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春日武彦(1951-)『老いへの不安 歳を取りそこねる人たち』(2011、60歳)(その2):「老人」は否定的コトバだ!「年寄り」は肯定的コトバだ!「年寄り」は「浮世における配役」を「演じる」!

2023-05-19 18:52:05 | 日記
※「頁」は中央公論新社・中公文庫(2019)による。
第4章 孤島としての老い
(5)「老い」は、「弱者となること」、「隅に追いやられ、時流から取り残され、多くの可能性が狭まり、孤独感が深まっていく」ことだ!「老女の独り暮らし」はどこか安定感があり自然である!  
G 菅原克己(1911-1988)の詩「散歩」は「耳が遠く足がわるい」おばあさんが列車にはねられ死ぬ事故を描く。春日武彦氏(60)は「世の中は弱り目に祟り、弱者は・・・・追い詰められる・・・・意地の悪い仕組みになっている」と言う。老人は「弱者」である。(107-110頁)
G-2  春日武彦氏(60)は、武田花(1951-)「老女」(2008)という小品を引用しながら「老い」をマイナスの事柄と結びつける。「貧乏臭い」・「ありふれた」・「煤けた」・「黄ばんだ」・「ショボい」など。(111-114頁)
G-3  さらに吉屋信子(1896-1973)「黄梅院様」(1952)の引用では、「老い」は、「弱者となること」、「隅に追いやられ、時流から取り残され、多くの可能性が狭まり、孤独感が深まっていく」ことだとされる。(115頁)
G-3-2 「棺(ヒツギ)の定員は1名限りという意味で、老人には孤独の影が付きまとう」。(115頁)
G-4  天野忠(1909-1993)の詩「つもり」の引用で、春日武彦氏(60)は、「老女の独り暮らしのほうがどこか安定感があり自然である。男独りだと、マイペースというよりは悲哀めいたものが付きまといやすくなる」と言う。(124-127頁)

第5章 中年と老年の境目
(6)「定年10年前」、ふと「心の衰え」・「亡びの予感」にとらわれる!「60歳」が「心身の衰えや人生の区切り」といった点で特に男性にプレッシャーを与える!    
H  井上靖(1907-1991)「大洗の月」(1953)は40歳半ばの実業家が、ある日、ふと「心の衰え」・「亡びの予感」にとらわれ「月見に遠出をしてみよう」とする物語だ。(138-140頁)《感想》1950年代の話で一般に「55歳定年」の時代だから、「40歳半ば」は定年10年前に相当する。
H-2  「老いを自覚する」とは「今までの人生を振り返る」ようになることで、「人の世の不思議さや呆気なさ」、
「感慨と虚無とを覚える」ようになることだ。(142頁)
H-3  今は(定年が「60歳」なので)「60歳」が「心身の衰えや人生の区切り」といった点で特に男性にプレッシャーを与える時期だ。(149頁)
《感想》60歳を超えると「体力」が落ちたと自覚し、70歳を超えると「老人」であることをかなり感じる。(ただし相当に、個人差があるだろう。)

第6章 老いと鬱屈
(7)「老いること」は「何もかもが面倒となってしまう」ことに他ならない!    
I  「老いること、死に瀕することは、すなわち『何もかも少しだけ遅すぎる』と痛感し、何もかもが面倒となってしまうことに他ならない。この期に及んでもなお難儀なことに出会ってしまわなければならない運命に溜め息を吐きつつ、『もういい、結構だよ』と思うことである。」「力尽きた」あるいは「悟りの境地に達した」と言うべきか?(184-185頁)
I-2  「歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき」、「だから老人は鬱屈していく。」(186頁)

第7章 役割としての「年寄り」
(8)「老人」は否定的コトバだ!「年寄り」が肯定的コトバだ!「年寄り」は「浮世における配役」を「演じる」(その1)[※①、①-2、①-3、②、③、③-2]!
J  「老人」は老化現象の起きた人間、老衰間近の人間をあらわす否定的コトバだ。それに対し「年寄り」は経験や年輪を重んじる肯定的コトバだ。(189頁)
J-2  「年寄り」は①喧嘩の仲裁ができるひとだ。①-2最後の最後になってやっと腰を上げるその状況判断の適切さ。①-3 人生経験を重ねてきていることに対する万人の敬意。(189-190頁)
J-3  「年寄り」は②年齢相応の自覚がある、つまり③ある種の役割意識がある。(190-191頁)すなわち③-2「年寄り」は「浮世における配役」を演じる。(200頁)「年寄り」は「パフォーマンス」ができる!(202頁)
(8)-2 「老人」は「体力や能力の劣化した『だけ』の存在」だ [※(a)(b)(c)(d)(e)(f)(g)]!
J-4  これに対し「老人」は(a)弱者or(b)厄介者にすぎない。(190頁)
J-4-2  「老人」は(c)「体力や能力の劣化した『だけ』の存在」、(d)「老人」には「居場所がない」、「役割がない」、「ポジションがない」。(210頁)
J-4-3 「老人」には(e)「年寄りであることを受け入れるにたる価値観」が世間与えられていない。 (f)老人であるという「無力感」・「孤立感」。(g)「年を重ねたと言う事実を劣化といった文脈でしか認識しない世間」に対する「恨み」。(211頁)
(8)-3 「年寄り」は「浮世における配役」を「演じる」(その2)[※④、⑤、⑥]!
J-5 「年寄り」は④「世間を生き抜く知恵」を持ち、「狡さや図々しさ」をたっぷり持ち合わせている。(199頁)
J-6  「年寄り」は⑤「人の心におおらかなものをもたらす」。Ex. 昭和30年代の「近所の煙草屋のじいさん」。通行人を眺め、道を尋ねる人に場所を教えてあげる、また「よろずや」的に色々売っていた。(202-205頁)
J-6-2  「年寄り」は⑥「おっとり」とした立場の人間として存在する。Ex. 春日武彦氏の子供時代、「祖母」は「さっさと歩け」と怒ったりせず、「ボーっとなってものを眺める私を鷹揚に「ただ見守って」くれた。(205-207頁)

第8章 老いを受け入れる
(9)「自分らしい年寄りを『演じて』みせることで配役を全うする体験」を楽しめればベストだ!
K 「アンチ・エイジング」つまり「老いがコントロール可能」と考えるのは「幻想」だ。(215頁)
K-2  「昔はあんなに輝いていた」芸能人が歳をとりすっかり老残をさらすのを見ると、「ざまあ見ろ」と「卑しい心性」を丸出しにするのは気分がよろしい。(218頁)
K-2-2  「とにかく見苦しい」年老いた芸能人の例:(ア)「かつての栄光にすがりつく」、(イ)「居直って説教じみたことを言う」、(ウ)「文化人気取り」になる。(218頁)
K-2 -3 「あるべき」年老いた芸能人の例:(A)「演技派」に移行する、(B)「素敵かつ独自な高年」になる、(C)「消息不明」になる。(218頁) 
L 春日武彦氏は「自分らしい年寄りを『演じて』みせることで配役を全うする体験」を楽しめればベストだと言う。[※第7章①、①-2、①-3、②、③、③-2、④、⑤、⑥]!(212頁)
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