King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

小さなお客さんへ

2012年10月15日 10時18分35秒 | 珈琲
昨日も常連さんの小さなお客さんがありました。

当店にはそんな小さなお客さんが遊ぶために積み木が
用意されています。

昔ながらの塗装の無い木の生地のままの積み木です。

これで遊ぶさまを見るのは実に楽しいものです。

さらにそれで遊ばせる親の行動でも色々解ることが
あるのです。

不思議なのですが、この積み木は木の箱に収まって
いるのですが、大人でもこのケースに元通りに入れるのは
かなり工夫が必要なのです。

見ているとそれを苦も無く時間もかからずにする人と、
結局出したものの元には戻せない人がいるのです。

つまりはこの積み木子供のおもちゃのようなふりを
していますが、幼児からお年寄りまで遊ぶことが可能
で、この世界は深いのです。

私などもお客様が収めきれなかった積み木をいざしまおうと
したら、最初から美しく入れようとしばし没頭してしまう
面白さがあることに気が付きました。

小さいお客様は、投げて遊んだり、転がして遊んだり、
小学生くらいの人だと本来の積んで色々な造形を作ることも
できますが、何かテーマやら造形物に意味を感じたり、
ストーリーを付けているのは高校生ぐらいにならないと
無理のようで、大人になるとやたらと自分のうんちくを
披露したり、知識の幅の広さを誇るために木を積んだり
しています。

そんな人でもほとんどの人がシンメトリーに積んで建物
としての造形物だったり、自分の理想とする自分の家だったり
と発想としては建物に止まるようです。

子供と一緒に楽しむという姿勢を見せる人も何か知育と
いう教育というものが付いて回っていて、一緒に木を積んで
楽しむというところに心がいく人は少ないようです。

私は子供の時に、自宅に手頃な積み木がなく、幼稚園の
大きな積み木や友人の家のあいうえおの書かかれた積み木が
うらやましく、今でも手に入れて手元においてあるわけで、
何も押し付けでなく楽しく遊んでもらえる玩具として、
それで遊ぶ子供や大人のしぐさが楽しいのです。

それはこうやるものだとかこういうのが遊び方だという
押し付けもなく着想を得るとかそんな効果を狙ったものでも
なく、本当にアクセント程度に気軽に触れるものとして、
大人が珈琲談義にふける間の子供時間のためだったり、
珈琲に触発された大人の発想の具現だったり、どう使われ
ようとも、何を表現されようともいいものだと思って
置いてあります。

ご来店の折には触れてみてください。

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