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< リアル 大相撲 ルポ > 全勝で、2017年5月場所、ダヴァジャルガルが優勝はした、けれど・・・今場所も残る根深い「疑惑」と「相撲界の問題」

2017-05-29 22:54:31 | 歌舞伎的格闘技

 横綱・白鵬こと、ダヴァジャルガル。優勝はしたけれど・・・・・。

 それも、全勝で、というオマケつき。

 とはいうものの、なんとも、ダヴァらしい、汚い手口が、今場所も明らかになった。

 言わずと知れた、14日目の、照ノ富士戦

  (NHK総合テレビ 大相撲中継 より。以下、同様)

 ダヴァの取り口にしては珍しく、腰をキチンと深くおろし、照ノ富士を土俵の外へと押し出した。

 勝負は、ついた・・・・・はずだった。

 だが・・・・・・・。 

  ダヴァは、ヌッと立ち上がるや、左手で照ノ富士の胸を強く、ドン!と、突いた。

 負けたと判断して、全身のチカラを抜いて立っていた照ノ富士は、思わず土俵の外へ落ちかけ、全身が転げ落ちそうになった。

 痛めている左ひざ、足首、太ももを、また今日も、したたかに打ち付けたら!?

 明らかにダヴァは、ソレを狙ってのダメ押し手口。

 今までも、記事の中に書き込んできたが、ダヴァのやりくちは、単に相手力士に勝つだけでなく、次の場所以降にも当たった場合を考えて、相手に恐怖心を植え付けておくことを常に意図している。

 苦手意識を持たせる効果など、軽~く超えた汚く、危険極まりない手口。

 うまくすれば、押し倒した際や、転げ落ちた際に、ケガをしてくれればなおのこと良い。一石二鳥だ!

 そうとしか思えない、毎度の取り口。

 それでなくとも、昨日までの今場所(夏場所、はたまた5月場所という呼び名)、西の横綱の番付けになったため、土俵上でテレビカメラに映る位置が、常にいままでと違って、右側に立つことになった。

 そのため「凶器」ともいえる、立ち上がりざまの、右ひじの動きが、今までと違い、非常に見えにくくなってしまった。

 これまでも何度か、記事で指摘してきたが、痛みは無いはずなのに、右ひじには常にぶ厚い、2重に巻き付けたサポーターをして、それで「かち上げ」のワクを超えた、プロレスまがいの「ひじ打ち」!を放っていた。

  相手力士の、左目、左頬、アゴ、左のど、左首に狙いを定めてぶち上げていた。

 ソレをもろに喰らって、入院、治療をせざるを得なくなつた嘉風(よしかぜ)など、多数いる。

 ここまで、ダヴァは、左右の足や足首は痛めているとは言明したことはあったが、右ひじの痛みや故障をクチにしたことは、一度も無い!

 痛みがあるならば、サポーターは巻いたにせよ、ソコを意図的に相手にぶち当てて、さらに痛みを増大させる馬鹿はいない。

 土俵入りの際には、巻かず。勝負が終われば、時に、どっかりと座った土俵下で、巻いていたサポーターをはずす。

 この偽装、疑惑

 ダヴァは、言った。

 「痛みは、本人しか分からないものなんですよ」

 この野郎!

 新・大関になる高安ならぬ、髙安。

 彼の「かち上げ」に、不自然さは無い。許容範囲の、「かち上げ」だ。

 ダヴァの今場所は、露骨なひじ打ちこそ、見えにくくなったが、張り手は、ほぼ毎日。

 その手で、恐怖心と、畏怖(いふ)を相手力士に植え付けさせようとしていた

 土俵上で、昨年から、明らかに、チカラと技の衰えは、ダヴァにのぞく。

 バタバタとした、足さばき。こらえきれないから、強引な手口を駆使する。

  そして、あの初日から見せた、奪うように受け取った懸賞金の束を、つかんだまま、左から右へのブン回しという仕草の、下劣の極み。

 至る所で見せる、人間としての品位の無さ、傍若無人の言動を、所属部屋の親方どころか、保志信芳こと、八角理事長も、何一つ今まで注意ひとつ、しないまま。

 ダヴァ、頭(ず)に乗って、本日、一夜明け会見でも、前代未聞のことをやらかした。

  (NHK総合 正午のニュース より)

 ダヴァの後ろを見て戴きたい。彼が出ている、テレビ・コマーシャルの会社や、彼の名を冠した催しのスポンサー名が出ている幕を、背後に掲げての会見。 

 おいおい!

