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清水克行『室町は今日もハードボイルド』第4部第16話「合理主義のはなし」:補陀落渡海・湯起請・鉄火起請は信仰心の退潮による!信仰と呪術の「中世」&合理主義と人間中心主義の「近世」!

2023-05-14 16:08:54 | 日記
※清水克行『室町は今日もハードボイルド、日本中世のアナーキーな世界』2021年:第4部「過激に信じる中世人」(「信仰」)
第4部第16話「合理主義のはなし、神々のたそがれ」
(1)観音菩薩の浄土である補陀落山(フダラクセン)をめざす補陀落渡海!
(a)1195年、下野国那須野で源頼朝が御家人を動員し大規模な巻狩りを挙行した。この時、鹿を射損じた下河辺行秀はそれを恥じ、人々の前から姿を消した。彼は人知れず出家遁世し熊野に籠り仏道三昧の日々を送った。約40年後、1233年、彼はかつて旧知の仲であった執権・北条泰時に手紙を送った。「私はあの日をさかいに、この世のすべてが空しく感じられるようになってしまったのです。」そして彼は今や、観音菩薩の浄土である補陀落山(フダラクセン)をめざす補陀落渡海を敢行する決意を述べた。(この出帆は事実上の自殺行為であった。)(231-234頁)
(a)-2 北条泰時を驚嘆させた下河辺行秀の生真面目な生き方は、「信仰に生きる中世人」の典型のように思える。(234頁)
(1)-2 補陀落渡海は中世末期つまり戦国時代、さらに近世初期に顕著に見られるものだった!
(b)だが中世人が補陀落渡海を年がら年中、誰もがやっていたわけでない。補陀落渡海は868年を初見として、最後は1909年、計57回だ。つまり9世紀から15世紀まで、補陀落渡海は50年に1件程度だ。(234-5頁)
(b)-2 補陀落渡海が爆発的に急増するのは16世紀前半4件、16世紀後半11件、17世紀前半15件である。だが17世紀後半には急減し、19世紀にほぼ消滅した。(235頁)
(b)-2-2 要するに補陀落渡海は中世末期つまり戦国時代(16世紀前半4件、16世紀後半11件)、さらに近世初期(17世紀前半15件)に顕著に見られるものだった。「宗教心の篤かった時代」である中世に補陀落渡海が盛んだったわけでない。(235頁)

(2)訴訟で負けそうな側に限って「湯起請」は提案された:「裁判が9分以上不利なら、湯起請に持ち込んで5分の確率で火傷しなければ、起死回生となる」という「ずる賢い」計算が働いていた!   
(c)室町時代に流行した裁判に「湯起請」(ユギショウ)(熱湯裁判)がある。これは熱湯のなかに手を入れて火傷のぐあいによって神の意志を尋ね、善悪や罪の有無を決める行為だ。(236頁)Cf.  資料の上で「湯起請」が確認されるのは1400-1570年だ。(240頁)
(c)-2 だが実は、当時の湯起請(全90例)で火傷する確率はほぼ5分5分だった。訴訟で負け(or有罪)そうな側に限って湯起請が提案された。「裁判が9分以上不利なら、湯起請に持ち込んで5分の確率で火傷しなければ、起死回生のチャンスとなる。」そこには「ずる賢い」計算が働いていた。(238頁)
(c)-3 室町時代は「迷信」が人々を支配していた時代ではなく、少しずつ人々のあいだに「合理的な思想」が拡がってゆき、人々の「信仰心」が揺らぎはじめていた時代だった。(238頁)
(c)-4 「湯起請」は原始の時代から連綿と続いてきたものではなく、室町時代(15世紀)になって、突如流行を見せた現象だった。「湯起請」が確認されるのは1400-1570年だ。(240頁)
《感想》古代日本には「盟神探湯」(クガタチ)があった。神に潔白を誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、潔白なら火傷せず、罪があれば大火傷を負うとされた。(「湯起請」に相当する。)日本書紀によれば応神・允恭・継体天皇のとき(4-6世紀)に盟神探湯がなされた。しかしそれ以後、900年の空白期間。そして室町時代に突然、「湯起請」がなされるようになる。「湯起請」は原始の時代から連綿と続いてきたものではない。

(3)神仏への懐疑がさらに高まると「湯起請」は姿を消し、戦国~江戸初期には「鉄火起請」という裁判が姿を現す!「湯起請」「鉄火起請」「補陀落渡海」:信仰心の退潮によって生み出された反動的な現象!   
(d)人々の神仏への懐疑がさらに高まってくると、湯起請は姿を消し、かわって戦国~江戸初期(16世紀後半~17世紀前半)にはもっとエキセントリックな「鉄火起請」(テッカギショウ)という裁判が姿を現す。これは焼けた鉄の棒を握って火傷のぐあいを調べる。鉄火起請が確認されるのは1550-1660年だ。ただし江戸時代の社会が落ち着くと、鉄火起請も姿を消す。(239-240頁)
(e)中世から近世にかけて神仏への不信が拡がりを見せるなかで、それでも神仏を信じたいと願う人々が、より過激な行動に走った結果、生まれたのが「湯起請」であり「鉄火起請」だったと言える。「補陀落渡海」が中世の終わりに急激な大流行を見せるのも、これと軌を一にした現象だ。
(e)-2 一見すると信仰心の高揚を示しているかに見える過激な出来事(補陀落渡海・湯起請・鉄火起請)は、むしろ信仰心の退潮によって生み出された反動的な現象だった。(240-241頁)

