17日の午後から、マスコミはあわただしく、彼、木本龍雄こと、かつての超アイドル歌手であった西城秀樹の前夜死去の一報を受けて、動き始めた。
もう、63歳にもなっていたのかあ・・・・
そう誰もが感じたであろう程、まだまだ若いイメージ。
2度もの、脳梗塞発症。ソレによる、しゃべり方のおぼつかなさと、歩行の困難さ。
が、しかし、まだ63歳という若さ。末期がんでもない限り、そうそう、死期を迎えるなどとは、誰も予想しなかったに違いない。
確かに、今になって、詳しく、重度の脳梗塞を調べ尽くすと、心臓・鼓動の停止危険性に突き当たりはする。
だが、82歳にもなった、この有名人を見て戴きたい。
右手、右半身が不自由。いつも、外出時には、右手をポケットに突っこんだまま。
今や、時代の寵児ともなった、大谷翔平と逢った際も、この様子。
だが、週に4日間。人知れず、リハビリを続け、筋力を落とさず、神経を絶えずジムで刺激。
「イチに、イチに」と、声を出しながら、随行者と共に、雨風の激しい日以外は、数キロにわたる歩行訓練を、今もって続けている。
西城秀樹も、リハビリに励んでいたらしい・・・・のだが。
16日深夜、11時53分。急性心不全。、横浜の病院のベッドで、18歳も年下の妻・美紀と、2男1女の家族に見守られて、3週間の闘病の末、意識が回復せぬまま、この世を去った・・・・・・・。
死去の報道がされた17日の深夜、すぐさま、NHK「ラジオ深夜便」が反応。
歌の特集変更で、急きょ、西城秀樹のヒット曲集が組まれた。
古参の女子アナ、迎康子(むかい やすこ)が、言う。
「ひとつの時代を、作った方でしたねえ」
「(彼の歌った)歌は、永遠に生き続けるであろうと想います」
「まだ、63歳と言う若さで・・・・」
その、迎康子。67歳。西城の姉の年代。それだけに、その想いは、強かったであろう。
次々に、繰り出されるヒット曲の数々。
おう、おう、コレもか!そうだったなあ・・・・
音痴のアイドル歌手や、グループが、まだ出ない時代。歌が、本当に一般大衆に聴かれ、歌われ、口ずさまれ、ヒットしていた時代の寵児であった。
冷酒をあおりつつ・・・・しばし、感慨にひたった。
西城への、単独インタビュー経験は無い。無いので、ホントの性格は、掴めていない。
この安藤優子が、リハビリ時期の西城へ、インタビューした映像が短く流されたあとの姿が、ネット記事では、「安藤優子 号泣」と出ていたが、オーバー過ぎ、デフォルメ過ぎ。
このように、当時を想い出して、涙ぐみ、涙声になっただけのこと。
まったくもう・・・・・ネット記事ってさあ・・・・・。
なんで、安藤を引き出したかというと、偶然か。
かつて安藤が、妻子ある男と密会し、逢瀬と体を重ねるために借りていたチン待マン・ションが、代々木上原から歩いていけるところに建っており、
なんと、西城が、歌手デビュー以来、丸12年間、お世話になった「芸映」を出て、個人事務所を起ち上げて独立したのだが、現在の事務所の所在地が、そのチン待マン・ションの近くだったから。
ちなみに、安藤。
偶然は、確かに偶然、奇縁。
上記の如く、妻子ある男性と、恋愛関係に溺れては、俗に言う「略奪婚姻」をし・・・・・。
