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「2000年代 戦争と格差社会」(その6):「希望のない国&殺人」村上龍『希望の国のエクソダス』『共生虫』、高見広春『バトル・ロワイヤル』、柳『ゴールドラッシュ』!(斎藤『同時代小説』5)

2022-04-22 13:35:49 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(54)「希望のない国のトレンドは殺人だった」:村上龍『希望の国のエクソダス』(2000)この国には「希望」がない!(a)「人格を二重化」してやりすごすか、(b)「復讐」でもしなければやってられない!
F  村上龍(1952-)『希望の国のエクソダス』(2000、48歳)は、ネットを通してつながりあった中学生たちが集団不登校や大人相手のビジネスに走る、という近未来小説だ。(189頁)
F-2  作中の「中学生」はこんな台詞を吐いている。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない」。(189頁)
F-2-2  ①「いじめ」が常態化した「学校」。(189頁) 
※①-2 だが「いじめ」は学校だけでない。企業が基本的に「ブラック」だ。
※②企業がブラックなのは、労働者が「使い捨て」だからだ。「非正規雇用」が4割だ。
※③大学・大学院等の研究者でさえ「使い捨て」だ。 
※③-2大学院を出ても「日雇い」のようなものだ。この国の基礎は壊れつつある。
※④「ブラック」「使い捨て」「非正規雇用」「日雇い」のような状況では、結婚・子育て・子どもの教育費を賄う可能性も小さい。
⑤さらに「家庭」も100%安心な場と言えない。(※DVなど。)
かくて「中学生」にとって、この国に「希望」はない。(189頁)

F-2-3 『希望の国のエクソダス』の語り手は言う。「中流というか階級が消滅しつつあった。経済格差に慣れていない大多数の日本人にとって、それは耐えがたいことだった。八割から九割の国民が没落感に囚われ、羨望と嫉妬が露わになった。人々は怒りに駆り立てられ、無力感に襲われた。当然のことのように新しいナショナリズムが起こり、いくつかの新右翼の政党が生まれ、無力感に沈む人々は新興宗教に吸い込まれていった。」(189頁)
F-2-4 2000年代以降の日本を、この言葉はほぼ正確に予言している。(※つまり日本を覆う「没落感」、勝ち組への「羨望と嫉妬」、「怒り」、「無力感」!)(189頁)

★村上龍(1952-)『希望の国のエクソダス』(2000、48歳)
《書評1》経済が停滞し閉塞感の漂う日本。2001年、CNNで報じられた「日本を捨てパキスタンで地雷処理に従事する16歳の少年」の報道に触発され、日本に絶望した約80万人の「中学生」が学校を捨てる。彼らはネットワーク『ASUNARO』を結成し、インターネットを駆使して新たなビジネスを始める。そして、ついに北海道に広大な土地を購入30万人規模で集団移住し、都市および経済圏を独自に作り上げ、「日本からの実質的な独立」を果たす。日本経済が低迷する理由は「思考停止した大人達が既存システムに留まり続けた」ためであり、「中学生」達がそこに変革を起こすと小説は述べる。
《書評2》2001年インターネットで繋がった全国の「中学生」が集団不登校→IT関連産業の起業等を通じ経済的な自立→北海道へ集団移住。この小説が書かれた時(2000年)から今(2022年)まで、相変わらず「希望」なんて何処にもないけど、「希望」を見出す目的で改革するのも一策だと思った。
《書評3》読んでいて不快になることが多かった。 この本の「中学生」達に近い歳の私だけど、自分は全く「経済」の知識がない。「法律」もわからない。周りもそう。14、15歳なんかまだまだ主要五教科を勉強している歳なのに、いきなり「ビジネス」を始めてあそこまで成功すると思えない。「インターネット」の力を過信しすぎている気もする、また人は子供だとしてもそう簡単に「団結」しない。
《書評4》小中高生は「大人が作った教育現場」で教育を受けるのだから、そんな「若者」(「中学生」)に未来を託しても無理だ。リアルは「インターネットで文句をいう」くらいしかできない。「何かを変えたい」と思うなら何よりも「大人」達がするべきだ。

