今日(17日)は以前に手芸を教えていたKさんに、干支の丑さん作りを教えました。
Kさんとは私が青汁の配達をしてた時からのお客様で、私が配達を止めてからも家が近いのでお付き合いが続いてました。
Kさんの実家は京都で、その京都から脳梗塞を患ったお母様が一緒に済むようになり私とも顔見知りに
私が吊るし雛を作ってるのを知って、教えて欲しいとの事でKさんとお母様とKさんの友人のNさんを教える事になりました・・・こちら
KさんとNさんには吊るし飾りが完成した3年間を教えましたが、お母様は1年半くらい経った頃に更に身体の自由が効かなくなり施設に入られました。
その後はお母様にお目に掛かる事も無かったのですが、施設でお元気に暮らしてるとの事でした。
KさんとNさんはは吊るし飾りが出来上がった後は暫くは休みたいとの事で手芸を抜きで、Kさんとは年に数回会ってましたが毎年干支だけは作りたいとの事で
干支を作る時期が来たので干支の写真を添えて連絡しました。
何時もならすぐに返事が来るのに中々返事が戻って来ません。
私はいつもと違うKさんに、もしかしたらお母様の身に何かあったのでは・・・
私の勘が当たりました、返事には9月に90歳で亡くなられたそうです。
葬儀は家族親族のみで行われたそうですが、お母様が作られた七宝まりや吊るし雛の幾つかを皆様に観て貰ったそうで
本当に良かったとKさんから返事を頂きました。
既にお母様の納骨も京都のお墓に無事に済まし、Kさん宅には生前のニコニコ笑った本当にいい顔してる写真がありました。
私がお母様の好きだった干し柿をお持ちしお供えしましたが、お母様は以前に我が家にお茶しにいらした事を非常に喜んでたそうで
今日もKさんから「他は誰も呼んでくれないのに、ラッシーママさんだけが初めて母を呼んでくれてありがったかった」と言って頂きましたが
我が家は誰がいらしても接待などしませんが、家にあるものでお茶くらいならお出ししますよ。
お母様と一緒に手芸した1年半は私にとっても、楽しい貴重な時間でした。
思うように動かせない指を必死に動かし縫ってる様子は、努力無くては縫えるものではないのに沢山の吊るし雛を作りましたね。
晩年の穏やかなお母様の日常はKさんと言う優しい娘さんが居たからで、更にKさんのご主人に娘孫さん
眠る様に安らかに旅立たれたそうで、本当に90歳まで幸せな一生でしたね。
Kさんにとっては寂しいでしょうが、日々が癒してくれるでしょう。
今日はお母様も仲間に入って、私達の話しを聴いて笑ってくれたでしょうか。

今回作ってる丑さんは1度で完成させるのは難しいので、もう1度日を改めて作る事にしました。
15時には美味しいお茶菓子を戴きました。
お母様の写真をブログに載せていいか訊きましたら、「母も喜ぶでしょうから載せて下さい」と承諾を得てます。
私もお母様に挨拶できて良かったです。

Kさんとは私が青汁の配達をしてた時からのお客様で、私が配達を止めてからも家が近いのでお付き合いが続いてました。
Kさんの実家は京都で、その京都から脳梗塞を患ったお母様が一緒に済むようになり私とも顔見知りに
私が吊るし雛を作ってるのを知って、教えて欲しいとの事でKさんとお母様とKさんの友人のNさんを教える事になりました・・・こちら
KさんとNさんには吊るし飾りが完成した3年間を教えましたが、お母様は1年半くらい経った頃に更に身体の自由が効かなくなり施設に入られました。
その後はお母様にお目に掛かる事も無かったのですが、施設でお元気に暮らしてるとの事でした。
KさんとNさんはは吊るし飾りが出来上がった後は暫くは休みたいとの事で手芸を抜きで、Kさんとは年に数回会ってましたが毎年干支だけは作りたいとの事で
干支を作る時期が来たので干支の写真を添えて連絡しました。
何時もならすぐに返事が来るのに中々返事が戻って来ません。
私はいつもと違うKさんに、もしかしたらお母様の身に何かあったのでは・・・
私の勘が当たりました、返事には9月に90歳で亡くなられたそうです。
葬儀は家族親族のみで行われたそうですが、お母様が作られた七宝まりや吊るし雛の幾つかを皆様に観て貰ったそうで
本当に良かったとKさんから返事を頂きました。
既にお母様の納骨も京都のお墓に無事に済まし、Kさん宅には生前のニコニコ笑った本当にいい顔してる写真がありました。
私がお母様の好きだった干し柿をお持ちしお供えしましたが、お母様は以前に我が家にお茶しにいらした事を非常に喜んでたそうで
今日もKさんから「他は誰も呼んでくれないのに、ラッシーママさんだけが初めて母を呼んでくれてありがったかった」と言って頂きましたが
我が家は誰がいらしても接待などしませんが、家にあるものでお茶くらいならお出ししますよ。
お母様と一緒に手芸した1年半は私にとっても、楽しい貴重な時間でした。
思うように動かせない指を必死に動かし縫ってる様子は、努力無くては縫えるものではないのに沢山の吊るし雛を作りましたね。
晩年の穏やかなお母様の日常はKさんと言う優しい娘さんが居たからで、更にKさんのご主人に娘孫さん
眠る様に安らかに旅立たれたそうで、本当に90歳まで幸せな一生でしたね。
Kさんにとっては寂しいでしょうが、日々が癒してくれるでしょう。
今日はお母様も仲間に入って、私達の話しを聴いて笑ってくれたでしょうか。

