※「『残り10年間』の生き方、過ごし方、楽しみ方」(『週刊現代』2020/08/8,15号)
70歳の平均余命は男15年、女20年だ。(0歳の平均余命は男81年、女87年だ。)
(1)人とは感情的動物or欲望的動物だ!
「悲観は気分のものである。楽観は意志のものである。」(アラン)。これが佐々木常夫氏(75歳男、元東レ経営研究所所長)の座右の銘だ。
《感想1》例えば70歳の男が、余命15年の計画を立て、目標を作って生きる。大切だ。
《感想1-2》思えば、これまでの人生の目標は、カネ・セックス・楽しみ・自尊心・虚飾・世間体・出世・権力・傲慢・支配・ボスとしての威厳・名誉・人から褒められること・ゴマをすられる事・ゴマをする事・子供を大切思うこと・人を愛し愛される事・人と共感することなど、全て君の欲望を満たし、快い満足した感情を得るためだ。
《感想1-3》さらに憎悪・競争心・侮蔑・差別・敵意等をもって、人と対決するのも、君の欲望であり君の感情だ。
《感想1-4》君の根本は「感情・欲望」であり、またそれに基づく「意図」だ。まことに君とは、そして一般に人とは感情的動物or欲望的動物だ。
《感想1-5》アランの言葉に従えば、君は、君の「意志」という名の感情・欲望を大切にし、「楽観」的な、したがって希望的な感情・欲望へと自らの心を誘導し、計画的な諸目標としての意図に生きる。
《感想1-5-2》また君は、君の「気分」という名の感情・欲望に従わず、「悲観」的な感情・欲望に陥らぬように自らの心を誘導する。
Cf. 「モナドとしての広義の心」は《感覚・感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》からなる。「狭義の心」は《各モナドに固有の感覚の揺らぎ・感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》からなる。
(2)人生は「ハードランディングで上等だ」! (加納典明氏)
死ぬ場合に「いちばんやってはいけないと思うのは、残された人たちを困らせること。だから残された10年は死へのソフトランディング期間なのです」と佐々木氏は言う。だが加納典明氏(78歳男、かつて過激なヌード写真で一時代を築いた!?)は、人生は「ハードランディングで上等だ」と言う。「『そろそろお迎えにきてくれたらありがたい』と思う人だっているかもしれない。でもやるべきことがあれば、そんなことは言っていられません。」
《感想2》人それぞれの生き方がある。十人十色だ。
《感想2-2》しかし病気になって一人で生活できなくなると大変だ。なにかの手立てをしておかないと、人に迷惑をかける。「ハードランディング」とは、終活をしないことだ。つまり「自分は不死身だ」と思って生きることだ。確かに理屈上は「生きることの終わり」はあるが、「生きることそのものの中に死はない」=人は「不死身」だ。
《感想2-3》私見では、人生は「ハードランディングで上等だ」としても、あまり人に迷惑をかける気はしない。気を遣って「ハードランディング」しよう!
《感想2-4》加納典明氏の言葉。「今日は私の誕生日で78歳になりました。・・・・考えるに実にいい歳になったものです、私の人生観と云えば とにかく後ろは向かない生きるのは前見るのみ と云ったところです。」加納氏には娘さん1人、息子さん3人がいる。長男は映画監督・加納周典(タダノリ)氏、次男はカメラマン・加納典譲(ノリマサ)氏。
《感想2-5》加納典明氏のお子さんは社会的にも成功しているので、父が「ハードランディング」しても、「後始末」は大丈夫そうだ。
(3)80歳になってもこうして無事にピンピン暮らしていられる自分は幸せだ!(デヴィ夫人)
デヴィ夫人(80歳)が言う。「私の人生には引退と言う言葉はありません。ずっと現役でなにかをしていたい。それが脳のためにもいいし、リタイアしている人を見るとすっかり老け込んでいる。だから80歳になってもこうして無事にピンピン暮らしていられる自分は幸せだと思います。」
(3)-2 水以外一切とらず、9日後に亡くなりました!なんて潔いやつだと感心しました!(中島誠之助氏)
中島誠之助氏(82歳・古美術鑑定家)が言う。「人生はあと10年も残されていないと思いますが、与えられた仕事を淡々とこなすつもりです。」「寝たきりになって、人の世話を受けないと生きていられないような状態になるなら、私は自ら命を絶つつもりです。これまでも自分の人生には責任を持ってきた。自分の身は自分で始末する。他人に迷惑はかけたくない。」「10年ほど前山歩きの友だった歯科医が70歳で亡くなりました。亡くなる少し前に電話が来て『自分は癌だ。もう長くはない』と言うんです。・・・・それから水以外一切とらず、9日後に亡くなりました。なんて潔いやつだと感心しました。」
《感想3》「水以外一切とらず、9日後に亡くなりました」とはすごい人だ!
(4)つひにゆく道!(『伊勢物語』)
『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)の最終段(百二十五段):「むかし、男、わづらひて、心地(ココチ)死ぬべくおぼえければ、『つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを』」(むかし、男が病気になって、もう死ぬのだと思って詠った。「最後に行く道だと前から聞いていたけれど、その死の道が昨日今日に迫っているとは思わなかった。」)
《感想4》死の事実について、それが自分にも当てはまると、淡々と確認している。それ以上、余計なことを言っていない。さすが天下の「色好み」在原業平だ。かっこいい。ダンディだ。
70歳の平均余命は男15年、女20年だ。(0歳の平均余命は男81年、女87年だ。)
(1)人とは感情的動物or欲望的動物だ!
