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ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

お好み焼きで忘年会!

2024年12月13日 | 日記
今日(13日)は今年一番の冷え込みだそうで、やっと本格的な冬将軍がやって来ました。
我が家で3回に分けた干し柿も、1,2回目は暖か過ぎて酷い干し柿でしたが
3回目はやっと美味しそうな干し柿が出来ました。







毎年、今頃になると年賀状作りですが、我が家では私が「筆ぐるめ」を使って作ってますが
今迄に使っていた筆ぐるめのソフトは、私がPCを習い出した16年前に買い求めた物で
流石にソフトが古くなり過ぎて、今年はWindows 11 / 10に使える2025年版32に買い替えました。


 


パッケージを見ると5台使えるとなってますが、昔はソフトの貸し借りは、いけなかったのでは・・・
以前PC教室に通ってた時に、同じソフトを一人1台づつ買わされた?覚えがありますが
今はこのソフト1台で5人まで自由に使えると言う事でしょうか。
早速、年賀状を作ってみましたが毎年枚数が減り、今年は60枚で一番枚数の多かった頃の1/3以下です。


 



毎年、夏冬に奈良の姉の手作りのチマキを送ってくれていたのですが
去年の11月に、東京の姉から我が夫婦と奈良の姉に、2泊3日の伊豆旅行を招待されていて
奈良の姉は招待旅行に行けるのを、とても楽しみにしていたのですが、旅行の1週間前に体の調子が悪くて
奈良の姉は不参加で、私達は行って来ました・・・こちら
奈良の姉の、その後は医者に通っても中々調子が戻らず食事も殆ど食べられないと聴いていましたので
奈良の姉のチマキ作りは当然無理で、もうチマキを貰う事は無いと思ってたのですが
だいぶ元気になったのでチマキを作ったから送るねと、先日電話が掛かってきて驚きました。
奈良の姉の声は、調子が悪かった時とは違って元気そうな声に安堵しました。


 


その2,3日後に妹から沢山のドリップコーヒーが送られてきて嬉しい事
以前に送って貰ったドリップコーヒーが丁度終わり掛けていたのです。


 


そして近所のKさん、旅行に行って来たからと「うなぎパイの詰め合わせ」を持って来てくれて嬉しいオンパレード。


 





今回の題名の「忘年会」の言葉を使うのは何年振りでしょう、コロナ前迄は日野市自治会館を使って手芸の会でした。
その頃は人数も多くて常に10人~15人位は集まっていたのです。
12月の最終の手芸日に、手芸は早めに終わらせスーパーでお弁当やお菓子・飲み物などを買って来て忘年会と称して楽しんだのですが
コロナが始まり自治会館での手芸は無くなり、その後小さいグループに分かれて手芸の会が復活しました。
先週の手芸の会の時に、寒くなったのでお好み焼きでも食べたいねから話が弾み、それならお好み焼きで忘年会をしようとなったのです。
お好み焼き屋さんですが、以前は我が家の近くにあった「お好み焼き屋」が閉店してしまい
他に私が知ってるお好み焼き屋に行く事にし、此処に行くには当然車です。
毎回、私が行ってる手芸の日のメンバーはリーダーを含め5人ですが、その時に寄り人数は増えたりします。
今回はリーダーが用事が出来てしまい、4人で行く事になりました。
私が車を出して3人を迎えに行き、我が家の前を通ってお好み焼き屋に行きました。





本当に久し振りで熱々のお好み焼き・もんじゃき・焼きそばを食べながらのお喋りは楽しいですね。
丁度昼時でしたが、私達グループが一番早く食べていたら、後から来た2グループは男性ばかりでビックリでした。
私はお好み焼きは、女性が行くとばかりと思ってたのです。
此処でゆっくりするのは申し訳ないので、ファミレスに入ってお茶した。
ファミレスで料理上手なAさんは、前日にシュトレーンを焼いたそうで、少しだけどと持って来てくれ
わたすげさんからもカステラを戴いた。


 





15時半にファミレスを出て、我が家の前を通って3人を送って行くのですから
我が家の庭のブドウの木を見て貰おうと、我が家に寄って貰った。
ブドウの木を見て、こんなに大きくなってるとは驚いていたが、「ラッシーママミニブドウ園」になるのは何時の事やら・・・
私からも3回目の上手に出来た冷凍干し柿を1個づつ渡し、3人を送った。








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諸々!

