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現存在は、先駆的覚悟性(※これは関心の様態のひとつ)として、実存的=本来的な全体存在可能となる!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第3章」「第62節」

2020-03-02 19:31:41 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第3章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性」「第62節 先駆的覚悟性(決意性)(vorlaufende Entschlossenheit)としての現存在の実存的=本来的な全体存在可能(全体存在しうること)(das existenziell eigentliche Ganzseinkönnen)」

(1)「先駆的覚悟性」!
A 「覚悟性」とは、「ひとごとでないおのれの負い目ある存在へむかって、みずから不安を辞することなく、沈黙のうちにおのれを投企すること」だ。(305頁)
A-2 「覚悟性がその本領を発揮するのは、《終末へ臨む了解的な存在》として、すなわち、死のなかへの先駆(Vorlaufen in den Tod)としてなのである。」(305頁)
A-3 「覚悟性は、《死へ臨む本来的な存在》を、おのれ自身の本来性の可能的な実存的様態として、もともと包蔵しているのである。」(305頁)
A-4 「現存在は――本来的に実存しているにせよ、非本来的に実存しているにせよ――実存として、いつもこの負い目ある存在のうちにとどまっている。」(306頁)
A-5 「現存在がおのれの存在可能へ根源的に臨んでいるありかたは・・・・《死へ臨む存在》である。」(306頁)
(2)「関心」!
B 「関心(die Sorge)は、死と負い目とを同根源的に宿している。先駆する覚悟性にしてはじめて(※すなわち先駆する覚悟性という関心がはじめて)、負い目ある存在可能を本来的にかつ全体的に、すなわち根源的に了解する。」(306頁)
(3)「世間(世人)(das Man)への紛れ」!
C 「良心の呼び声が了解されるとき。世間(世人)(das Man)への紛れがあらわになる。」(307頁)
C-2 「先駆的覚悟性は・・・・良心の呼び声に従う了解であって、この了解によって、死は現存在の実存を制圧して、いかなる逃亡的な自己隠蔽をも根本から追いちらす可能性を発揮することになる。」(310頁)

《感想1》ハイデガーは「存在」と言わずに「関心」(Sorge)と言う。現存在は「存在」するのでなく、「関心」(つまり感情)として世界に向かっている、つまり現存在は言わば「関心」する(or感情する)。現存在は「存在」でなく「関心」(or感情)だ。初めから言わば感情的世界のみがある。中性的客体的世界は、感情的世界のひとつの在り方だ。中性的客体的感情が、世界は中性的客体的に「存在」すると言う。
《感想2》「良心の呼び声」の了解つまり「先駆的覚悟性」は、「関心」(or感情)の一様態である。
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