
ここは2012ポスター撮影の場所になった、今年の代表ポイント。唐門前の車はランボルギーニ・ミウラ。



ピカピカに磨かれたクラシックカーと渋い一乗谷は、しっくり合っていました。
6日、靖国神社でゴール予定だとか。イギリス紳士のようで、優雅だわー。
ファンがたくさん集まって、勢ぞろいした80台をファインダーに収めていました。



ラリーニッポン2012 DAY2

・瓜割清水

ラリー会場の奥には、瓜割清水がありました。
こちらには誰も人がいません。
底まで見える透き通った水が古来より湧き出ている場所。



「瓜割って地名ですか?」と聞いたら、「瓜が割れるほど冷たい、という意味です」と教えてもらいました。
「瓜割の滝とかありますよね」・・・知りませんでした。
「本当に瓜って冷たいと割れるんでしょうか?」
この問いには、ワタナベさんもわからないそうです。

あとで調べてみたら、瓜割の滝は、若狭の天徳寺にあるそうです。
瓜割の湯という銭湯も福井県内にあるようだし、瓜割と名のつくものは、福井に集まっているのかもしれません。

・朝倉館跡

それから、石段を登り始めました。



どんどん山道を上がっていくため、(も、もしや、これから一乗城に向かうのかしら?けっこう高い山城と聞いているけど)と思ったら、途中で上り道からそれました。



案内されたのは、朝倉館を上から見渡せる場所でした。
朝倉義景の屋敷で、今残っているのは遺構のみですが、それでもかなり広いことがわかります(1900坪)。



朝倉義景は戦に向かないものの、文化人で、将軍足利義昭の滞在のために、裏山を削って屋敷を増築し、能舞台などを造ったそうです。
敷地内からは16棟の建物跡が発掘され、将軍の元服式も行われたとのこと。

・唐門

今では朝倉氏遺跡のシンボルとなっているこの唐門。



朝倉館跡の入り口に立っていますが、朝倉館の門ではなく、朝倉氏が滅んだ後に菩提寺として建ったお寺のものだそう。
江戸時代のものですが、苔むしており、十分古めかしさを醸し出しています。



そういえば、CMでお父さん犬がこの門の前をダッシュしていましたね。



・湯殿跡庭園

ここは、義景の母親の屋敷があったとされているそうです。
池の石の大きさに驚きます。



亀石、鶴石などと縁起のいい名前で呼ばれる石もあり、故岡本太郎氏がひどく気に入って、数時間この石の前から動かなかったそうです。
インスピレーションを感じたんでしょう。名前はこの庭園そばに湯殿があったからだとか。

・諏訪館跡庭園

朝倉館跡の隣の湯殿跡庭園のさらに隣に、諏訪館跡庭園がありました。
ここには義景の側室、小少将の屋敷があったと聞いて、「なるほど、やっぱり側室よりは母親の屋敷を身近に建てたんですね」と言ったら、
「でも義景は、戦の意欲がなく側室にべったりだったんです。しかも小少将も魔性の女だったようで」とワタナベさん。
「うーん、楊貴妃みたいですね」





先ほどの湯殿跡庭園は、ダイナミックな巨石の配置が印象的ですが、この庭園は、優美さを感じます。
池泉回遊式庭園で、ぐるっと周ってみました。
私は岡本氏とは違って、こちらの方が好みだわ。

・上城戸と下城戸

この前のCMでトミー・リー・ジョーンズが歩いたという道を教えてもらいました。
滝のシーンは、佐々木小次郎がつばめ返しを考案した一乗滝だそうです。
小次郎は、山を二つ越えたところにある家から、一乗谷の師範、冨田勢源の道場へ通っていたそうです。タフね!



発掘途中の場所を見学しながら、上城戸跡の土塁を通ります。
朝倉遺跡は一乗谷の上城戸と下城戸で区切られ、そこが玄関口となっていました。
今の入り口は、一乗谷側が注ぐ足羽川川ですが、そちらは下城戸。
下城戸の方が、メインの入り口なのに、なぜ山側の上城戸が正面玄関とされるのかと聞くと、「こちら側の方が京都に近いから」だそうです。
なるほどー。
当時は、応仁の乱の戦火から逃げてきた貴族たちから、一乗谷に雅な文化が導入されたとのことです。

○ 朝倉義景、そして越前から見る戦国武将

浅井長政が好きな私。「なぜ長政は最後まで朝倉義景を見棄てなかったんでしょうね?」とワタナベさんに聞くと「"いいかげんにしろ"と何度も思ったでしょうね」と苦笑交じりに話されました。
地元福井県人のワタナベさんは、それでも敗軍の将びいきかと思いましたが、そんなことはなく「せっかく建てた山城で徹底抗戦することもなく、家来を見棄てて逃げるなんてとんだ武将だ」と、クールな評価をしています。

世の歴史好き男性は、概して織田信長ファンが多いため、あえて聞いてみましたが、一乗谷だけでなく、この地方あちこちを容赦なく焼け野原にしてしまった信長は、福井の人にはとても評価が低い様子。
「加賀の前田利家も、この地を蹂躙したので、よく思われていませんね」
そうですか!豊臣政権の五大老としての利家は、最後の家康ストッパーとして好きですが、槍の又左時代はあまりよく知りませんでした。
そういえば信長の小姓だったんでしたね。金ヶ崎の戦いや姉川の戦いもありましたね。
すぐに連想できないなんて、まだまだ歴史勉強不足です。



それでも、御当地武将に誇りを持てないのは残念なこと。
「朝倉義景は、武将の器ではなかったかもしれませんが、文化人だったんですね」
東山文化の将軍足利義政のような感じでしょうか。
文化人という側面から、これから評価されるかもしれません。

戦いに明け暮れた戦国武将は、見る立場によって、英雄に思えたり卑劣漢に思えたりするものです。
『天地人』でも負けた側が主役になったことですし、浅井・朝倉両氏などで大河ドラマになったりしたら、一層この地も盛り上がりそうです。

1-2へ続きます。


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2 Comments

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こんにちは (みわピー)
2012-11-10 12:12:24
お久しぶりです。
実は私も11月1日、2日と福井に仕事で行ってたんです。職場が福井県と提携を結んでいまして
「ふくい 味の週間」のイベント準備で、
福井県庁内で仕事してました。
城跡に県庁があるのには驚きましたね。
福井は豊富な食材があって、素晴らしいです。
献立のアイディアもどんどんわいてきますよ。
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ニアミスだったのね (リカ)
2012-11-12 10:55:59
みわピーさん、こんにちは~!
なんと、ニアミスだったんじゃないですかー!

日本中の味の追求をしているのは知っていたけれど、現地に行くこともあるのね。
お堀の中でお仕事したなんて、気持ちよかったでしょう(笑)。

北陸はやっぱり魚介類が豊富!
また食べに行きたいな~♪
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