2024年12月07日 | 日記
3回目の渋柿を干して1週間が経ち、水分もかなり抜けてきましたが、未だ食べるのは無理だと思うのですが
そんな中でも、最初から柔らかい柿が1個あり、その柿も一緒に干したのです。
↓の記事に、「おとり」に庭の柿の実を付けたままにしてましたが、その柿の実も1個半しか残ってません。
そろそろ渋柿のモミモミを始めようと、渋柿を見に行くと柔らかかった渋柿の表面だけを上手に食べられてるのを見つけた
このまま外に干して置いたら鳥さん達に食べられてしまうのは目に見えてます。
去年、鳥さん達に食べられた時に、ネットを2重に被せ厳重に囲ったのに、何処から入るのか突かれてたので
今年は最初から2階の部屋の網越しに移しました。





 


もう、柿を残す必要もないので、木に残っていた1個の柿を採って食べてみたのですが
今迄に2,3個の柿を採って食べたのはゴマが入って凄く美味しかったのですが、残ってた柿はゴマも入って無くて
見るからに白っぽくて未だ渋いと分かりますが、それも皮を剥いてから分かったのですが
鳥さん達は、甘いか渋いか見るだけで判断出来るようで、凄いと感心してしまった。
今回の干し柿は美味しく出来そうです。




3日(火)、余りの天気の良さに以前に行った事がある「夕やけ小やけふれあいの里」に行ってみました。
我が家は隣の町が神奈川県なので、神奈川県の公園に行く方が多いのですが
偶には八王子市の公園でも行ってみようと、それが「夕やけ小やけふれあいの里」でした。
先日行った「県立あいかわ公園」も「夕やけ小やけふれあいの里」も、距離とすれば殆ど同じです。




















八王子市は「夕焼け小焼け」の作詞をした中村 雨紅(なかむら うこう)さんの郷里なのです。
館内は中村 雨紅さんの事が詳しく載ってます。
八王子駅の音楽が「夕焼け小焼け」です。











竹林ともみじが木漏れ日に当たり、キラキラと奇麗


























この公園、こじんまりしてて30分もあれば充分に楽しめます。
先週・今週と紅葉を楽しみました。



5日(木)は今月1回目の手芸の日でした。
私達の手芸は、其々が好きな物を作ってますので、見るだけでも勉強になります。


 


 








私は夏に、未だ袖に手を通した事が無い結城紬の着物地でチェニックを作ってましたが、そのチェニックを着て 
未だ残っている結城紬の生地で、今回は手提げを作る事にしました。
生地にドミット芯をアイロンで当ててますが、私の手、凄いでしょ。
最初、私の手を見た方は驚きますが、この手で半世紀近く使ってますので
正常な時の手の感覚はすっかり忘れてしまってますが、この手でも不便はしてません。
でも人様と同じ様には行かず、縫物をしても遅いですが、其処は根気で何とかなりますね。
どんな手提げが出来るでしょうね。






近所に住んでるKさん(ピアノの先生)、6月に「相模原北公園」にアジサイを一緒に観に行った時に
近くに服部牧場がある事を知り、秋に行こうねと約束してたので
日にちを決めるのにKさんが忙しくて、やっと決まったのが12月6日(金)でしたが
晴れなら服部牧場+ランチ、雨ならカラオケ後ランチをしようと決まり
その服部牧場の事をネットで調べると、11月~3月まで金曜日が休業日と知り
Kさんには、6日は服部牧場は休みなのでカラオケ+ランチとしましょうとラインを送りました。
そして、急遽ラッシーパパと服部牧場に行くつもりが、↓の記事に書きましたが「県立あいかわ公園」と「服部牧場」だったのです。


そんな訳で喜んだのがラッシーパパ、ラッシーパパが自分から行きたいと言うのはカラオケだけ
他は全て私が計画を立てないと、何処にも行けません。
でも私が計画を立てれば、何処でも嫌がらずに行ってくれるので構わないのですが・・・
そんな事でKさんと3人でカラオケ店に行き私は聴く専門で、ラッシーパパとKさんと交互に歌ってます。
Kさんとカラオケは4回目かな?
最初にご一緒した時より数段上手くなってるし、高い音が良く出てる。
二人ともうたい曲名をメモし、時間を無駄なく歌ってます。





その後ファミレスでランチ、写真は撮り忘れ、そして我が家でお茶しながらお喋り
Kさん、結構ゆっくりして16時に帰って行きました。
Kさんからのお土産を戴き、我が家からはネットで買った「密入りリンゴ」と出来立ての紐付き干し柿
あんぽ柿で食べるなら今だし、干し柿にしたいなら、もう少し干してね。
お茶にお出ししたのは失敗作の「あんぽ柿」だけれども美味しいと食べてくれて良かったわ。


 


 


 
 

 

 気が早いけれど「良いお年を」






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県立あいかわ公園!