 こんなこと、許されているのか?

 今まで、コマーシャルに出ている人気力士でも、昇進会見などで、ここまで露骨にやった力士は、皆無。

 ダヴァの見切り発車だったにせよ、八角理事長、良いのか!?

 八角に発覚しても、屁でもない?

 誰も、注意しないから、ダヴァ、このように、やりたい放題。掲げて良いのかどうか、協会に確認なんぞ、取ってはいない。

 このままじゃあ、日本国籍を取得して、「帰化」なんぞしなくっても、「一代年寄り株」を手に、親方となり、相撲部屋をおこせると、いまだに思い込んでいるのではないか!?

 最近になって、また1人、将来のために内弟子を採ったダヴァ。

 現モンゴル人国籍横綱のなかで、帰化している者は、いない。

 日馬富士(はるまふじ)、鶴竜(鶴竜)。共に、日本に来ていたモンゴル人女性を妻にし、いまだ、モンゴル国籍のまま。

 ダヴァは、日本人女性と結婚、入籍。が、モンゴル国籍にかたくなにこだわっており、養子縁組も帰化もする気無し。

 ゼニカネは、ある。

 ならば、ドルジのように帰国して、不動産業、興業など、慣れぬ起業をして、儲ければ良いものを、そこんとこは悪童のくせに、母国籍にこだわっている。

 もし、この悪童が、国籍を変えぬまま、部屋がおこせたもんなら、先の2人の横綱も、やれてしまう。

 もはや、決まりもなにも、有ったもんじゃない。

 八角がだらしないばっかりに、この傍若無人な言動がまかり通ってしまっている側面もある。

 さらに、だ。

 今場所は、行司采配による「待った!」が、いつもの場所より、多く耳に付いた。

 何度も、クチ酸っぱくして「手を付いて!」と行司が注意しているのに、全力士が、その声を無視するかのように、マイペースの仕切りと、立ち合い。

 両手をキチンと、双方が土俵の土に付けていれば、何の問題もないのだ

 ソレをしないから、待った!が頻発する。

 あの、宇良(うら)や石浦でさえ、両手両こぶしを付かないザマには、ガッカリだ。

 来場所も、行司の皆さんはどんどん叫んで、立ち合いの正常化に勤めて戴きたい!

 八角以下がだらしがないから、待った!が、頻発、続出しているのが、分からないのだろうか・・・・・。

 今は、客が詰め掛けてはいる。

 協会が、何の努力もしていないのに・・・・。

 すぐ、元の木阿弥になるのに・・・・・。

 当たり前の所作が出来ない力士たち。

 見放される日は、そう遠くない!

 


<リアル芸能ルポ>もう、丸6年かあ。たった1人のZARD。坂井泉水こと蒲池幸子の死の真相

2017-05-29 18:17:30 | 芸能ネタ

 < 2013・5・27 掲載記事 >

 < 2015・5・27 再掲載 記事 >

 なにげなく、人気度高い検索のところを開いたら「坂井泉水」と、出てきた。

 さかい・いずみ、かあ・・・・・・

 生前、そして死後。計2度。徹底して、調べたなあ・・・・・

 蒲池幸子(かまち・さちこ)として生きて居た時代。むろん、現地にも何度も足を運び、彼女のことを知る、さまざまな人に会い、写真も撮り、集め、話しを聞いた。

 一番長く、話しを聞いたのは、彼女の実父。立ち話ながら、2時間、録音テープは回った。

 今、それを詳しく書くと、とんでもない長さになるので、止めとく。

 ただ、娘が一躍、巨万の富を手にしたことで、それまで一つ屋根の下で暮らしていた、ごく平凡な家族が、分裂してしまい、兄妹も含め、それぞれのその後の人生が大きく変わってしまったのには、他人の家のこととはいえ、複雑な想いが、残った。

 まったく、したこともなかった「作詞」の、不思議さには、父も首を傾げ、単体ながら裏系のアダルト・ビデオに出ていた事実については、「見てはいませんが・・・・」と、認め、顔を曇らせた。