で、・・・・離婚、別離。
もう、懲りたかと想うと、股、また、妻子ある男と、そ~ゆ~関係に溺れて・・・・・再婚という、世間からみると、懲りない特異性格女性。
残され、夫を奪われた妻、父を奪われた子ども達のことは、どう想っているのだろうか・・・
このように、涙もにじませることは、自身の跡に残した人たちのことに関しては、無いのだろうか・・・・
そ~ゆ~キャスターが、芸能・事件ワイドショーに、低視聴率で、何度も、降板を噂されながらも、しがみついているという現実。
その愛の部屋。3階建てぐらいの、2階の角部屋。
玄関も、廊下の行き来も外から丸見えで、張り込みやすかった。
借りてる駐車場は、外にあるし。歩いてくる姿は、見えるし。
余談、おわり。
ちなみに、西城のファンクラブは、事務所と離れた下北沢にあり、賃貸マンションの一部屋、
週に3日。昼に、1時間のみの、電話応対。
現状にあった規模。そう言えよう。
で、表題の、葬儀会場。この、「青山葬儀所」で、執り行われる。
通夜は、5月25日(金)、午後6時から。
告別式は、翌26日(土)、午前11時から。というスケジュール。
支払われる総経費、約348万円から400万円。
個人事務所のスタッフだけでは、まかないきれないであろう。
かつて在籍した「芸映」。ならびに、「音事協」の手も借りての、最初にして、最期の一大事業になるはず。
一方、おそらく、取材陣が、大勢駆けつけ、多くの花々と、芳名名札で飾り付けられた式場の入り口右側に集められ。参列した芸能人が、焼香を終えて出てくるところを撮影。
誰もが知る、歌手やタレントは、車で式場前にまで車を回して、停車させ、並び、待つことなく、すぐさま焼香。
関係者に、お義理の慰めの言葉を掛けて・・・・さあっと、車を再び回してもらって、帰ってゆく・・・・の、光景の繰り返し。
取材幹事社が、コレと想う人物やマネージャーと、その場で交渉し、承諾が取れた人物を、右隅に誘い、扇形に広がった、狭い囲み取材の場に誘い出し、そこで、西城の在りし日の、想い出を聞く。
先の安藤優子のように、涙声、涙ぐんで話し、ハンカチで涙をぬぐってくれたもんなら、いわゆる「絵になり」オンエアされる可能性大。
このような時、内心、喜んで来るのは、知名度が落ちた、すでに人気無くなった芸能人、
森光子の葬儀の前。
三波豊和という、元と付けても良いような芸能人が、自身のブログに打ち込んだ。
≪明日は、かつて自分も出演した舞台の、森光子さんの葬儀があります。参列し、記者たちに囲まれて、当時の想い出を語るつもりでいます。
皆さん、僕が久々に映るはずの、テレビのワイドショー。楽しみにしていてください≫
・・・・・・・・・
あきれ果てた。
この男。故・三波春夫(歌手)の息子。
父の、まだあった人気と威光をかさにきて、傍若無人な言動と振る舞いを重ね、父の生前時、業界には不評知れ渡った息子。
いまだ、そう感じとられていないと想い込み、気付いてもいない彼。
ものの見事に、幹事社は目もくれず、カメラマンは、見かけても、シャッターも切らず・・・・・。
かと思えば、毎度毎度、快く、コメントに応じた、中村メイコ夫妻。
もう、話す、話してくださるう!
