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春日武彦(1951-)『老いへの不安 歳を取りそこねる人たち』(2011、60歳)(その1):「アンチエイジング的なもの」には苦々しい気分になる!「老い」を引き受けずに済まそうとしている!

2023-05-18 15:09:01 | 日記
※「頁」は中央公論新社・中公文庫(2019)による。
序章 初老期と不安
(1)男性の観点からすると、老人は青年や中年(※壮年)の劣化バージョンだ!本書は(※男性の)「老いのダークサイド版の見本帳」である!
A 「不老不死」のうち「不死」を望むことは出来ない。「不老」については「老いの否定」(アンチエイジング)がエスカレートしつつある。「若く見える→若々しい→エネルギッシュで充実した人生」といった「強迫的な執着」がある。(10頁)
A-2 「老いること」にはネガティブな側面がある。(※著者は男性なので、男性の観点からの指摘!)①健康弱者になる、②金銭面の弱者になりうる(※年金が少ない)、③ 世間から置き去りにされかねない不安、④必要不可欠な人物という立場からの退場の寂しさ、⑤(老人であるため)敬して遠ざけられるもどかしさ、⑥(※総体として)切実な無力感、⑦核家族化により、老人なりの役割分担がない。(14頁)
A-2-2  かくて老人は青年や中年(※壮年)の劣化バージョンとされる。(15頁)
《感想》春日武彦氏のこの著作は、「男性の観点」からの老人論である。「女性の観点」からの老人論が別に論じられる必要がある。
B  この著作は、①老人に関する「地に足のつかぬ理想論」や、「溌溂老人を目指そう」的なことは述べない。またその反対に②「脱力の勧め」を説くつもりもない。それは「小賢しげ」で嫌だ。春日武彦氏はそのように言う。(19頁)
B-2  この著作は③「老い」に関する「げんなりする」ようなことばかりに目を向ける。本書は(※男性の)「老いのダークサイド版の見本帳」である。(19-21頁)

第1章 孤独な人
(2)欲がなく廃村に独り住む老人!元噺家の菊蔵はもう友だちが要らない&世間におもねらない!   
C  春日武彦氏(60)は「孤独であっても、淡々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たち(※男性)」に興味をもつ。(49頁)
C-2  塩野米松(1947-)「天から石が」(1998、51歳)は廃村に独り住む老人(男)を描く。この老人が「いいな」と春日武彦氏は言う。老人は78歳。妻は4年前に癌で死んだ。娘は遠くに嫁に行った。裏庭に菜園があり、仕事は炭焼きだ。(27-36頁)《感想》何かあれば役場が様々の便宜を図ってくれるだろう。病気で寝込んだら独り死ぬだろうが、それは「意識」をもたぬ、もとの普通の自然(宇宙)へ戻ることだ。
C-2-2 この炭焼きの老人は①欲がない、②愛想は乏しいが悪意はない、③先入観にとらわれない、④裏表がない、⑤寛容さがある、⑥「自分の始末はすべて自分でつけられる」&「他人に頼らずに生きていける」(※ただし元気である間!)、⑦つまらぬ自己主張はしない、⑧誠実だ。⑨強い人だ。(37頁)
C-3  富岡多恵子(1935-2023)「立切れ」(1977、42歳)には、菊蔵という70歳過ぎの男性が描かれる。彼は生活保護を受けながら安アパートで独り暮らしをしている。元噺家で真打ちだった。いま菊蔵はもう「友だちが要らない」という。彼は「世間におもねらない」。(43-45頁)

第2章 鼻白む出来事
(3)「鷹揚で年輪に見合った知恵」とさらには「落ち着きと諦観とを兼ね備えた風格」とを「老人」に期待する!   
D 春日武彦氏(60)は「老人のあるべき姿」があり、それに反すると「鼻白む」ことなる。①「品のある老人」であるべきだ。Ex.  パン屋でトレイから自分が落としたパンを、棚に平然と戻す老人などとんでもない。(53頁)②「決めつけてくる」老人、「自分の思い込みだけを一方的に繰り返し、対話が成立しない」ような老人はだめだ。(58頁)③「怠け者のニートの若者たちが、そんな資格もないのに図々しく座席に座って、まっとうな老人の自分たちに席を譲らないのは許せない」と怒る老人も嫌なやつだ。(61頁)④「偏屈で意地悪で寂しい老人」にはなりたくない。(74-75頁)
D-2  春日武彦氏(60)は、「鷹揚で年輪に見合った知恵」と、さらには「落ち着きと諦観とを兼ね備えた風格」とを、「老人」に期待する。(73頁)
《感想》春日武彦氏が「老人」というのはだいたい70歳代後半、いわゆる「後期高齢者」だ。

第3章 老いと勘違い
(4)「老いの勘違い」!「時代が違う」し、「セクハラ」・「パワハラ」にあたる!
E 中原文夫(1949-)「本郷壱岐坂の家」(『けだもの』2009所収)を、春日武彦氏(60)は引用する。これは89歳の老人(藤堂哲太郎)が自分の会社の会長職に在り、20歳そこそこの女子社員(高田涼子)を「昔、好意を持った娘」と似ているからと会長秘書にする話だ。寄席・高級レストラン・料亭に誘う。女子社員は断れば会長の不興・不利益を被るので、断れない。(77-85頁)
E-2  女子社員は、これは会長の「セクハラ」であり、公私の区別なく「使用人」のように扱われていると思いつめ、ついに会社に放火した。ところが老人の会長は「トップが従業員をかわいがって何が悪い!」と言うだけだ。息子である社長は「もう時代が違うんだ」と言っても、89歳の会長(父親)にはわからない。(85-90頁)
《感想》これは「老いの勘違い」だ。「時代が違う」し、「セクハラ」・「パワハラ」だ。
(4)-2「アンチエイジング的なもの」には苦々しい気分になる!「老い」を引き受けずに済まそうとしている!
F  春日武彦氏(60)は「老いを受け入れよ」と主張する。「同年代の他人が若さに執着していたなら・・・・苦々しい気分になる」。また「笑顔と軽々しさと空(カラ)元気とが混ざり合った」ような「アンチエイジング的なもの」は、「人生における難儀なもの」つまり「老い」を引き受けずに済まそうとしているのだ。(97頁)
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