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「1990年代 女性作家の台頭」(その11):「壮絶人生」乙武洋匡、大平光代、柳美里、飯島愛、妹尾河童!Cf. 車谷長吉!「自伝」二谷友里恵、郷ひろみ、石原慎太郎!(斎藤『日本の同時代小説』4)

2022-04-06 16:37:40 | 日記
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(47)「壮絶なる人生だけがなぜ受ける」 Cf. 車谷長吉『鹽壺の匙(シオツボノサジ)』(1992)往年の「私小説」そのもの!
L 「私小説」では車谷長吉(1945-2015)『鹽壺の匙(シオツボノサジ)』(1992、47歳)は久々に出現した本格私小説で、一族の「ファミリーヒストリー」だった。「狂人の父」、「古い納屋の梁に粗縄を掛けて自殺した」叔父。「暗い、重い、辛い」と三拍子そろった往年の「私小説」そのものだ。(斎藤美奈子氏評。)(167-168頁)
《書評1》描かれている世界と人物のあまりの異常さに、見てはいけないものを見てしまった気持ちになった。人間の「醜さや悪意」、「狂気」、「金銭への執着」をこれでもかと描いていながらも、不思議と過剰に露悪的だという印象を受けない。他の著作も読んでみたい。
《書評2》自分の飼っていた百舌を殺した「隣家の猫」の目に五寸釘を打ち込んで殺し、橋からぶら下げたり、従妹の女の子をねたんでパンにガラス片を入れたり・・・・。こういった「悪意」は決して過去の話とは片付けられない。
《書評3》「語ることはあばき出すことだ。それは同時に、自身が存在の根拠とするものを脅かすことでもある。『虚』が『実』を犯すのである。だが、人間には本来存在の根拠などありはしない。語ることは、実はそれがないことを語ってしまうことだ。」(『鹽壺の匙』)

L-2  ポップな小説を読みなれた読者は、「暗い、重い、辛い」往年の「私小説」というだけでぶっ飛んだ。もっともこれはカブトガニ級の「生きた化石」だから珍重されたのであって、「私小説」の主流はとっくに別のところに移っていた。(168頁)

(47)-2 「私小説」の移行型としての「自伝的エッセイ」:二谷友里恵(ニタニユリエ)『愛される理由』(1990)、郷ひろみ『ダディ』(1998)、石原慎太郎『弟』(1999)!
L-3  すでに見たたように1980年代、「私小説」はプロの作家から、タレントなどのアマチュアによる「自伝的エッセイ」に移行した。(Cf. 「タレント本で再編されたポスト私小説」黒柳徹子、山口百恵、安部譲二!)(168頁)
L-3-2  1990年代のアマチュアによる「自伝的エッセイ」としては、二谷友里恵(ニタニユリエ)(1964-)『愛される理由』(1990、26歳)(※70万部売れた!)がある。タレントの二谷友里恵が歌手の郷ひろみとの結婚までを自慢げに語った。(斎藤美奈子氏評。)(168頁)
《書評》慶應女子メンタリティに興味がわき、この本を手にとった。すごい本だった。天然のお嬢様気質。多分平民が話しかけても虫けら程度にしか感じない。学生時代マイカーで通学し、何度レッカー移動されたかわからない。(学習しないのか?公共の交通ルールとか「どうでもいい」と思ってるのか?)1ヶ月の一人旅も終わり成田に着く。迎えは友人が来てくれた。懐かしかった。「久しぶり!」がフランス語で出てしまったらイヤミだな、と懸念していたが、その心配は全くなかった。(これを文章にできることがすごい・・・・)

L-3-3  さらに郷ひろみ(1955-)『ダディ』(1998、43歳)(※100万部売れた!)は、その二谷友里恵との離婚の顛末を自虐的につづった。(168頁)
《書評》この人は「人の気持ちを察することができない」のかと思う。娘さんの受験結果が来て泣いている友里恵さんが「娘の受験結果、どうだったと思う?」と聞くと、「ンーなこと僕は超能力者でも占い師でもないからわからない」と書いていて唖然とした。最後のほうで、郷さん自身が書いているように、「15歳ぐらいで芸能界にいて、ちやほやされてきた」からこうなるんだと思う。郷さんは「人に何かしてあげる」こともあるけど、マイ・ペース過ぎるし、押しつけてる。郷さんは私生活でも「自分に酔ってる」と思う。