(54)-2 「希望のない社会」に対し、(a)「人格を二重化」してやりすごす:Ex. 『インストール』、『野ブタ。』、『蛇にピアス』、『黒冷水』! ※既述(52)(53)
F-3  「希望のない社会」でどうやって生きろというのか。(a)「人格を二重化」してやりすごすか、(b)「復讐」でもしなければやってられない。(189頁)
F-4  「希望のない社会」をやりすごすための「人格の二重化」は、他方でネットメディア抜きにはやはり考えられない。(ア)綿矢りさ『インストール』(2001)では、「私」(17歳の高校生)はインターネット上で風俗嬢になりすまし、客と「エロチャット」をする。不特定多数を相手にした掲示板などは「リアルな私」と切り離された、匿名性の高い「バーチャルな私」の世界だ。(187頁)
F-4-2  (イ)『野ブタ。をプロデュース』の「俺」こと桐谷修二は、この「人格の二重化」をリアルな世界でやろうとする。(187頁)
F-4-3 (ウ)『蛇にピアス』のルイは「二重化」が当たり前になった世界で、「身体性」をとりもどそうとする。(187頁)
F-4-4  (エ)父母の前では平然と生活しつつ、裏でステルス攻撃に熱中する『黒冷水』の兄弟も、表と裏、「二重の人格」を使い分ける。(187頁)

(54)-3 「希望のない社会」に対する(b)「復讐」(少年少女たちの破壊衝動):高見広春(タカミコウシュン)『バトル・ロワイヤル』(1999)が若い世代に支持される!
F-5  高見広春(タカミコウシュン)(1969-)『バトル・ロワイヤル』(1999、30歳)が、若い世代に支持され100万部を超すベストセラーになったのはなぜか?それは「希望のない社会」で、少年少女たちの「破壊衝動」(「復讐」)が一般化した時代だからだ。なんらかの事情で「復讐」を考えてもおかしくない時代に、私たちが生きている。(188-190頁)
F-5-2  高見広春『バトル・ロワイヤル』の舞台は全体主義の国「大東亜共和国」だ。そこでは毎年「防衛上の必要から行っている戦闘シミュレーション」として殺人ゲームを「中学生」にさせる実験を行っていた。1997年香川県城岩町城岩中学校3年B 組42人が実験の対象に選ばれる。かくして最後の1人が残るまで殺し合うゲームが始まる。(188頁)

F-5-3 神戸連続児童殺傷事件(1997)(※男子中学生14歳が相次いで小学生5人を殺傷し、うち2人死亡させた。酒鬼薔薇聖斗サカキバラセイトと名乗る)、佐世保小6女児同級生殺害事件(2004)(※6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられて死亡した事件。)など、1990年代後半から2000年代前半の日本は「少年の凶悪犯罪」に呆然とした。(統計的に見れば少年の凶悪犯罪は年々減少していて、1960年代のほうがはるかに多い。)(190頁)
F-5-3-2  佐世保の少女が読んでいたことで、『バトル・ロワイヤル』は攻撃の対象となった。だが問題は、実際の事件と小説の因果関係ではない。問題は、少年少女たちの破壊衝動が一般化した時代、彼らが「復讐」を考えてもおかしくない時代に私たちが生きていることだ。(190頁)

★高見広春(タカミコウシュン)(1969-)『バトル・ロワイヤル』(1999、30歳)
《書評1》個々の心理描写が描かれていて、みんなが極限状態の中で「大人が決めたルール」に付き合わされ、それでも必死に戦い抜いていく姿が見えた。
《書評2》「42人もいて中弛みしないだろうか」と思ったが書き切る筆力は圧巻。「ありえないシチュエ―ションで、それぞれの個性また運命を書き切る」にはこれだけのページが必要ということだろう。
《書評3》残酷さが目立つ作品ではあるけれど、死を目の前にした中学生たち1人1人の行動や感情が儚く切ない。読後の喪失感が凄まじくてしばらくボーッとしていた。面白かった。
《書評4》様々な人(親しい友人、恋人、ただのクラスメイト等)がいる中で「信頼すること」の難しさと重要性がテーマとして描かれる。中学生という多感な時期を描いているので、「心の揺れ動き」がより如実に伝わった。 終盤で人生について語る場面があり、印象的だった。「結局、いい家や車に乗って自分を着飾っても最後には死ぬ。だったら何の為に生きるのか?人生は虚無と言えるかもしれない。しかし、嬉しいとか悲しいとかを感じることができれば埋めることができるだろ?」