確かに芸歴長く、あらゆる芸能人との想い出、数限りなく有るんだろうけれど・・・・。
内心、多くの記者たちが、感じていた。また、かよ・・・・・。
便利で、助かる。活字には、そこそこ、なる。
んだけど、人間って、ホントに悲しければ、そうそう、ペラペラ話せないものでは、ないだろうか・・・・。
「葬式おばさん」。わたし、ひそかにそう、心で呼んでました。
そんな雰囲気を、察知したんでしょうか。
とある時期を最後に、プッツリと迎える輪の中に来なくなりました。
近年は、故人の特集番組などで、テレビで、しゃべりまくってます。ギャラ。当然、取材時と違い、振り込まれてます。
さて、そんな人間模様、芸能人模様の中。
ひょっとして!と、危惧してるのが、ホントの秀樹ファン、本当に心から悲しんでいるファンの方々無視の愚挙が強行される・・・・・のではないのか?ということ。
右端の白いのは、報道陣用などの、テントか。
普段はもちいないが、雨の時や、炎天下の日などは助かる。
そして、故人が、有名芸能人であればあるほど、「参列者との、混乱を避けるため」と称して、式場から遠く離れた、広い敷地駐車場の右の端の片隅にテントを立てて、そこにミニ祭壇を造り、そこで、「一般人」や「ファン」に、一輪の造花を持たせて、祭壇に置いて、礼をさせて、あわただしく帰宅してもらおうというやり方。
コレ、本当に目に付く、毎度、毎度。
全国各地から、やっとの思いを胸に、訪れたというのに、業界人や芸能人と、区別、差別された挙句、足早に追い立てられるようにしている。
式場の模様は、な~~んにも、分からないまま、帰らせられる。
その芸能人が、エラソーで、普段から、ヒトを区別、差別する人だったら、分からないでもない。
だが、「分けて」「隔てる」意識のまったく無かった、原田芳雄の葬式の時、ソレを家族が執り行った時にはガッカリした。
記事化した。
混乱と一口に言うが、芸能人の葬式に、マスコミや関係者が想うほど、一般のファンは来ない。
報道は、大体、来場した人数の、1・5倍から2倍の数を、平気で書く。目分量もせずに、主催者に言われるままに、盛大に、「盛る」。
だが、本当に悲しんでいて、本当にその芸能人を、食べさせたのは、その遠くに追いやられた、ファンなのだ。
お義理で、仕事意識半分で来た業界の人達や、芸能人仲間では無い。
その「一般ファン」を、業界向けの式典が終わった後、ホンモノの式典会場に招き入れればいいだけのハナシだ。
混乱など,起きようもない。
日本人は、耐えて、並んで、待つ。
ファンは、耐えて、並んで、ひと目、ホントの祭壇見たさに待つ。
ましてや、・・・・西城秀樹のファンは、いまや50歳代後半から、60歳台のオバサンたち。
子育ての手も離れ、かつて青春の炎を、「ヒデキ」に燃やし続け、今、これで自らの在りし日の青春にも、別れを告げようという儀式も兼ねているはず。
混乱は、出棺の時だけ。
想いのたけを、叫ぶ。その短いひとときだけ・・・・。
今夜も、読み継がれている、北公次の、葬祭場の駐車スペースで行われた「ファン葬」こそ、すばらしく、胸打つものであった。
ヒデキも、彼女らによって、支えられて来たのだから。
遠く、離して、「分けて」「隔てて」・・・・は、やらないで戴きたい。
18日、各所に問い質してみたが、いまだ、詳細は決まっていない。決まっても、教えられないの、一点張りであった。
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過去に、素晴らしい葬祭、まさに文字通り、本当の意味でも、「お別れの会」が開かれたことがある。
会場は、同じ「青山葬儀所」であった。
日時は、2012年10月22日。
稀代の、唯一無二の名優、「大滝秀冶(ひでじ)」さんの「お別れの会」。