「悲観は気分のものである。楽観は意志のものである。」(アラン)。これが佐々木常夫氏(75歳男、元東レ経営研究所所長)の座右の銘だ。
《感想1》例えば70歳の男が、余命15年の計画を立て、目標を作って生きる。大切だ。
《感想1-2》思えば、これまでの人生の目標は、カネ・セックス・楽しみ・自尊心・虚飾・世間体・出世・権力・傲慢・支配・ボスとしての威厳・名誉・人から褒められること・ゴマをすられる事・ゴマをする事・子供を大切思うこと・人を愛し愛される事・人と共感することなど、全て君の欲望を満たし、快い満足した感情を得るためだ。
《感想1-3》さらに憎悪・競争心・侮蔑・差別・敵意等をもって、人と対決するのも、君の欲望であり君の感情だ。
《感想1-4》君の根本は「感情・欲望」であり、またそれに基づく「意図」だ。まことに君とは、そして一般に人とは感情的動物or欲望的動物だ。
《感想1-5》アランの言葉に従えば、君は、君の「意志」という名の感情・欲望を大切にし、「楽観」的な、したがって希望的な感情・欲望へと自らの心を誘導し、計画的な諸目標としての意図に生きる。
《感想1-5-2》また君は、君の「気分」という名の感情・欲望に従わず、「悲観」的な感情・欲望に陥らぬように自らの心を誘導する。
Cf. 「モナドとしての広義の心」は《感覚・感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》からなる。「狭義の心」は《各モナドに固有の感覚の揺らぎ・感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構》からなる。
(2)人生は「ハードランディングで上等だ」! (加納典明氏)
死ぬ場合に「いちばんやってはいけないと思うのは、残された人たちを困らせること。だから残された10年は死へのソフトランディング期間なのです」と佐々木氏は言う。だが加納典明氏(78歳男、かつて過激なヌード写真で一時代を築いた!?)は、人生は「ハードランディングで上等だ」と言う。「『そろそろお迎えにきてくれたらありがたい』と思う人だっているかもしれない。でもやるべきことがあれば、そんなことは言っていられません。」
《感想2》人それぞれの生き方がある。十人十色だ。
《感想2-2》しかし病気になって一人で生活できなくなると大変だ。なにかの手立てをしておかないと、人に迷惑をかける。「ハードランディング」とは、終活をしないことだ。つまり「自分は不死身だ」と思って生きることだ。確かに理屈上は「生きることの終わり」はあるが、「生きることそのものの中に死はない」=人は「不死身」だ。
《感想2-3》私見では、人生は「ハードランディングで上等だ」としても、あまり人に迷惑をかける気はしない。気を遣って「ハードランディング」しよう!
《感想2-4》加納典明氏の言葉。「今日は私の誕生日で78歳になりました。・・・・考えるに実にいい歳になったものです、私の人生観と云えば とにかく後ろは向かない生きるのは前見るのみ と云ったところです。」加納氏には娘さん1人、息子さん3人がいる。長男は映画監督・加納周典(タダノリ)氏、次男はカメラマン・加納典譲(ノリマサ)氏。
《感想2-5》加納典明氏のお子さんは社会的にも成功しているので、父が「ハードランディング」しても、「後始末」は大丈夫そうだ。
(3)80歳になってもこうして無事にピンピン暮らしていられる自分は幸せだ!(デヴィ夫人)
デヴィ夫人(80歳)が言う。「私の人生には引退と言う言葉はありません。ずっと現役でなにかをしていたい。それが脳のためにもいいし、リタイアしている人を見るとすっかり老け込んでいる。だから80歳になってもこうして無事にピンピン暮らしていられる自分は幸せだと思います。」
(3)-2 水以外一切とらず、9日後に亡くなりました!なんて潔いやつだと感心しました!(中島誠之助氏)
中島誠之助氏(82歳・古美術鑑定家)が言う。「人生はあと10年も残されていないと思いますが、与えられた仕事を淡々とこなすつもりです。」「寝たきりになって、人の世話を受けないと生きていられないような状態になるなら、私は自ら命を絶つつもりです。これまでも自分の人生には責任を持ってきた。自分の身は自分で始末する。他人に迷惑はかけたくない。」「10年ほど前山歩きの友だった歯科医が70歳で亡くなりました。亡くなる少し前に電話が来て『自分は癌だ。もう長くはない』と言うんです。・・・・それから水以外一切とらず、9日後に亡くなりました。なんて潔いやつだと感心しました。」
《感想3》「水以外一切とらず、9日後に亡くなりました」とはすごい人だ!
(4)つひにゆく道!(『伊勢物語』)
『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)の最終段(百二十五段):「むかし、男、わづらひて、心地(ココチ)死ぬべくおぼえければ、『つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを』」(むかし、男が病気になって、もう死ぬのだと思って詠った。「最後に行く道だと前から聞いていたけれど、その死の道が昨日今日に迫っているとは思わなかった。」)
《感想4》死の事実について、それが自分にも当てはまると、淡々と確認している。それ以上、余計なことを言っていない。さすが天下の「色好み」在原業平だ。かっこいい。ダンディだ。