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鴨長明『発心集』「第六」:「七」永秀法師の風雅(数寄)のこと!普段は辛口の批評をする鴨長明なのに永秀法師を素直に尊敬する!

2020-06-04 08:23:17 | 日記
※鴨長明(1155頃-1216)『発心集』(1214頃)。 ※現代語訳は角川ソフィア文庫を参照。

「発心集 第六」「七 永秀法師、数寄の事」
(1)
石清水八幡宮の別当(八幡別当)頼清の遠縁に永秀法師という者が居た。永秀は貧しかったが、風雅の道を愛し、日夜、もっぱら笛を吹いていた。このことを聞いた八幡別当頼清が、気の毒に思い使いをやり、「別当をしているので、お助けできることがあれば、遠慮なくおっしゃってください」と伝えさせた。
《感想1》永秀法師が近くにあって貧しく遠縁なので、八幡別当頼清は声をかけた。放っておくわけにもいかなかったのだ。
(2)
すると永秀法師が言った。「長年ご挨拶せねばと思いながら、わが身の卑しさに遠慮してまいりました。恐縮でございますが、強く望んでおりますことがございますので、さっそく参上してお願い申し上げます。」
《感想2》永秀が「強く望んでおりますこと」とは何か?八幡別当頼清は気をもんだことだろう。
(3)
頼清は思った。「つまらない情をかけて煩わしいことを言われるのではないか。おそらく所領などの望みだろう。」
参上した永秀が言った。「九州に所領を多くお持ちと聞いています。ぜひ漢竹で作った笛を所望したいと思います。卑しい身分では得がたいもので、長年入手できずにおりました。」
《感想3》頼清は驚き、思った。「永秀は、遠縁なのだから所領を望むこともできたのに、なんという数寄(風雅)の人だろう。」
(4)
思いがけない事だったので、八幡別当頼清は大変に心動かされ言った。「とても簡単なことです。早速探して差し上げよう。日々を送られる暮らし向きに関わることも、お困りならお聞きしましょう。」すると永秀が言った。「生活に不足はありません。朝晩の食事も何とかやっております。」
《感想4》永秀法師は笛が吹ける生活ができれば、それ以上の収入(所領など)はなくてもよかった。一定程度の収入は彼にあったようだ。
(5)
「真に風雅を愛する人だ」と頼清は敬意を持ち、早速、笛を探して届けた。また日々の生活のことを気配りし、必要な物を永秀に送った。永秀は、それらの物があるうちは石清水八幡宮の楽人を呼び、酒食の準備をし、一日中演奏して過ごした。物が無くなると一人、笛を吹いて過ごした。
《感想5》永秀法師は本当に風雅(数寄)の道を愛した人だ。このような人は普通いない。だからこそ鴨長明が『発心集』でとりあげた。それほど稀だったのだ。
(6)
永秀法師は、後に比類ない笛の名手になった。鴨長明が書く。「このような心には、いかなる深い罪も生まれてこないと思う。」
《感想6》普段は辛口の批評をする鴨長明なのに、永秀法師を素直に尊敬している。
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