葬祭式場では、おごそかに、式典が執り行われていた。主催は、「劇団 民藝」。
その模様は、すべて先のテントの右横にある控え室に、イスを並べて、
一般の参列者や、ファンを座らせて、ナマ同時中継の大型テレビで見せていた。
もう一つの大きな画面には、大滝さん、最期の舞台を収録したものが、流されていた。素晴らしい、演技がじんわり伝わる、
イスが足りなくなり、立つ者も。外国人も、多く、目に付いた、
故人の想い出を語り、寄せられた弔辞を読む、日色ともゑらも見せる。
故人を語る、奈良岡朋子さん。この女優の心配りによって、ファンもお別れに同時参加させるという催しになったと、伝え聞いた。
ご遺族も、映しだす。御自宅で、いろりを囲んで、3時間もの、ロング・インタビューが出来たことを、想い起こす。
そして、関係者を全員退席してもらい、帰ったのち、控え室にいた一般人&ファンを呼び寄せ、並んで、式場に入ってもらう、
さらに、廊下、通路には、大滝さんの在りし日の写真が並び、飾られていた、
献花が終わるのなんて、アッと言う間。
混乱も、何も、起きはしない。
想い出にひたり、お別れが、それぞれの胸の中で、心のなかで幕を閉じることが出来ていたようにみえた。
素晴らしいものであったように、今も想う。
永遠のアイドル&スター。西城秀樹の式典にしても、控え室で、テレビで流れを見せて、大型ビジョンで、元気な歌声や、青春の日々を共有出来るようなものを、編集して、待たせてみせれば良い。
合掌は可だが、合唱は禁じて、
業界の式典が終わり、退去させたのち、ファンを招けば良い。
中年熟女。暴走は、しやしません。はみ出しません。わずか、15~20分足らずで、済みます。
通路に、想い出の写真を並べ飾り。。。。。。
彼女たちにも、青春との決別を遂げさせてあげても、いいじゃないですか。
やられれば、長く、永遠に、言い伝えられる式典になると想います、
業界、あっての西城秀樹ではないのです。
ファンあっての、彼女たちがいたからこそのスター・・・・だったのです
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≪ 2018・5・21 追記 ≫
上記、告別式。
午前11時から、午後1時まで、2時間の余裕を持って、スケジュールが組まれている。
ならば、上記、「劇団民藝」の「お別れの会」のように、業界関係者や、芸能人らの形式的セレモニー御焼香が終えたあと、退席していただいて、長年のファンの焼香が本式場で、可能である・・・と、思われる。
過去の取材実態に照らせば、充分可能だ。
で、その点について、西城の個人事務所に聞こうと想った。
その前にと、事務所のページを、検索。
えっ! 驚くような、表記が見られた。
「フアンの皆様へは、別途焼香台の、ご用意がございます。ご来場いただければ、幸いです」
ああああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この一文は、18日付けになっている。
見たはずなのだが、このくだりは見かけた記憶が無い。
追記されたのか。当初からあったのか?
そのことも含め、事務所の人間に、聞いておきたいと想った。
事務所に電話を入れたところ、すでに、この電話番号は、使われておりませんとの、機械的、アナウンス。
代わりに、とある、携帯の電話番号がアナウンスされた。
一息ついて、掛け直した。
男性が、出た。
電話のことについて聞くと、
「いえ、事務所は、閉じておりませんし、業務は今後も継続いたしております」
---では、なんで、このような・・・・
「・・・忙しいので、ちょっと」
---では、もう1点だけ。告別式について
「忙しくしてますので。忙しいので。すいませんが、コレで、切らしていただきます」
はあ?