L-3-4  亡き弟・裕次郎との日々を描いた、石原慎太郎(1932-2022)『弟』(1999、67歳)も、文学作品というよりも「自伝的エッセイ」の類いだ。(168頁)
《書評》時代に沿って弟の人生を記録するというより、どんどん感情が高ぶり、言いたいことを早口でとりとめなく話し、あっちこっちへ飛ぶ。入院以降は弟の死を見つめ、つらい心情が伺える。翻ってデビューの頃は「新鋭作家」慎太郎と「スター」裕次郎の青春そのもの。2人は戦後の夢を背負って若者文化を引っ張った。兎にも角にも「弟」は生まれ持った才能をもち、太く短くおおらかに生きた大スターだった。

(47)-3 「障害」あるいは「壮絶人生」の本:乙武洋匡(オトタケヒロタダ)『五体不満足』(1998)、大平光代『だから、あなたも生きぬいて』(2000)、柳美里(ユウミリ)『命』(2000)、飯島愛『プラトニック・セックス』(2000)!
L-4  20世紀から21世紀に時代が変わる頃、別のタイプの「自伝」が続々とベストセラーとなった。つまり「障害」あるいは「壮絶人生」の本だ。「涙と感動」のノンフィクションが大安売りされた時代!(168-169頁)
L-4-2  乙武洋匡(オトタケヒロタダ)(1976-)『五体不満足』(1998、22歳):先天的に四肢が切断された状態で生まれた青年の「自伝」。(168頁)
《書評1》乙武さんの凄いところは、幼少期から、人との違いを比べることなく、悲観することなく育ち、そのまま大人になったところだ。 それはご両親の人としての価値観と、それをベースにした子育て、乙武さんの持って生まれた性格と、優れた知能、爽やかな容姿にも依るのだろう。この本の頃の後も、彼が良きくも悪しくも普通の人生をこなし、時にはイメージを地に落としながら生きていくことに、驚かされ感動する。
《書評2》福祉分野で働く男性が「僕はこの本が嫌いです」とハッキリ言った。そこで改めて読み返すと、幼い頃より小さな王様で特権意識を感じなくもないが、情熱的で自らの考えを持つ好青年ではないか!政治家に向いている。

L-4-3  大平光代(1965-)『だから、あなたも生きぬいて』(2000、35歳):十代にして極道の妻となり、離婚後、猛勉強をして資格をとった女性弁護士の「自伝」。(168-169頁)
《書評》「背中に刺青のある弁護士」なんてそうはいない。この方の努力は本当に素晴らしく、強い信念を持っている。その傍ら養父の応援が一番影響したと思う。養父の存在がなければ、また違った未来になっていたと思う。弁護士だけではなく、非行少年少女のアフターケアまでしているのも脱帽。いつの時代も「いじめ」、「虐待」、「非行」があるのは生きていく上で避けられないことなのか。

L-4-4  柳美里(ユウミリ)(1968-)『命』(2000、32歳):これは既婚男性との恋愛、妊娠出産、そして同居する恋人が末期がんで死去するまでの闘病の日々をつづった自伝的ノンフィクションだ。(169頁)
《書評》生まれる命と去りゆく命、生と死を隣り合わせに生きる。ここまで自分をさらけ出して書かれているのが本当に凄いところだと思う。読んでいて楽しさは感じられない、重苦しい感じだった。強さをひしひしと感じる作品だった。「人間ひとついいところがあれば それでいいのだ。」
《参考》柳美里は、『石に泳ぐ魚』(1994、26歳)を発表し小説家としての活動を開始。『石に泳ぐ魚』は、「顔に腫瘍を持つ実在の韓国人女性」をモデルにしたことで、「プライバシーを侵害された」と訴訟問題に発展した。2002年に最高裁で出版差し止め判決が出された。

L-4-4-2  なお柳美里は、演劇界から文学界に進出し、『家族シネマ』(1997、31歳)で芥川賞を受賞した。(169頁)
《書評》完全に崩壊してしまった「家族」が、「撮影」という大義名分のもとに久しぶりに集まる。「撮影時」と「オフ時」でまったく言動が異なるが、読者側からすれば、どちらが本当なのかすら分からない。言動を見るにつけ、「家族」が崩壊した理由も、再生しない理由も一目瞭然であり、これからも改善は全く見込めない。自分の頭の中にある「家族」の定義とあまりにもかけ離れていたためか、物語世界の理解に難儀した。

