King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

小さいシャクナゲと小さな宇宙と

2020年05月13日 00時29分19秒 | 珈琲

昨日の検察官の定年延長法案は多くの方が批判をし、テレビのニュースやワイドショーの

解説陣もこぞって反対しています。三権分立が保てないとか内閣の恣意的介入を受けるとか

いっていますが、実際この間まで黒川検事が官邸の閣議決定という超法規措置で定年延長され

八月まで検事総長を続けることになり、さらに定年延長法案により65歳までとどまることが

可能という現状のようですが、本来このポストは二年で慣例として次の人に移るもので、

これを政府の都合のいいようにポスト継続させられるという法案にしてしまうらしく、いろいろな

人が反対の声を上げています。

 

しかし、これは施行日とかポスト継続は内閣の意向とかの部分はどうなるか不透明で基本的に

公務員の65歳定年延長は野党も賛成だという人もいます。野党は功労のある黒川氏に都合のいい

法案を作ったという印象をメディアに与え政権を攻撃しているだけで基本的に定年を延長する

法案は前から準備中だったという記事も読みました。

 

週刊誌的なネタとしては森友や加計問題をことごとく闇に葬り役人はみんな無罪になり、関係者

には自殺者が出るなど権力の前に得する人だけ得してその狭間で一般の人が罪の意識で命を絶つという

いかにも強きをくじき弱者の立場に立ったかのような野党の戦略にまんまと悪代官にしたてられ

ちゃんとした法的根拠のない人事案を法案で補強したという言い分は至極まっとうに映りますが、

そんなにマスコミも国民もばかなのでしょうか。

 

余りに政治的恣意が入りやすい仕組みならいっそ三権の長は選挙制にするとか本格的な法案を

野党も出せばいいのです。それこそ本来すべき憲法論に踏み込んで議論されるべきことで

憲法の精神など理解していない議員はろくな議論もしてこなかったのです。ところがコロナで

都市封鎖はできないとか今の憲法のままでは国民の命が守れないなどといい大デマをかまして

非常事態法を盛り込むべきだと言い出す始末です。

 

そのコロナウィルスの非常事態宣言で知事が電話会議して指定の県以外は宣言を解除する方向で

意見交換をしたといいます。解除しても他県への移動は禁止するとかそんな議論のようでしたが、

そもそも感染者が数人の県とか未だにゼロの岩手県とか同じにお店や学校を閉鎖する意味もないし

警戒すべきは未だに海外からの渡航者や帰国者のはずです。彼らを帰国させるべく特別機を飛ばしたり

近隣国と連携して帰国させるのはいいとしてもその人たちを隔離して観察なり、安全を確認して

抗体検査や抗原検査ができるのかが問題でそれらについてはちっとも話されている風もありません

でした。当たり前の通勤のための越境者は認めろとかそんな話をしているのです。

 

一方指示を聞かず営業を続けるパチンコ店とかそもそも許認可権は知事が握っており緊急事態法で

閉店命令や外出禁止などができるとか罰則が盛り込まれていないことから日本では自粛要請にとどまり

それより強い指示にも構わず営業を続けているわけでそれなら本来の免許停止にしてしまえばいいのでは

と単純に思います。そもそもパチンコ店がクラスターになっているとも現状は感じないのでどうでも

いいように思います。テレビでパチンコ屋に並ぶ人に文句を言う人を取り上げるからみんなおもしろがって

みますが、もしあそこが感染源だという噂でも出ればそっちの方が強く伝わり誰もパチンコ屋にならばない

でしょう。

 

テレビで取り上げるのはコロナに負けないように商店街で助け合ったとかボランティアで配達を助けたとか

そんなあまり大した助けにもなっていないようなことばかりです。県をまたいだ物流などというのは普段

当たり前で生産地から皆市場に県をまたいで宅配の荷物から農産物や工業製品やら移動しています。

 

余りに神経質になりすぎて馬鹿らしいことも多く、秩父も公園の駐車場を封鎖してしまったり、

道の駅の直売所なども封鎖するなど気を回しすぎなのではというものもあります。当店でも

道の駅に直売所に商品を並べていますが、ゴールデンウィーク中閉鎖になるというのも知らず

観光客のための施設というより地元の買い物の人のための施設という面の方が強いところも

あるのにびっくりしてしまいました。場所により今月いっぱい閉まるところと時間短縮で開ける

ところがあるということで私も急遽昨日商品を納品に出かけました。

 