2024年11月30日 | 日記
明日から12月、もう1ヵ月で年度も改まりお正月ですね。
今年は暖かかったので紅葉が例年よりも遅れてるようで、我が家では毎年の11月は街路樹の枯れ葉が落ちて
掃除をしても1時間後には山積みの枯れ葉でイライラする程ですが(最近はラッシーパパが掃除してる)
ここにきて、やっと葉っぱが黄色くなってきて、これからが大変です。
28日(木)余りの天気の良さに急に紅葉が観たくなって、近くに「県立あいかわ公園」がある事を知りました。


県立あいかわ公園は宮ケ瀬ダムに隣接した自然の地形を利用して造られた公園だそうで
春には40種40000本の色とりどりのツツジが咲くそうです。


 


公園の駐車場からすぐに中央広場に入りますが、その入口の両側にはドウダンツツジが植えてあり
私達が行った日にちは、素晴らしいドウダンツツジが観れました。








パークセンターと宮ヶ瀬ダムの間(片道1km 約7分間)を結ぶシャトル便として、ロードトレイン「愛ちゃん号」が走ります。 
パークセンターのガラスに「愛ちゃん号」が写ってます。








大きな紅葉の木があって紅葉は過ぎてましたが、1ヵ所だけ素晴らしい紅葉が観れましたが
この木全体が紅葉が真っ盛りの時は奇麗だったろうと想像できます。
































何気なく思い立って行ったのですが、これが以外や面白くて又行ってみたいと思いましたね。
土・日・祭日は駐車料金500円は掛かりますが、他は無料で観れます。
愛ちゃん号は有料です。
その後、この公園から2キロ位しか放れてない「服部牧場」に行ってみました。








「アイス工房・カサリンガ」でソフトクリーム450円を食べてみたが、濃くて美味しい。


 





FARM GARDENに行ってみたらウサギがいたのですが、ジャンボウサギとかでビックリするほど大きい。

















「県立あいかわ公園」も「服部牧場」も期待をしてなかっただけに
たった3時間でしたが行ってみて、楽しかった1日でした。




今年の干し柿作りは天候の加減で上手く作れなかったですが、何とか25キロの殆どを送ったり分けて上げたりで無くなったので
我が家の分10キロをネットで頼みました。
1回目15キロ56個、2回目10キロ36個
その頼んだ3回目10キロ36個が届いたので、すぐに干したのが26日(火)です。
今日(30日)、干してから5日目ですが、1,2回目と違ってしっかりと水分が抜けてるので
美味しい干し柿になりそうです。
今年は計128個を作り、3回目に作った分は冷凍して、出掛けたりお客様がいらした時にお出ししましょう。





↑は渋柿を干した時の写真ですが、我が家に小さいのですが柿の木2本あって
その内の1本に甘柿が10個位なり、ラッシーパパが食べるのを楽しいにしてたのですが
小鳥さん達が少し甘くなってきた干し柿を狙うので、干し柿のおとりに付けておきます。
でも渋柿が甘い干し柿になる迄には無くなってしまいそうで、その時は鳥さんと戦いが始まりそうです。


 











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姉に「あんぽ柿」を持って行った!

2024年11月24日 | 日記
11月も後半になり、あと40日足らずで2025年になる。
月日が経つのは早く感じられ、今年も元気で二人揃って年を越せそうで、ありがたい事です。
今年の干し柿作りは暖か過ぎて上手に作れなかった事は、何度も書きましたが
例年なら郵送してる東京の姉に、今年は姉と一緒に秋の旅行をしてなかったので
姉が元気なのは姪(姉の娘)から聴いてるのですが、姉は耳が遠くて電話では全く会話が成り立たないので
元気な顔を見たくて、ラッシーパパと二人で「あんぽ柿」を持って行って来た


本当に今年の「あんぽ柿」を作るのは大変で、例年なら1週間も干せば水分も飛んでシワシワになってくるのですが
今年は寒風が吹かないので水分が抜けず、提げておくと重くてヘタから実が落ちてしまうので
全部を紐から外して箱に寝かせましたが、すると水分が出て敷物が濡れ、あんぽ柿を静かに持っても破れて中味が出てしまう・・・
それでも1個づつラップで包み冷凍して持って行きました。





姉に行く事を姪から伝えて貰ってたので、姉は待っててくれました。
姉は92歳で来月で93歳になりますが、家の中で動くには全く問題なく、私達に昼食に鍋焼きを作ってくれました。