今回作ってる丑さんは1度で完成させるのは難しいので、もう1度日を改めて作る事にしました。
15時には美味しいお茶菓子を戴きました。
お母様の写真をブログに載せていいか訊きましたら、「母も喜ぶでしょうから載せて下さい」と承諾を得てます。
私もお母様に挨拶できて良かったです。

旅立たれたKさんのお母様もKさんもきっとママさんに感謝されていることでしょう。
遺影、とてもいいお写真ですね。
全く存じ上げない方ですが、お写真からお人柄が偲ばれます。
今や人生100年時代!それでも90歳まで生きられれば、昔で言うなら大往生です。
Kさんのお母様のご冥福をお祈りいたします。
Kさんのお母様はとても穏やかで品のある素敵なご婦人でした。
Kさん家族と一緒に住み出しすぐに、あちこちからお母様の友達が訪ねてきて毎日賑やかだったようですが
お母様は身体の動きが不自由だったので、呼ぶ人も怖がって?呼ばなかったのか・・・
我が家にはKさんが責任を持ってお母様を連れてくるでしょうから、私は心配はしませんでした。
私もお呼び出来て良かったです。
お母様が施設に入られてからもKさんが週に何度も面会に行ってたので、本当に幸せな一生だったと思います。
お母様の笑顔、素晴らしいでしょ、私も挨拶が出来て良かったと思ってます。
私は、お母様が娘さんと一緒に、高齢になられても手芸を楽しまれるって素敵だなと思っていました。
ママさんが教えに行かれる日をきっと楽しみにされていましたよね。
遺影のにこやかな笑顔から、素敵なお母様だった事が伝わってきます。
好物の干し柿をお母様のご霊前にお供え出来て、良かったですね。
気さくなママさんの応対がお母さまの心にも届いていたのでしょうね
吊るし飾りを作る事が目的だったかもしれませんが
娘さんとママさんのお宅に出向く時間が楽しみだったと思います。
喜んでもらえて良かったですね。
笑顔が素敵なお写真です。
供えられた干し柿も喜んでいらっしゃる事でしょう。
そうでしたね・・Kさんとのこと記憶にありますけど・・お母様、お写真のお母様はなんておキレイなんでしょう!!
晩年もこんな顔でいられたら人間幸せですよね。
手芸をしたり、何か楽しいことをしてるって、大事なことですね。
人の繋がりも出来るし、、もちろんご自分の楽しさも作れるし、、
ママさんのお手製の干し柿も、特別出演が待ってるし・・・
思い出話をしながら、手芸の手を運ぶ‥自然と会話も表情も満ちてくるのが見えるようです(^_-)-☆
私が三人に吊るし雛を教えてる時を覚えていてくれたのですね、月1回でしたが楽しみにしてくれてました。
吊るし雛が完成するにはKさんとNさんは3年掛かりましたが、お母様は1年半も不自由な手でよく頑張られたと思います。
お母様が作られた七宝まりや吊るし飾りを、葬儀の時にお披露目出来たのは喜んでる事でしょう。
素敵な笑顔の遺影ですね、お好きだった干し柿を食べてくれたでしょうか。
Kさんとお母さまに手芸を教えてたのは私がKさん宅に行ってで、我が家でも良かったのですがお母様が不自由な身体では大変だからでした。
私とお喋りすると勇気を貰えると、毎月楽しみにしてたようです。
素敵な笑顔の遺影ですね、お好きだった干し柿を食べてくれたでしょうか。
お母様、本当に素晴らしい笑顔でしょ、何時も穏やかなお人柄で誰からも好かれる方でした。
このお顔のまま一生を終わられ、本当に幸せな方でした。
手芸が終わってしまったらKさんとも年に数回のお付き合いになってしまいましたが、今回の手芸でお母様の想い出話しが出来嬉しいです。
私が作った干し柿も特別出演があったようで、お母様が喜んで食べてくれたでしょうか。
一緒に楽しく手芸をされていたことを覚えております。
京都から東京へ来られて娘さん宅とはいえ寂しい事もあったでしょうがラッシ-ママさんとのお付き合いは楽しみだったことでしょう。
良かったですね。
また干支づくり Kさんは楽しまれるのですね。
楽しまれてまたラッシ-ママさんとの会話も楽しみにされていることでしょう。
私はなかなか再開出来ません~~。仕方がないです。
サロンに行かないと私は何も自分で作る気が起きなくて・・(笑)不器用なのです。
お母様、ラッシーママさんが干し柿を供え、お参りして下さった事、とても喜ばれていらっしゃると思います。
またKさんも干支を作っていると色々思い出されて、懐かしい時間を過ごされたのではないでしょうか。
読んでいるととても温かい気持ちになりました。