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リルケ(1875-1926)「仏陀」(1905年):ロダンの仏陀は、絶対超越の星であり、衆生に無関心だ!

2019-05-04 06:42:24 | 日記
 ‘BUDDHA’ 「仏陀」
        Rainer Maria Rilke ライナー・マリア・リルケ

Als ob er horchte, Stille: eine Ferne ...   仏陀はあたかも聞いているかのようだ、静寂を:幽遠を・・・
Wir halten ein und hören sie nicht mehr.  我々が歩をとどめても、我々はもはやそれを聞かない。
Und er ist Stern. Und andre großen Sterne,   そして仏陀は星だ。そして他の大いなる星々が、
die wir nicht sehen, stehen um ihn her. それらは我々に見えないが、仏陀を取り巻いて存在する。

O er ist Alles. Wirklich, warten wir,  おー、仏陀は「すべて」(Alles)だ。実際、我々は待つのか、
daß er uns sähe? Sollte er bedürfen?  仏陀が我々を万一見るだろうと。仏陀は我々を必要としたりするのか?
und wenn wir hier uns vor ihm niederwürfen,  そして我々がここ、仏陀の前にひれ伏したとしても、
er bliebe tief und träge wie ein Tier. 仏陀は獣のように深く物憂くとどまっているだろう。

Denn das, was uns zu seinen Füßen reißt, 我々を仏陀の足下にひれ伏させるものがあるのだ、
das kreist in ihm seit Millionen Jahren.  それは億劫の年より仏陀の内をめぐるもの。
Er, der vergißt was wir erfahren  仏陀は我々が体験するものを忘れ給う
und der erfährt was uns verweist.  そして仏陀は我々が拒絶するものを体験し給う。

《感想1》リルケが、ロダンの秘書だった時、ロダン邸内にあった仏像にリルケが感じた直観が述べられている。
《感想1-2》仏陀は静寂を、幽遠を聞く。我々には聞こえない。仏陀は我々を超えて完全、全知全能、絶対知、超越永遠、そして「すべて」(Alles)だ。(後述)
《感想1-3》仏陀は絶対超越の星だ。他の大いなる星々が仏陀を取り巻く。
《感想2》仏陀は「すべて」(Alles)である。我々を見ないし、必要としない。仏陀の前に我々がひれ伏しても、仏陀は獣のように深く物憂くとどまる。
《感想2-2》大乗仏教的な慈悲を、リルケは仏陀に感じない。リルケの仏陀は、衆生に無関心だ。
《感想3》億劫(オクコウ)の年より仏陀の内をめぐるものがある。それは、(自足し欠けたものがない)完全、全知全能、(それを可能にする)絶対知、(イデア的な)超越永遠、そして「すべて」(Alles)だ。
《感想3-2》リルケはこれを、《静寂・幽遠を仏陀が聞く》と、喩える。
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