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兼好法師『徒然草』第157段「筆を取れば物書かれ」:外に現れた姿(「外相」、現象)が本質(真理)に背かないなら、内面の悟り(「内証」)つまり本質(真理)を知ることにいずれ至る!

2020-07-04 10:22:25 | 日記
※兼好法師(1283?-1352?)『徒然草』(1330-31頃)

(1)
兼好法師は、「何事かをなすにあたり、形から入るのは大切で、それを非難するべきでない」と言う。「筆を取れば物書かれる」(筆を手に取ると自然と何か書く)のと同じだ。「筆を取る」という形が、「物書く」結果へ導く。
(2)
兼好法師は述べる。「事理もとより二つならず。外相(ゲサウ)もし背かざれば、内証必ず熟す。強ひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。」「現象」と「本質」(真理)は、もとより別でない。外に現れた姿(「外相」、現象)が本質(真理)に背かないなら、内面の悟り(「内証」)つまり本質(真理)を知ることにいずれ至る。「仏前で数珠を取り経を取るなら怠けていても善業が自然と実践できる」のであって、いちいち「信が足りない」(「不信」)など言い立てるべきでない。敬い尊重すべきだ。

《感想》「形から入る」のが大切だ。新しい物事を始めるとき、まず格好や外見といった見た目=「現象」から入る。やがて「本質」(真理)に至ることができる。これを「信が足りない」(「不信」)など言い立てるべきでないのだ。兼好法師は「教育」の方法をよく知る。Cf. 映画『日日是好日』(ニチニチコレコウジツ)は茶道について、「まず《形》からなのよ」と樹木希林が言う。
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