たいして話しなど無いのです、姉の元気な顔を見て14時過ぎには帰って来ました。
昼食用に出してくれた色々な物を、お土産として貰ってきた。







以前に、私の母が縫ってくれた着物を整理して、手芸に使えそうな着物を残して
他は衣類を捨てる日に出したのですが、利用できそうな着物4枚が残ってたので解いて使う事にしたのですが
着物を解くって物凄く時間が掛かり、頑張っても1日に1枚解くのがやっとです。
続けて2日間やって2枚の着物を解いたのですが、余りの大変さに残りの2枚は解くのを諦め捨てました。






今年の5月に「船に乗ったお雛様」を作ったのですが、その時にお雛様が乗るには船が小さく感じてたのが気になり
船の帯地も変えて作り直して見ました。
船の下に提げる御殿まりも大き過ぎたので、小さく作り直しました。





21日(木)は今月2回目の手芸の日でした。
何時もケーキ作りが上手なAさん、今迄に作った料理のアルバムを持って来てたので、写真を撮らせて貰いました。





 


 


お茶の時間に、私が作った「あんぽ柿」を持って行ったのですが解凍すると、丸い形の柿なのに形が崩れてしまい
見た目は不味そうなの
皆さん、美味しいと食べてくれたので良かったです。










22日(金)は大正琴の教室の日でしたので、解凍すると形が崩れてしまうけれど食べて下さいと
皆に冷凍の「あんぽ柿」を持って行ってあげた。
これで、分けてあげる人全員に分けてあげられ良かった。











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久し振りの昭和記念公園!

2024年10月20日 | 日記
久し振りに「昭和記念公園」に行って来た
16日(水)、青汁時代の友人Oさんと立川駅に11時待ち合わせて
立川駅より歩いて10分程の昭和記念公園に行ったが、以前は遠いと思わなかったが
今回は入口までが遠いと感じたので、それだけ歳を摂った証拠ですね。





 


今迄にも5,6回は来てるでしょうか、この公園は1年中、何かの花が咲いてて何時行っても楽しめ
今は「コスモスまつり」をやってるのですが、花の丘のコスモスは既に終わっていて刈り取ってしまい
未だ咲いてるという「みんなの原っぱ」の所のコスモスを観に来たのですが
この公園は広過ぎて歩いて行くにはきつく感じたので、最初から「パークトレイン」に乗って目的地で降りました。
この日はフリーパスは無くて、1回400円で園内を一周出来ます。





Oさんとはコロナ騒ぎが落ち着いた去年から、年1回会ってます。
Oさんが云うには、会いたいと思った時に会っておかないと、明日何が起こるか分からないので声を掛けてみたそうですが、誰しも思う事は一緒です。
みんなの原っぱの所に咲いてる花達を「ブーケガーデン」というようです。
ブーケガーデンに咲いてる花だけですから20分もあれば観終わります。




















この日は動くと汗が出る程で喉も渇いたので、傍にある休憩所で休みながら昔の想い出話しに花が咲く。
このOさんは青汁の仕事を25年、私は15年働きました。
私より半年ほど先輩で、Oさんとは泊まりの旅行に何度も行ってるので話しは尽きないのです。
お花を見るより話してる方が殆どでした。


 


帰りもパークトレインに乗り出口へ、この出入口の噴水のあるイチョウ並木の紅葉が、これからの季節は素晴らしいのです








最近のベビーカーは人間の赤ちゃんではなくてワンコちゃんが多いですが
ベビーカーのご主人に写真を撮って貰ったのですが、ベビーカーの中を見るとニャンコちゃんなのです。
それも、このニャンコちゃんには引き綱など付いて無いのです。
よく逃げないですねと云うと、今さんざ遊び眠いのでおとなしいのだそうです。
触っていいかと訊くと「どうぞどうぞ」と触らせて貰い可愛い。
写真を撮って貰ったお礼を言うと、「こちらこそ触ってくれて、ありがとうございます」と言われ
どれだけニャンコちゃんを可愛がってるかが分かります。





駅の近くのファミレスで遅いランチを食べて、また来年会えるように元気で過ごしましょうと別れた
私が食べたのは「小さなサイズ」3点とドリンク(セット)







17日(水)は手芸の日でした。
手芸仲間は来年の干支のヘビを作ってます。





毎回、料理上手なAさんは、今回冬瓜の煮物を、お土産用も持って来てくれました。





私の干支作りはウサギ・ネズミ・トラと3点作ったので、これで合計7点出来上がりました。















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何時まで続くか楽しみです!