 その当時、スタッフの男性と、都心の高級マンションで、半ば暮らしているという話しも、漏れ聞いていた。

 レースクイーン時代に、仕事をしたことがあるタレント。彼女もまた、年齢を偽っていたが、当時の想い出話しを聴こうと、連絡をとると、法外なギャラを要求してきた。今も、芸能界の片隅にいる女だが、がめついよという評判は本当だった。

 むろん、お断りした。

  さて、あの不可解な「死」。

 すでに、その直後に徹底取材し、書いたが、少なくとも「他殺」では、ありません。

 では、「自殺」と、断定出来るかというと、100%の自信はない。

 確かに、ガンから、転移もしていたと聞いた。では、絶対に助からない末期かというと、それまでに至っていない。

 あとは、蒲池幸子本人の、気持ち次第だが・・・・・。

 死後、激太りとか、激やせなどの、報道が出たが、どちらも間違い。

 当時、彼女が入院治療をしていた、慶應義塾大學病院に知人が入院していたこともあり、お見舞いも兼ねて、いろいろと調べ尽くした。

 蒲池が入っていた部屋は、4階の病棟の、入って程ない右側。

 そこの部屋に、毎日、仕事で出入りしていた方によれば、テレビとかで見た通りの体型で、取り立てて変わっていなかった、という。40歳にしては、若く見えたとも言った。

 お見舞いに通ってきていたのは、実母ら数名。泊まりは、無し。

 部屋から、元気に。幸子が出入りすることはなかった。部屋に、籠ったきり。そういっていい。

 で、5月26日の、早朝。

 スロープ下の、コンクリート面に、後頭部から血を出して、あおむけに倒れていたのを、散歩していた、他の入院患者によって発見され、病院に通報。

 即死状態では、無かった。すぐ、集中治療室に運ばれた。

 が、治療もむなしく、ほぼ1日半後の、翌27日の午後3時過ぎ、死亡。

 警察と、彼女の事務所との、発表内容は微妙にズレがあるものの、落下した末に、死んだということは一致している。

 それも、1階のスロープ状の、「地上3メートルの高さ」から、落下!

 はあ??

 改めて、警察と事務所に聞いたが、まったく、新しいことは、話さず、出ず。

 「事故」扱い。

 ただ、気になった。パジャマや、病人用のガウンとかではなく、幸子は「私服」に着替えて、外に出て,倒れでいた。

 だから、今もって、気になる。

 「あの場所」に、自分の足で、行って、見た方は、極めて少ない。

 警備の人に、行くたびに聞いたが、当初こそ。花をたむけたり、手を合わせて、黙って帰る人はいたが、その後は、ぷっつり。その数、100人にも満たず・・・・。

 「ファン」と言って、死後、雨後の竹の子のように湧いて出てきた、ン万人は、一体、何だったんだろう? と、今も思う。

 本日も、献花台の置かれた場所は、中野サンプラザだそうな。はあ?? と思う。 

 さて、「発表」の通り、3メートルの高さから落ちても、死なない。腰や、足をしたたかに打ちつけて、骨折はしても、頭は打たない。

 手すりは、安定感の無い、シルバー色の円筒形。おまけに、斜め状態。そこに、昇って、ダイビングしたとしても、打ちつけるのは、ほぼ全身。

 では、3メートルの高さから、それも斜めから落ちて死ぬ可能性があるとすれば、道路に後ろ向きになって、腰掛けて、非常に不安定な姿勢のまま、後ろ向きに落ちて、そのまま後頭部と背中を打ち付けること。

 誤って・・・・は、ありえない。覚悟の上の、極めて可能性の低い死に方というほかない。

 さすがに、それは試せなかったが・・・・・。何度もやってると、警備員が注意しに来るし。

 しかし、可能性は30%くらいか。それも「打ち所が悪く」という具合に。

 あおむけに倒れて、というのが「本当」なら、コレしかない。ただし、3メートルで?・・・・・・・・・。

 「結果」から、逆算してみた。

 彼女が入っていた部屋は、4階にあった。そこから、スロープに続く、非常口の扉にたどり着くには、同じ右側にある、看護婦(師)詰め所(ナース ステーション)の前を通らねば行けない。