実際観光関係など休めといわれ旅館など9割が休業ということで収入がないわけですから

毎日雇用を守るとか命を守るといいつつ収入がなくなった企業をどうやって守るのでしょう。

実際倒産した旅館やバス会社なども出ているし、個人事業主などは商売ができないとあきらめる

ひとも出ています。国や自治体では融資や補助金を検討と毎日報道されていますが、目端の利く

ひとだけがそういうものを手にしてのうのうと商売を続けるのに対して本当に苦しい人は

日々のことで汲々としていてそんな申請などに手が回るわけがないのです。

 

こういう時に野党の政権に都合のいい人だけ得をするという攻撃は実にすんなりとこころに

響き、政府を無能呼ばわりして騒ぐだけで政府や与党と対決する以外に何か国民の心に届く

ことができないものでしょうか。

 

今日はいつものスペシャルティの珈琲でなくレギュラーのサントスを淹れました。

 

いつもはネルですがレギュラーなのでペーパーで落とすといつも朝飲む金属フィルターの

ものと違いまったりとした味で実にすんなりとのどを通り、味もまろやかで色々な味が

ストレートに出る金属フィルターとは違う印象でした。

 

それを飲み庭を眺めながら発送の準備を進めほぼ花も満開を過ぎた小さな今年植えたシャクナゲを

眺めると庭というのはその人の人生であり生きた宇宙を現わしているという丸山健二の言葉を

思い出すのでした。当店にあるのはほんの小さなシャクナゲですが、眺める度に一応の満足を

感じるのですが、少し目を転じると他の家の立派な庭も目に入り自分の宇宙の大きさを感じないわけ

にはいきませんでした。ですがよいのです。小さなシャクナゲでもそれが小さい宇宙や自分の

小ささを現わしているのではないことはよく理解しています。

 

はっきり記せば別に大きなシャクナゲを植える金がないのではないし、大きな植木を今まで

ずっと眺めてきた結果の小さなシャクナゲなので何も卑下するものでもないし、自分の宇宙の

小ささを発表しているのでもないことはよく知っているので不満もありません。

 

昨日ランニングでは相生から影森へほぼ一直線に走りまた帰ってくるコースでしたが、行きと帰りで

まったく雰囲気が違うことに気が付きました。

 

所謂下から上に走ったわけで押堀川のアカシアやキヤノンの躑躅と下から走った時には強く香りを

感じたのに帰りの復路では同じ通りを通っても今度は匂いがしないのです。

 

躑躅の前では行きの時には香りとともにタケノコの煮たものの味までしっかり思い出し、これは

躑躅の花の香りとセットになっているんだと不思議に感じました。アカシアの花は甘く懐かしい

仏壇のにおいのようなおばあさんのにおいでありまつわる思い出も数多くあります。

それらが次々に頭に去来して匂いを楽しんだのに帰りには全く何も感じなかったのです。

 

これは風向きとか気圧の変化ともあるのでしょう。この花の中に立った心地というのは

その時その時であり、ランニング中の消耗しているときとか疲れを感じているときには

最高の癒しになり体力や走力も回復する経験をすると花園に立つという行為もただの

散策では得られない境地に変わるのです。まあ登山で得られる達成感とか絶景を独り占めした

ような征服感と似ているのかもしれません。一種の成功体験です。

 

これはヨガや禅と同じで実験なのです。とかく日本人は仏教とか宗教とか修行と考えますが

もっと哲学的に考えてよく、自己の拡張であると言えます。ランニングはまさに実験で体験と

変化の観察なのです。自己というのはすべての精神活動の頂点でありすべてを支配している

様でいて実は呼吸や心臓の拍動にしろ何一つ自分の体も自己の意識化にはないのです。

走るという行為はそれを継続運動を通して自己のもとにおいてみて精神と意識と呼吸と

体の関係を観察しているのです。運動選手がよく言うゾーンに入ったという状況やセカンドウィンド

とかそんな極端な状況まで追い込まなくてもそれぞれのシーンや自身の変化は毎日走れは気が

付きます。それに自然と自分も毎日眺める星空や空気からそれらに包まれて走ることで

感じることができるようになったことも多々あります。

 

そういうもので支えられた毎日の珈琲と季節なので小さなシャクナゲでも十分なこの

感覚とここの所押し寄せてくるようなここ十年の心地など小さな宇宙から俯瞰する

のでした。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不思議な幻痛が増す中、火事... | トップ | 大きな豆の邂逅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

珈琲」カテゴリの最新記事