2024年09月18日 | 日記
もう9月の中旬も過ぎたというのに、今年の暑さは異常です。
東京では今日(18日)最も遅い猛暑日、82年振りの記録更新したそうで夜でも未だクーラーを点けて寝てるほど
朝晩は爽やかな風が吹きますが、日中の暑さは何時まで続くのでしょうね、もうウンザリしてます


近所に住んでるKさんと12日(木)カラオケに行って来ました。
Kさんご夫婦で映画を観に行った時に、同じビル内にカラオケ店があったので
Kさんが「私1人で歌うから一緒に行って」と、ご主人にお願いしたけど断られたと話しを聴いたので
それなら我が家と一緒に行きましょうと、日にちを決めたのです。


ラッシーパパのカラオケ好きは、私が何度もブログに書いてるので皆さんご存知だと思いますが
相手をしてくれる方なら男女を問わず誰でも大歓迎ですから、ラッシーパパの喜ぶ事。
1時間半をKさんとラッシーパパが交互に歌って、私は専ら食べる一方です。








カラオケ後、Kさんのご主人が在宅なので、我が家でお茶しましょうとKさんが誘ってくれたのです。
私は以前にお邪魔した時にご主人がいらして、わざわざ美味しいコーヒーを淹れて下さり一緒にお喋りしてるのでご主人をよく知ってるのですが
寡黙の方ですが、一緒にいても気を使うこと無く居心地がいいのです。
Kさんも私も、よく友達を自宅に誘いますが、主人が居ようが居まいが全く気にしない所が同じなのです。
以前から、Kさん宅は窓が大きくて素敵な部屋なのよと私が話をした時に、ラッシーパパが部屋を観たいなぁと言ってたのです。
遠慮せずにお邪魔しました。


台風10号が来る前に2種類のブドウを全部採ったので、その時に味見程度ですが2種類のブドウを1房づつKさん宅に持って行ってあげ
美味しいブドウだったとお礼のメールを頂いてましたので、今回もブドウ2種類をお持ちしました。
今回もご主人が美味しいコーヒーを淹れてくれたのです。


 


Kさんのご主人とラッシーパパ、誰がいらしても嫌がらずに歓待してくれるのですが、大きな違いがあるのです。
Kさんのご主人はシャイで寡黙、ラッシーパパは人間好きでお喋り、私はお喋りより寡黙の方が絶対に好きですね。
楽しくお茶して、帰りにKさんからミカンを戴いてきた。


 


帰って来てからラッシーパパ、Kさん宅に連れて行ってくれてありがとうと喜んでました。




昨日(17日)田舎の土地に除草剤を撒きに行って来ました。
毎年8月中に行ってるのですが、今年は8月中は行きはぐってしまい今月になったのです。
私は一緒に行ってもラッシーパパが作業をやってる間は、クーラーの効いた車の中に居るだけなのですが
ラッシーパパの両親の墓参りも兼ねてです。





朝7時半ごろ八王子の家を出て中央高速に乗れば9時には着きますね、途中のコンビニで朝食用のお弁当を買って
畑でお弁当を食べラッシーパパ、9時過ぎから13時頃まで、アイス用ポットに沢山の氷とペットボトルを持ち
途中休みながら冷たい水をガブガブ飲んでましたが、相当疲れた様子でした。
広い畑には背の高い草が生い茂り、段差があるのを気がつかずに足を滑らして転んでしまったらしいが
立ち上がるのに時間が掛かり、自分でもビックリしたそうですが骨折でもしなくて良かったと思いましたね。
その後、すぐ近くのお寺に寄ってお参りして来ました。


 


使わない筋肉を使った為か、夜中に足が何度も攣って痛いと起きて足のふくらはぎを摩ってました。
そこでラッシーパパが思ったのには、普段は殆ど動かないので運動をしようと思ったそうですが
わざわざ散歩に行くような運動ではなくて、家の中で出来るものは雑巾がけをやるそうで
今日は台所をの床を濡れた雑巾で拭いてくれてましたが、その雑巾が真っ黒には驚きでした。
私も気にはなってるのですが、私の手首が曲がらないので雑巾がけが一番苦手なのです。
そこで名前は分からないのですが、棒状の先にクイックルウエットワイパーので拭いてるのですが・・・
ラッシーパパが毎日の雑巾がけを日課に取り入れたそうで、今日の題名になりました。





大正琴は新しい楽譜を貰いました、「芭蕉布」沖縄民謡だそうです。









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姉宅にブドウを持って行った!