 早朝、そこに看護婦がいたかどうかは、教えてもらえなかったが、「非常口の扉には、施錠してあり、火事や震災や、何かが起こらない限り、自動的に開けられるスイッチを押さない」と、看護婦(師)。

 疑う訳では無いが、チャレンジしてみたが、開かなかった。帰りがけに、何度か見た蒲池幸子がいた部屋は、ごくフツーの、取り立てて特別なところではなかった。

 もしもの患者の搬送のために、外へ脱出出来るように作ったと思われるスロープ。外からは、どの階も開かない。

 しかし、知人にも協力してもらったが、他のある階では、中から、開いた!

 さらに、屋上に出る扉も、当時、施錠されていなかった

 未明に、私服に着替え、静かに音を立てずに、他の階か、屋上に1人出て、心決めて、飛び降りれば、最終的に頭からコンクリートに叩きつけられ、死ねる可能性は、3メートルより、極めて高い。あおむけに倒れるかどうか? は、確約できないが・・・・・・

 さすがに、屋上だと、足がすくんだろう。

 この屋上か、隣の屋上か、あの石原裕次郎が、健在ぶりを示すために出て、手を振って見せたのは。

 あとは、静かにエレベーターで、1階に下りて、薄明りのなか、救急車搬送用の出入り口からこっそり出て、ぐるりと病棟を半周して、外からスロープを昇って行って、かなりの高さから落ちた、飛び降りた。

 むろん、推測でしかないが、この可能性しかない。「発表」された通りなら、かなり、無理があるとしか言えない。

 その後の、儲け主義がちらついてならない、彼女を偲ぶという名目の「イベント」には、言葉もない。

 というのも、彼女がまさに死に至った場所が、囲われるとか、特別な場所になることもなく、当時は、ただのスロープや、非常口への出入り口だった。

 事務所も、親族からも、何の申し出も無かったという。

 信濃町駅近くに、所用があるたびに、あの場所に立ち寄る。

 年月が経るごとに、空きスペースだったあの場所が、病院職員の駐車場や駐輪場になり、彼女がほぼ絶命した場所は、無数のタイヤと靴に踏みつけられ、雨、風にさらされ、日々汚れていっている。

 手を合わせながら、やりきれない想いが、込み上げてくる。

 断って置くが、私は、彼女のファンではない。

 しかし、蒲池幸子の人生を、多少なりとも知っている人間として、やりきれなく、今日の「イベント」も、むなしさしか感じられない・・・・・

 彼女は、名前のように、幸せな子だったのだろうか・・・・

 やりきれなさだけが、今も胸の奥深くに残る・・・・・・・・・・・・・・

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<リアル 芸能 ルポ> dotの[ZARD]坂井泉水こと、蒲池幸子の週刊朝日再編集記事はウソばっかり!

2017-05-29 18:14:38 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 < 2015・5・29 掲載記事 >

 いやあ、あまりの意図的ねつ造と、ウソの内容の記事に、どっと驚き、dotコケ、しばらく、空いたクチが、ふさがらなかった。

 偶然、本日5月27日に、目にした「ZARD  坂井泉水の語られなかった40年」なるネット上の記事。

  dot,なるトコロが、8年くらい前の「週刊朝日」掲載の記事に、新たに取材を加えて、記事構成したというフレコミの、シロモノ。

 元々、”週朝”の取材力。私は、全然評価出来ないまま、現在に至っているうえ、ネット上の記事を読む限りにおいて、その内容が、いまだ語られてない事実が、いくつも、すっぽり、抜け落ちていた。

 例えば際どい、手ぶらヌードや、ロングヘアでの乳房・乳首隠しヌードが掲載された写真集が、出版されてたことや、その後には、全裸、下半身のヘアや、性器丸出しのアダルトビデオが、広く世に出回った事実などが、まったく語られていない。

 別に、蒲池幸子という女性が隠したいであろう事実を、今さら暴こうという意図は無い。

 実は、彼女の生前、人気全盛期の頃。多くのぺージ数をさいて、彼女の実像をあますところなく取材し尽くし、掲載した経験があるからだ。

 先に書いた、アダルトビデオも見た。

 彼女のファンではまったく無かったが、俗に「カラミ」と言われる、本番セックスも、疑似行為セックスも無く、業界では「単体」と言われる、彼女独りのオールヌードから、疑似自慰行為が、撮られていただけで終わっていたことに、妙な安心感を覚えたことを、今も記憶に残っている。