(4)信仰と呪術の「中世」&合理主義と人間中心主義の「近世」!中世の「田遊び」から近世の「農書」へ!   
(f)信仰と呪術が「中世」を彩る一つの特徴だ。その後に続く「近世」は合理主義と人間中心主義が開花していく時代だ。(241頁)
(g)「中世」の村人は新年に、「田遊び」と呼ばれる豊作を祈念する芸能を村の鎮守などで行った。田起こし・田植え・刈り取りにいたる農作業が太鼓・歌に合わせ模擬的に演じられた。それは「神仏に豊作を祈る呪術的な意味」を持つとともに、歌詞のなかに稲の品種や収穫までの全工程の情報が盛り込まれ「農業技術の伝承」の役割も担っていた。(241頁)
(g)-2 ところが「近世」に入ると「田遊び」に代わって、農業技術書である「農書」が作られるようになる。識字人口の拡大や出版文化の盛行を背景に、「呪術や祭り」でなく「書物」で知識を習得する時代が到来した。もはや知識や情報の獲得に「神仏」が介在する必要がなくなった。(241-2頁)

(4)-2 中世後期、信仰への懐疑が拡がっていき、既存の宗教勢力が減退していくとともに、キリスト教や一向宗というあらたな信仰が支持を集めた!  
(h)「中世」から「近世」にかけての変化は、これまで見てきたように、「自力救済から平和へ」、「多元性から一元性へ」、さらに「呪術から合理主義へ」と特徴づけられる。(242頁)
(h)-2 ただしそれらの変化は一直線に展開したわけでない。とくに中世の「呪術」から近世の「合理主義」への変化については、中世後期(室町・戦国時代)、人々のあいだに信仰への懐疑が拡がっていくのに逆行して、一時的に強烈な信仰形態が生み出された。(Ex.  補陀落渡海・湯起請・鉄火起請!)(242頁)
(h)-3 また中世後期、信仰への懐疑が拡がっていくと、既存の宗教勢力が減退し、キリスト教や一向宗というあらたな信仰が支持を集めた。(242頁)

(4)-3 神・霊・鬼を人間が演じ、劇(「夢幻能」)として演出するのは、合理的精神によるものだ!     
(i)世阿弥(1363?-1443?)が創始したとされる「夢幻能」(ムゲンンノウ)は、旅人や僧侶のまえに、神や霊がが出現し、土地の伝説や身の上を語るという表現スタイルだ。これは「神仏ともに生きた中世人」の心性を伝えると言われるが、清水克行氏はこれに異論を唱える。(242頁)
(i)-2 古代・中世において、神・霊・鬼は俗人に見ることができないものだった。それは語ることも造形することもできなかった。ところがそれを人間が演じ、劇として演出する(「夢幻能」)というのは、呪術的精神でなく合理的精神によるものだ。(242-3頁)
(i)-2-2 そこには神はいない。神・霊すらも芸能・娯楽へと引き下ろした室町人の精神の所産が「夢幻能」だ。(243頁)

(5)中世ヨーロッパで「キリスト教への不信」が広まった一因は「ペストの大流行」だった!日本中世では「戦争」(「乱」)という「天災」が既存の宗教(神仏)への不信をもたらした!    
(k)ではなぜ室町・戦国時代の人々は「神仏への疑念」を抱いてしまったのか?(243頁)
(k)-2 中世ヨーロッパで「キリスト教への不信」が広まった一因は、ヨーロッパを何度も襲った「ペストの大流行」(※14世紀、1347年から1400年まで3回の大流行と多くの小流行)だった。非情な疫病に教会も聖書も役に立たないと知った時、人々は新たな価値観を模索していった。(243頁)
(k)-3 日本中世の場合、「ペスト」のような大規模なパンデミックはなかったが、それに代わる悲劇として、激化する「戦乱」の存在が大きかった。(Cf. 「戦国時代」:1467年応仁の乱から1590年小田原・北条氏の滅亡まで。)(243頁)
(k)-3-2 当時の庶民にとって「戦争」(合戦・紛争)の発生は「乱が行く」と表現され、不意に脈絡なく人々の生活を破壊する理不尽な「天災」と捉えられていた。(244頁)
(k)-3-3 そうした中で、「戦争」(「乱」)という「天災」から既存の宗教(神仏)が必ずしも人々を救済しないと気づく。ある者はよりエキセントリックな方向に信仰心を深めるが、ある者は信仰を疑いより合理的な思考を深めていった。これが中世の終わり(室町・戦国時代)に訪れた人々の「信仰心の退潮」の原因であろう。(245頁) 
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