King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

脳男

2004年09月16日 16時22分58秒 | 日々のこと
首藤瓜於氏のこの本を読んだきっかけは、先月の忌野清志郎のコンサートの日に、
熊谷駅から日比谷に向かう電車での読み物を本屋で探した、『川の深さは』
を読んでからでした。私はこの『川の深さは』があまりに面白く、時間
つぶしのために買ったこの本が、実はその年の江戸川乱歩賞を争って
負けた作品だというのでその年の受賞作『破線のマリス』がどれだけの
作品だったのか興味を抱きました。

結果、川の…の方が全然いいので今度は、江戸川乱歩賞自体に興味が
湧いてこの作品にたどり着きました。この作品は、ここ何年かの中でも
面白い作品でした。ですが、アマゾンのレビューでもネットの感想でも
いいものは有りませんでした。私は、店頭でこれまた明日の通勤電車で
読むものがないというので、江戸川乱歩賞受賞だし間違いないだろう
位の気持ちで買いました。結果は全然予想以上の作品でした。

ネットの情報だけ見ていたのなら買わなくてもいいやと思ったと思います。
しかし、店頭で見かけた『脳男』というなぞのタイトルと著者のいかにも
素人そうな蘭柁柚聹と通じるものを感じたのです。そして語られる世界も
私がよく言うふた通りの人生を感じさせるものでした。そのふた通りの
生き方とは、ダイハードなんかにも描かれていました。世の中には、自分の
仕事や自分の興味のあることにはすごく通じていてプロ中のプロといわれ
る人がいます。

ネットやあらゆる情報に通じていて、さらに新しい情報や専門知識に膨大な
知識と経験をもち、わずかな違いもそれが意味するものも知っている。特別
仕事ができ人達。たとえば喫茶店のマスターのような仕事でもテスター顔負け
に香りや豆のつやを見ただけでその味までわかってしまうようなマスターと
呼ぶにふさわしいような人がいる反面、自分がどんな味の珈琲を出しているかも
知らない人もいます。仕事に対する意識や人生にもっている意義など人それぞれ
ですから仕方ないといってしまえばそれまでですが、人としては、それを人
それぞれと言い切りたくない気持ちを持っています。

人生を極めるとは、生きがいとはそれを作品にかもし出すことは、なまじな芸当
ではできません。作家本人がなまじな人生を送っている場合、マスターという
名にふさわしい人と名前だけのマスターとの違いを書き表されるか、人生を感じ
させる技があるか、それは大きな意味を持ちます。禅で命題を出し、それに
答えを連ねて、人生とは仏教とはという本がありますが、仏教で言う丸い掛け軸
のように、作家がいくらこれが人生だと大上段に構えてもそれは墨跡にしかみえ
ません。

甲野善紀氏が古武術の教本をいくつも書いていますが、それの導入部に仏教や禅の
話が出てきます。荘子や無門関がなぜ武道の解説に出てくるのか。人生において
ただ丸で表して、これが人生じゃよ。そしてその意味を文字でつづっても結局
読んだ人に人生はわからないのです。しかし、先ほどの喫茶店のマスターの話
では有りませんが、何も考えていなくても人生を全うしている人はたくさんいます。
そんな考えない人と考えてプロの人の違いは何なのか良く考えます。それが、
まさしく最近の私にとっての丸です。
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