King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

混沌と輻輳する世界と般若心経

2013年02月02日 11時43分11秒 | 日々のこと
昨日見た100分DE名著『般若心経』の最終回は世の中俯瞰して初めて
見渡したような晴れやかな気持ちにさせるものでした。

今回の名著ほどの出来はそうないと思います。

いつも何度も読んだ本の解説を聞き、何か食い足りなかったり本来の
テーマを読みこなせてないしっくりこないものを抱えたまま終わってしまう
本当に初心者のための入り口程度のものが今回は違ったなと思うことが
度々でした。

それは空とか無の解説も当然テーマとしては出てきますが、釈迦と観音と
舎利子という三角関係を知ることで世界観とかテーマがぐっと近づいて来て
それとともに起きた悟りの境地への疑問が次の回で触れられるという至れり
尽くせりの今回の名著だったのです。

私は普段人と話をするときに相手の年齢とか社会的な地位とか全く考慮せず
その人のレベルとか人に合わせた話という仕方を取らない主義です。

いつでもだれでも一人の人間として同じ時を生きる同士としての会話を
しているつもりです。

同じ体験と同じような境遇を経てきた人と話をするのとはどうしても話の
リアクションに差があり、その限界を感じることもありますが、最近それは
当然のことであり、それはこの般若心経の世界観では世の中まさにそのまま
を映していることを知ります。

最近政権を交代してすでに原発廃止を見直しを表明した安倍政権は、それが
正しく大人の世界なのだと説き、根拠のない原発廃止や地域社会を顧みない
核リサイクル中止はあり得ないとしました。

福島の原発が未だに収拾廃炉のめどさえ立たないのに、その危険をはらんだ
原発を再開させたり、新設を目指すのが本当に正しいのでしょうか。

多くの人が米国の基地が日本にあったり、危険な原発がこれからも使われ
続けるのに反対でしょう。

しかし、民主的選挙が行われ世界の役割の中では原発廃止ができないし、
新設もやっていくのが正しいという政権に危ないものはいらないというのは子供の
意見なのか。

こういう混沌としたところにも不変な真理はあるとした般若心経の心を知れば
混沌も人との会話もまた違ったものに感じます。

私も今まで通り、相手の理解やリアクションに関係なく同じように対等な人間として
の会話スタイルを続けるでしょう。

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