King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

降りかかるもの

2014年06月11日 10時15分57秒 | 珈琲
また雨が降り出しました。

月曜日には90分ランの日で走り出したら
大粒の雨が降り出し、北の空には雷雲が
垂れ込めこれは危険の兆候かと思っていたら
雷と雨は強くなり出しそのまま引き返して難を
逃れました。

しかし、こういう途中棄権は敗北感が募ります。

例え、それが個人の日課だとしてもなにかすごい
疎外感というか自己嫌悪というかなぜやり通せなかったのか
という気分になるのです。

天候を苦にしてやめるというのもそれは選択肢の一つで
全く大勢に影響はないわけです。

それなのに、今時の雨はなぜか自分が走るときにだけ
特別に降るようにさえ思えてきて、ひとしきり強く降って
後は弱まると町にまたぽつぽつと走ったりあるったりの
人が出てきます。

それを見かけるとその敗北感のようなものが頭をもたげ
ます。

逆に昨日のように雨が丁度止んでいる間にフルサイズの
コースを70分丁度で走り切ると試合でシュートを決めたときの
ような達成感があります。

誰と競っているわけでもないし、走ったから何かをもらえる
訳でもないのにこんなことを思うのはなぜなのか。

朝のひと時にそんなことを思いながら珈琲タイムを過ごし
ました。

今月の珈琲は『光芒』でこれは非常に説明にエネルギーと時間を
費やすテーマであり、理解してもらいたいのでついつい力が
こもりますが、こういうのって意外と淡々と説明した方が伝わる
もんです。

昨日気が付いたのは例に牽くのが絵画表現とか芸術表現だったり
するから腰が引けるだけで、仏教的な悟りのような知の欲求として
言い表した方が伝わるかと考えましたが、その方が余計腰が引ける
か。

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