・・・・・・・・・
そりゃあ、多忙なのかも知れませんがねえ。
また、ヒデキの場合も、広い駐車場の右隅の奥に、テントをしつらえて、そこのみでの焼香かよ。
ヒデキの、末期の、「意思」であろうか・・・・・・
そうは、思えない。そうは、思いたくない。
喪主である、妻・美紀、及び、遺児3人の意思なのか。
アイドルからスタートした、彼の生活基盤を、レコード、チケット、グッズ、CD、あらゆる収入で支え、再起を誰よりも願う心が、さらにその名を、維持させた。
などなど、低迷期、病床期を除き、実質約40年間。支え続けたファンを、区別して、差別して、分けて、隔てて、「分け隔てして」か・・・・・・・・・
たまらんなあ・・・・・
混乱も無く、午後1時には、滞(とどこお)りなく終われる・・・はずなのに・・・・
ファン無視の、愚挙。強行かあ・・・・
西城秀樹こと、元もとの国籍は関係なく、日本人・木本龍雄の、人生のけじめが、コレなのかあ・・・・・
無念の思いが、渦巻いております
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≪ 2018・5・22 追記 ≫
本日、週3日。わずか、正午から、たった1時間、電話受付、応対をしている・・・はずの、「西城秀樹 ファンクラブ」。
問い合わせ電話が、全国から殺到しているのに・・・・誰も出ない。居留守ではなく、呼び出し音が鳴るだけ。
コレって・・・・ここもまた、ファン無視、か。
残る、会費の問題,回避して、知らぬ存ぜぬのつもり・・・・には、ならないことを願うばかりだ。
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< 2018・5・25 追記 >
本日、通夜、か・・・・・・・・。
ネット上の記事によれば、司会を、徳光和夫。そして、弔辞(ちょうじ)を、野口五郎が読む・・・そうな。
もう、故人をしめやかに、心ひそめて送り出すというより、さながら、芸能ワイドショーのための、見せるイベント、か。
いつのまにか、当人の弁によれば、「泣きの徳さん」と、業界内外で呼ばれ始めた頃は、意識して、いくぶん演技で泣いていたのが、近年は、年齢のせいか、無理せず、涙もろくなってきて、すぐ涙が自然に出てくるようになってきているとのこと。
とはいえ、すでに77歳と老齢になった身が、まだ63歳の男を送る役目を担うとは・・・・・・。
晩年どこまで親交があったのか? 疑問だが、郷ひろみも参列予定と報じられており、ワイドショー引きつけ策としか思えない、むなしさが胸をよぎる。
ヒトとしては、徳光、野口。
どちらも、とても良い性格の持ち主です。
だから、「起用」されたし、承諾したんでしょうが・・・・・・。
で、やっぱり、一般参列者。つまり、長年の女性ファンは、差別、区別されまくり、「分け隔てられて」
西城の斎場からは、遠く離れたテント前に並ばされ、合図とともに、数人づつ、歩かされ、テントのなかにしつらえた花飾りと、遺影の前で手をあわせ、献花して、ハイ、すぐ、お帰り下さいな・・・・・の運びになるはず。
なにやら、メッセージ付きのカードが、参列者に配布されるとか。
ソレ欲しさに行くのは、差し支えありませんが・・・・
他の芸能人参列者の姿は、そこの場所からは、遠く、ほぼ、見えないことを御承知おきください。
それらは、車で来場。マネージャーら、に、ごちゃごちゃと付き添われ、降車。
横付けされた、その車がカバーになって、彼ら、彼女らは、一般のファンが出棺まで待たされ、留め置かれ、規制されまくる地点からは、望遠レンズで撮影しようとしても、チラリと、背中ほどしか見えにくい。
あわただしく帰るときも、同様です。
分け隔てて・・・・・なんともはや、愚挙、としか言いようがありません。
素の男、木本龍雄が望んだ、ファンとのお別れの儀式ではないことは、間違いないでしょう。
ちなみに、やはり、真の死にまで至った起因は、脳梗塞から派生し、絡み合った重度の糖尿病であったとのこと。
んんん・・・・・
先の「カード」も、来週、、嬉々として、女性芸能レポーターが、各局、手にして、カメラ前で見せてくれるはずです。
あ~あ・・・・・・
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< 2018・5・25 深夜 追記 >
青山葬儀所。
通夜で見た、本当の葬祭場にしつらえられた、球場を模した祭壇。
一方、小さなテント張りのなかに造られた、祭壇。 手前の、長机に、白いカバーを覆って、そこに献花させることにしていた。
そのテントの前で、じっと耐えて待つ「一般人」「ファン」の、長~い列。
予想以上に、区分けして、西城の斎場から遠ざけて、隔てて、「分け隔てされて」、差別されて。
おまけに、規制線を何本も張り、職員に見張らせ、さらに、いくつものコーンを駐車場に並べてた。
いくらなんでも、ココまでしつこいほどに、、厳重にやる必要があるのでろうか・・・・
コレを、天にいる木本龍雄が観たら、はたして、どう感じるであろうか・・・・・・