L-4-5 飯島愛(1972-2008)『プラトニック・セックス』(2000、28歳):不良少女からAV女優、人気タレントへと上り詰めた女性の自伝的エッセイ。(169頁)
《書評》たまに読み返す本。16歳で夜の世界へ。19歳でAVデビュー。20歳にはテレビに出演し、巨額な金銭と華やかな人脈に恵まれたが、彼女の「虚しさ」は最後まで、埋まらなかったのかもしれない。読むたびに思うことは、(ア)飯島愛はなぜこの本を出そうと思ったか、(イ)何度も暴力を振るわれた父親との関係がなぜ急に好転したか、そして(ウ)自伝発表後に彼女の「空虚感」が少しでも埋まったかである。自宅で孤独死した報道は、今でも強烈に記憶している。享年36歳。どうぞ、安らかに。

(47)-4 「壮絶人生系」の本に対する批判:不幸を「娯楽」として消費し(※他人の不幸は蜜の味)、復活物語で「カタルシス」(※抑圧の解放による快感)を得る!「普通の人生」を抑圧する構造を含む!
L-5  赤坂真理(1964-)は「『障害』と『壮絶人生』ばかりがなぜ読まれるのか」(『中央公論』2001年6月号)という論考で、「壮絶人生系」の本を批判する。「ここ数年、およそ希望と名のつくものが、一見それが欠落していると見える地点からもたらされている意味を、『普通』の人々は、感動するだけでなく、よく考えたほうがいい。」「涙や感動の話はいまや消耗品である。」(赤坂真理)(169頁)
L-5-2  これは、痛烈な、しかし至当な批判だ。「壮絶人生系の自伝」は、何らかの事情で「人より下」の境遇に落ちた人物が、失地を回復することで「人より上」に至った一種の「英雄譚」、「偉人伝」に近い構造を持つ。(169頁)
L-5-3  (ア)読者は本の前半で、彼らの不幸を「娯楽」として消費し(※他人の不幸は蜜の味)、後半の復活物語で「カタルシス」(※抑圧の解放による快感)を得る。(169頁)
L-5-4  (イ)すべての「障害者」、「極道の妻」、「シングルマザー」、「AV女優」が「英雄」(乙武洋匡、大平光代、柳美里、飯島愛)になれるわけでない以上、「弱い人」の「普通の人生」を抑圧する構造が含まれる。(169-170頁)

L-6  妹尾河童(セノオカッパ)(1930-)『少年H』(1997、67歳)も、「壮絶人生系」の本と似た構造を持つ。(170頁)
L-6-2 『少年H』(※200万部のベストセラー)は著者の少年時代の戦争体験を描いた自伝的作品だ。一方で神戸の空襲などの壮絶な体験が描かれる。(170頁)
L-6-3 ところが他方で少年Hは「戦争のおろかさを見ぬいている」一種の「英雄」として描かれる。(170頁)

《参考》肯定的な評価:【立花隆氏】ここにはしたたかだが純粋な「少年H」の眼を通して、あの戦争の時代が活写されている。これは戦後50年という時間と、妹尾河童という個性を得てはじめて形象化されたあの時代の「意味」である。【澤地久枝氏】この物語には、今まで誰も書かなかった貴重な「時代への証言」がある。戦争を知らない少年少女はもちろん、かつて少年少女であった大人の人にも、逞しく繊細な「少年H」にぜひ会ってほしい。笑いと涙と真実の素顔に。【椎名誠氏】読みすすみうちに今日の河童さんの、あの天真爛漫な100%全開の好奇心に彩られた水平垂直タテヨコナナメの全空間的行動力とそのゆるぎない追求・探求心の源流が見えてくる。
《書評1》[上巻]戦前戦中の子供たちの暮らしは、いまの平和で豊かな時代からは、可哀想な時代と思いがちだが、そんな中でも好奇心旺盛に育っていく少年Hに、忘れかけていた心の豊かさを感じた。そして、戦争という国の舵取りが子供たちの心、価値観まで変えてしまっていたことに胸が痛かった。
《書評2》[下巻] 激しくなる戦局と終戦後まで。当時の市民の生活状況を知る事が出来て興味深かった。Hの考え方は当時としては「異端」というか、「ひねている」と思う。・・・・原爆の事が本当に新聞に軽く「被害は防げる」みたいな感じで書いてあったのかと、びっくりする。情報源が限られてたら、信じてしまうんだろう。

L-6-3-2 山中恒(1931-)が『間違いだらけの少年H』(1999、山中典子との共著)で少年Hの戦争に対する認識は戦時の実態とズレていると指摘する。(※当時は「少年」はみな「少国民」として教育されており、少年Hが「戦争のおろかさを見ぬいている」などありえない。)(170頁) 

L-7  「タワケ自慢の私小説」の系譜を継ぐ「自伝」が今や、「涙と感動」の物語となった。(170頁)
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