King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

懐かしい顔に潜む罠

2014年02月03日 11時17分37秒 | 日々のこと
皆さんは自分の電源が切れて意識の切れる瞬間を
味わったことがありますか。

もちろんパソコンではないので、電源といってもスイッチ
もコードもつながっているわけではなく、あくまでイメージの
話ですが、自分の意識のスイッチが切れる瞬間のような
眠りに落ちる時の瞬間のような時です。

この眠りというのも厄介なもので、意識が明確に切れて
夢の世界にいるという記憶が残っている状態の時もあれば
夢だか空想の世界だかはっきりとしないような時もあります。

夢に落ちたときにも脳は活動していて自分という自我も失わず
予知夢だとか何かをシュミレーションしているのか一貫しない
勝手な脳内活動なのかそれとも壮大なドラマを最初からもって
いてそれを延々と見せているのか謎です。

私自身は、いくつかのシリーズものの夢を持っていてそれを
繰り返し見たり、予知夢的な夢を見て、現実界でとても既視感
と懐かしさを覚えたりすることがあります。

同じようなシーンを繰り返し見たりはするものの、やはり皆
どこか行ったり見たりした地であり、まるで知らない土地のことを
夢で見たりすることはないようです。

つまりは自分の記憶内で創造されるドラマでありシュミレーション
であり、寝ている間の脳の活動の一環なのでしょう。

先日、死後の世界の不思議をテレビでやっていましたが、それに
よると臨死体験をする人の共通する光のトンネルだとかお花畑とか
懐かしい顔とかもう出会うことのない人と出会ったとかいう体験は
死後も脳はしばらく生きていてものすごい量の活動をしばらく維持
するというその時の動きがそのような共通認識というか体験を
もたらすのてはという内容でした。

まあ、これは『脳の中の幽霊』ですでに読んだような内容
でした。

でも、先日体験した意識が切れる瞬間はまさに死を迎える人の
感覚に近いのではないかというものでした。

昨年年賀状を作るときにも感じたパソコン内の画像をさらった時にも
感じた人生を走馬灯のようにフラッシュバックする感覚に似て実に
後味悪くその時のことを思い出したりします。

今はその後味の悪さの記憶が強いのてすが、それと似た事件として
最近よくむかーしの知り合いによく合うのです。

古い友人とか時の経過を感じさせるそれらの人はそれぞれに懐かしい
思い出や共有した思いとか感じさせてくれますが、なぜ今このタイミング
でこれらの人は不意に現れたのだろうかというのを考え出したら急に
このフラッシュバック事件と同じ後味の悪さが残りました。

しかし、その懐かしい思い出は消し難く、いつまでもそれに思いを馳せて
いる自分がいました。

新春早々消したばかりのもう終わりという意識を持て余す懐かしい顔の
もたらす罠でした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本日より季節のブレンドは | トップ | しっかりと雪 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々のこと」カテゴリの最新記事