F-5-4  しかし『バトル・ロワイヤル』は意外に正攻法の少年文学だ。42人の中学生は好きで戦っているのでなく、国家権力によって殺し合いを強制されているわけで、中学生(兵士)と教師(上官)、その背後にある国家権力の関係は、「戦争」そのものと言える。(斎藤美奈子氏評。)(188頁)
F-5-4-2  その構造に気づいている生徒のひとり、川田章吾が言う。「俺は復讐したい、それが自己満足に過ぎなくても、この国に一発食らわせてやりたい。」(188頁)

(54)-4  2000年代の文学のトレンドは「殺人」と「テロ」で、1990年代末からこの傾向ははじまっていた!柳美里『ゴールドラッシュ』(1998)、村上龍『共生虫』(2000)!
F-6  再度言えば、2000年代の文学のトレンドは「殺人」と「テロ」だった。1990年代末からこの傾向ははじまっていた。(190頁)
F-6-2  柳美里(1968-)『ゴールドラッシュ』(1998、30歳)は、神戸連続児童殺傷事件(1997)に触発されたという作品で、崩壊した家庭に育った少年が「父親」を殺害する物語。(190頁)
《書評1》パチンコ店を経営する父、金はあるが家族はばらばらだった。母は別居、兄は精神疾患を患い、姉は遊びまくって父に反抗、主人公は三番目の少年、かずき。父はこの少年を跡取りにしようとする。少年は自分が「大人と対等」と勘違いし、「金があれば何でも自分の思い通りになる」と思う。やがて少年は、「父を殺し、経営を自分で行う」ことを考える。背筋が凍り、目をそむけたくなる描写がある。「ドロドロした少年の心」を救えない大人たち。
《書評2》心理的に恵まれない境遇の少年が「親殺し」に手を染めた後、「親殺し」が自身の救済につながらないことに気づき、主人公が現状を受け入れ精神的にほんの少しだけ成長するという小説だ。「やさぐれている思春期の読者」には強く響くだろうが、それ以外の読者には「グロテスクさ」のため敬遠されるか、「幼稚な世界観」のため冷笑されるだろう。自身の子どもが思春期で、「ナイフ」を携帯したり、「麻薬」を常用したり、「いじめの主犯」だったり、「売春」するなど、酷く荒れているのであれば、参考となる小説かもしれない。

F-6-3 村上龍(1952-)『共生虫』(2000、48歳)は、インターネットを通じて自分は選ばれた者だと思い込んだ「引きこもり」の青年が、自分を翻弄した連中の殺戮に向かう物語だ。(190頁)
《書評1》主人公「ウエハラ」とウエハラが作りあげた妄想である「共生虫」。これに寄生された人物には殺戮が許されると「インターバイオ」の連中が嘘を吹き込む。「ウエハラ」は父と兄を撲殺し、インターバイオの3人を毒殺する。この小説は、主人公の成長を描いた一種の「教養小説」(Bildungsroman)とも言える。
《書評2》「引きこもり」のウエハラには、彼が信じる「共生虫」が絶対だ。自分の家族も、将来も、仲間も、「共生虫」に及ばない。そんなウエハラが、共生虫を理解してくれる団体「インターバイオ」をHPで得てから活動が始まる。これまでの「引きこもり」が嘘のように、行動力抜群のウエハラ。父と兄をバットで殴り殺し、ウエハラを操ろうとした3人の男には毒ガス。ウエハラの視界には生贄を物色することしか無い。

F-6-4  2000年代に入ると、「殺人」や「テロ」の物語はさらに増加する。それは新人作家も中堅作家もベテラン作家も巻き込んだ動きだった。(190頁)
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