 売るための雑誌。

 オールヘアヌードのカットは、何点か小さく、且つ、目立たぬように配慮したうえで掲載した記憶がある。

 かなり、売れたようだが、原稿料が上がることは、無かった。むろん、取材ご苦労さんの意味も加えての「金一封」も、無かった。

 数年後。どこで聞きつけたのか、「その号をあれば買いたいのだが」という電話があったことを、あとから、雑談のなかで聞いた。

 編集部にも、すでに無かったとかで、その私ですら、その号を、どこに仕舞ったのか、あのビデオテープがどこにいったのか、記憶は定かでは無い。

 先の記事で、一読して、不思議でならないのが、蒲池幸子が学生の頃から、作詞をし、バンドでボーカルをやりたいと言ってたということ。

 少なくとも、と言うべきか。

 私が、彼女が通っていた、小学校、中学校、高校、短期大学。そして、会社員として通っていた西新宿にあった会社を、直接訪ね、同級生や先生、実家、親友や同僚、上司に、取材しまくったなかで、ただの1人として、そのようなことをクチにした者はいなかった。

 音楽とは、無縁な生活を送っていた。

 それは、あなたが取材力が足りないからだと?

 いえいえ、彼女の父でさえ、実家の玄関先で2時間、カセットテープを回しっぱなしでインタビューをした際、「娘が作詞をしていたなんて、まったく知らなかった」と、驚いていましたよ。

 ましてや、バンド活動なんて、夢・幻のオハナシ・・・・・・。

 ちなみに父は、幸子の部屋は、「ほれ、すぐ上の右側の日当たりの良い部屋の方です」と教えてくれた。

 また、逆に、ネット記事でまったく語られていないのが、彼女が陸上短・中距離の選手だったこと。

 校内のみならず、区域の大会にも出場したほどだったのに・・・・・。

 自死後、ネットで掲載した、2本の記事を、ついでに再掲載しておきます。興味・関心のある方は、どうぞ、お読みください。

 文中にある、ギャラを要求してきたのは、そう、dotで、どっと、さも親しかったかのようにコメントしている、岡本夏生です。

 それと、町田市の家。

 40坪足らずと書いてありましたが、もっと広い、見るからに豪邸です。

 また、「家族を呼んで」との記述も、間違い。

 彼女が、そもそも、その家にハナっから住むつもりは無かったし、住んではいません

 家族に住まわせるために建てた豪邸でした。

 あの家には、取材時、住んでいたのは、母と、兄妹家族。

 且つ、個人の節税のための有限会社の所在地に、そこをしていた。兄妹を役員報酬で、何も仕事していなくても、喰わせてやる腹積もりだった。

 実際、ぶらぶらと遊んで暮らしていた。

 父は、長年勤めあげた自動車教習所の教官としての収入をベースにして、自分のチカラでローンを組んで購入した、先の幸子の住んでいた小さな2階建ての家に、たった一人で住んでいた。

 幸子本人は、当時の好きな男性と、都心の高層マンションで同棲生活を送っていた。

 ホントに、このネットの記者まがいの人物と、週刊朝日の人間は、自分で「調べた」のであろうか???????

 疑えば、キリが無い内容と、バッサリ斬って捨てても良い程だ。

 なんとしてでも、蒲池幸子と、音楽を、強引にでも結び付けたいがためのねつ造記事としか、思えない。

 もう、それにしても、8年かあ・・・・・。

 慶應大學附属病院の、「あの現場」にも、行かなくなって久しい。

 また、フイルムコンサート、やらかしたとか。死人で金儲けと、荒稼ぎは止めて欲しいなあ・・・・。

 くれぐれも、ウソ記事を安易に信じず、事実を見極める目を養っていってください。

 ちなみに、本当の数少ない彼女の、にわか、ではない、真のファンの方。

 彼女の個室病室に、一日数回、仕事で出入りしていた方によれば、女性誌で報じられたような、激やせも、激太りもなかった。

 自ら死ぬ直前まで、すっぴんでも、美人だったそうです。