2024年08月26日 | 日記
台風10号が近づいてるようで、これからの進路が気になります。
気象庁の予報では、8月27日から28日ごろにかけて関東から四国に上陸するとみられてるようで
たいした被害が出ない事を願っています。


今月2度目の手芸の会では、わたすげさんはワンピースを、Kさんはブラウスを作ってます。
私はと言えば、「チェニック」と「みいやんさん人形」の大物二点を作った後は暫くは作品を作る気が起きないので
「梅の花」を沢山作っておけば、いざ吊るし飾りを纏める時が楽なのです。


わたすげさんがワンピースを作ったのですが、とても素敵ですね
縫い方が簡単で着やすそうなので、もう1着を別の柄で作ってます。


 


リーダーはパッチワークで、体操の寝転んだ時に使うマットを作ったそうです。





私の作品ですと言うような物ではないですが、暫くは梅の花を作ろうと思ってます。


 




92歳の東京の姉、元気ですが耳が遠くて電話では会話が通じないので
3年前から今頃の時期になると、我が家で採れたブドウを持って元気な顔を見に行ってるのです。
お陰様にてブドウ2種類も形は悪いですが立派にでき、幾つも実が付いてない1房づつを残して
去年は12房しか生らなかった食べ頃のピオーネの方が、何かの獣に半分近くを食べられてしまったので
今年は、2種類とも15房づつ出来たので袋掛けした上から、更に網のネットで覆いました。
幾つも実が付いてない1粒を食べてみて、甘くて美味しくなったので
24日(土)ブドウを持って遊びに行って来ました


姉宅に行ったら娘(姪)が来ており、私達が行くのを待ってたようです。
娘(姪)は姉宅の近くに住んでいて、姉が92歳と年を摂ったのもあって
最近では息子(甥)と娘(姪)が頻繁に訪れてるようで、幸せな姉だと思います。
姪は用事があると、私達と30分間くらい話しをした後に帰って行きましたが
我が家で持って行ったブドウを、1粒づつ味見してましたが甘くて美味しいとビックリしてました。
そして半分以上を貰って帰って行きました。





姉は家の中では動くのに困る事は無く、昼食の支度をして待ってくれてました。
長く歩く事が出来ないと言ってますが、最近の私がそうなので、よく分かります。
ですが姉は我が家に88歳まで、お土産用の重たい荷物を持って電車で来てたのですから凄いです。





姉の元気な顔を見てお喋りして2時間程で帰ってきました、お土産を戴いてね。








大正琴の新しい楽譜を貰いました。
「恋のバカンス」です、懐かしい曲です。







約6000人のユダヤ難民の命を救った外交官の杉原千畝さん、「六千人の命のビザ」の本を読んで
日本人で他にも沢山の方々がユダヤ難民を助けてるのですが、杉原千畝さんが書いたビザは日本が通り道であって
長くても10日位の滞在期間しか無かったそうで、その間に行き先が決まってる人は問題ないのですが
行き先が未だ決まってない人達は、本国に強制送還されてしまえば死が待ってるのです。
そんなユダヤ難民たちの窮地を救ったのが小辻節三さんです。
次々と神戸に辿り着くユダヤ難民たちの窓口になり、日本政府と様々な形で交渉して
見事にビザの延長をして、全員を送り届けたそうです。
小辻節三さんは亡くなられて、ご本人が希望したイスラエルの墓地に埋葬されたそうです。
そして彼の名前も、ユダヤ難民を助けた人々の名前を刻んだ「ゴールデン・ブック」の碑に
名前が載ってるそうです。



 


私がビックリしたのは、この本を書いたのは俳優の「山田純大」で杉良太郎の息子です。
この方が何故、このような本を書いたのか?
杉原千畝さんがビザを書いたユダヤ難民たちのその後は、どうなったのだろう?と気になっていたそうで
山田純大氏が小辻節三さんの存在に気づいたのは、「命のビザ」の本を読んで疑問を持ち
小辻節三さんについて調べてみたいと思ったそうで、読んでみて、詳細に調べたと感心しました。








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樋口季一郎さん!

2024年08月21日 | 日記
八月後半になり未だ暑い日が続いてますが、午後になると爽やかな風が吹き出し秋の気配が感じられるようになってきましたね。
私は、外交官でユダヤ人を6000人も助けたという杉原千畝さんの奥様が書かれた「六千人の命のビザ」の本を読んでから
ネットで杉原千畝さんの事を調べている内に、ユダヤ難民を助けた人が他にもいて、その方の名は樋口季一郎さんという軍人さんでした。
その事は前回の私のブログ記事で書いてますが、今回は樋口希一郎さんの「アッツ島とキスカ島の戦い」です。





昭和17年6月に、米国領のアスカ島とキスカ島を日本軍が占領した。
約1年後にアッツ島2638名守備隊全員玉砕・キスカ島5183名守備隊、全員救出
この両島の運命を分けた事に、樋口希一郎さんが大いに関わっているのです。


樋口希一郎は大本営に対し、アッツ島・キスカ島から早期撤退を申し出ていたが
大本営は増強を支持し、アッツ島に向かう山崎大佐に樋口季一郎は
「アッツ島に事あらば万全を尽くして兵員兵備の増強増援を行ってみせる」と約束した。
ところが色々な事情でアッツ島放棄と決定となり、アッツ島2638名は見殺しになったのです。
樋口季一郎は自分の力が足りなかったと号泣したそうですが、アッツ島放棄と決めるにあたり
キスカ島5183名は全員助けるのを条件に承諾したそうです。


何かと陸軍と海軍は仲が悪かったそうですが、キスカ島の守備隊の半々づつが陸軍と海軍の兵士だったそうで
此処で陸軍と海軍の気持ちが一致して、奇跡に近い撤収が出来たようですが
キスカ島から日本軍守備隊撤収作戦を成功させた指揮官が木村昌福で
収容部隊を指揮した木村指揮官がキスカ島を包囲していた連合国軍に気づかれることなく
無傷で5000名以上の日本守備隊撤収を成功させたそうです。
キスカ島撤収は木村昌福指揮官ですが、樋口季一郎がアッツ島玉砕でキスカ島全員を助けると約束が無ければ
キスカ島全員を助けるのは、現実的には難しかったと思います。
のちに米軍からは「パーフェクト・ゲーム」と称賛されたそうです。


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ユダヤ難民を救った男!

2024年08月17日 | 日記
台風7号は関東地方、特に千葉県が豪雨や強風で警戒するように言ってましたが
思っていたほど被害も無かったようで良かったです。


我が家の庭に「たかさごユリ」が咲いてるのですが、その高さが3メートル位あって見上げるようです。





そして街路樹の空き地では「パンパスグラス」が咲き出し、秋の気配を感じます。


 




先日の私の記事で、6000人のユダヤ人を救った、「東洋のシンドラー」とも呼ばれた外交官の杉原千畝さんの「六千人の命のビザ」の本の事を書きました・・・こちら
杉原千畝さんの事をもっと知りたくてネットで調べてる内に、杉原千畝さんより1年半も前に同じくユダヤ難民を20000人も救った樋口 希一郎さんがいる事を知りました。
海外旅行に行って感じる事は、日本人で良かったと再認識させられますが、更にこのような立派な人がいる日本に生まれて
何と素晴らしいんでしょ





「ユダヤ難民を救った男 樋口 希一郎」
外交官の杉原千畝さんの事は知れ渡ってるのに、何故、このような立派な事をした樋口 希一郎さんの事は殆どの人が知らないでいますが
それは樋口 希一郎さんは陸軍軍人で、ドイツと日本の間の国際問題となり
軍務機密として処理された為に外部に漏れなかったようです。
その証拠として、北海道石狩市に「樋口希一郎記念館」は2020年9月に開設されたばかりです。
こんな立派な方がいた事を、皆さんに知って貰いたくて記事にしました。


ナチスドイツに追われたユダヤ難民を、樋口 希一郎は軍人の域を超えた外交官的素養の逸材であり
ユダヤ難民を独断専行で救出した通称「オトポール事件」など多くの難問の中に身をさらし
勇気と決断を持って、自己の信念を貫いた将軍である。
日独伊防共協定下に起きたオトポール事件に際し、ヒトラーの恫喝に対して自己の正当性を主張して
動じる事は無かった。
相手国との外交関係への配慮から伏せられてきた為、今日まで日本人の多くは知らないできた。
ユダヤ難民について杉原千畝の「命のビザ」は世界中に知られるが、オトポール事件のついては
ナチス・ドイツから厳しい抗議を受け、軍事機密扱いとして伏せられた・・・本のはじめにから抜粋


終戦後にソ連軍が占守島を奇襲、スターリンは参戦にあたって、トルーマン米大統領に対し
日本の降伏条件として千島列島全部と、北海道北半分の占領を要求してたそうです。
八月十五日に終戦が発表され、米軍はこの日を持って戦闘を停止してるので
日本軍は戦争は終わったものと思っていた。
ところが八月十五日の当日、ソ連軍は南樺太・千島列島・その先にある北海道への侵攻作戦を発令という暴挙に出た。
トルーマン米大統領に対する要求を実現する為、実力行使に出た。


日本軍では一斉の戦闘行為を停止する、但し止むを得ざる自衛行動は許すと・・・
樋口希一郎の日本軍は、ソ連軍と激しい戦いをして、日本兵強しをソ連軍首脳部に与え
北海道北半の武力占領を思いとどまらせたそうです。
このように知れば知る程、凄い仕事をした方なのですね。
もし、北海道が占領され半分にされていたら、東西ドイツや朝鮮半島にのようになっていたかも知れませんね。
もう1冊の「アッツ島とキスカ島の戦い」は次回にね。



先日「みいやんさん人形」を送ったら、みいやんさんが独身の頃に和裁教室で羽織を縫った赤い絞り地の生地を解いて
他の生地と、可愛い靴下を送ってきてくれた。
着物を解くって面倒なのよね、ありがとうございます。
手芸の時に利用させて頂きますね。


 






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相模原北公園に紫陽花を観に!

2024年06月30日 | 日記
例年より遅く梅雨入りした関東地方、暫くは鬱陶しい日が続きますね。
梅雨空に合うお花と言えば紫陽花ですが、その紫陽花を観に行こうと近所のKさんをお誘いし「相模原北公園」に26日(水)行って来ました
この公園、四季折々の自然を楽しめる相模原市の公園。
敷地内には森林浴が楽しめる「郷土の森」や、イチョウ並木が続く「芸術のプロムナード」など
.バラやウメ、ラベンダー、菖蒲など多種多様な花々が咲き誇りますが
中でも特に有名なのが紫陽花で200種、10000株のアジサイが咲くそうです。





この日の天気予報では1日中、曇りとの事でしたが青空が出て陽影を捜すほど。
行く途中のコンビニでお弁当を買い、公園の入口に入ってすぐに大木の根元を囲むようにベンチが作ってあって
木陰を作ってくれてるので、そのベンチに座りお弁当を食べた。


入口を入るとすぐに「バラ広場」があり、沢山のバラが咲いてて一つ一つのバラの匂いが嗅ぐと甘い香りがする。











バラ広場の隣は「アジサイ園」で見渡す限り紫陽花・その景色に圧倒されるほど。
写真から広さを想像して下さい。





 






































私は、この公園にはコロナ前に行った事があったのですが、Kさんは身近にこんな素敵な公園があったのねと喜んでくれた。
公園で紫陽花を充分に楽しみ、他にも楽しめる所はあったのですが
暑いし疲れたので、帰りにお茶でもとファミレスに寄って16時まで他愛もない話しで盛り上がる。


 


Kさんから、家にあった物だからと土産を持ってきてくれた。
以前からKさんとはお互いにお花の交換などをしてるので
私からはネットで間違えて二重に頼んでしまっ「三島千鳥」の紫陽花、家で増えた山アジサイ・パイナップルリリーの花達ね。





 





今、我が家の庭に咲いてる花です。


 


 







私が2種類の高級ブドウを育てているのは何度も書いてるのでご存知だと思いますが
実が収穫出来るまでには、毎日欠かさず時間を掛けてブドウの成長を見てるのですが
一番難しいのは雨に弱いという事ですね。
今は殆どブドウ農家さんはハウス内でブドウを育ててますが、我が家は一部に屋根が無く
折角大きくなってきた実が病気で房を切り落とさなければ、他のブドウに蔓延してしまう為に
病気の実や葉っぱは見つけ次第切り落としてますが、大きくなった房を切り落とすのが忍び難くって・・・


我が家のラッシーパパも息子達も大工仕事に関しては不器用で、以前も断られたのですが
今回もシルバーセンターに電話して、ブドウ棚の屋根を取り付けて貰うように頼んだのですが断られ
ネットでやっと、これなら取り付けられそうと頼んだのが「家庭菜園雨避けセット」です。
この家庭菜園雨避けセットの一部を足して、一寸前に作った四角をビニールで囲ったのはいいけれど
垂水に雨が溜まり、その溜まった雨水を捨てるのに大変な思いをしてたのですが
これで少しは楽になると思います。





雨で病気になってしまった実や葉っぱを切り落としました。





雨避けのビニールを掛け直したのですが、遠くからでもブドウの房がぶる下がってるのが見えてたのに
今回、病気になってるのが分かり切り落としました。








これからも油断が出来ません、最終的に何房、ブドウが収穫出来ますやら・・・






コメント (6)
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