King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

マルコビッチの穴…ああ7_1/2階

2006年02月08日 23時32分40秒 | 日々のこと
たまたま、番組欄で見た映画ですが、NHK-BSなので録っておきました。
別にみなくても見た映画だからいいのですが、この映画1999年ですでに
ストーリーは頭から抜けていました。ただし、テレビのCMで女子高校生が
空から降ってくる映画とかぶさって、もちろんこのCMがマルコビッチをまねた
というのはすぐわかりましたよ。しかし、マルコビッチの穴=女子高校生が
空から降ってくるにいつの間にかなっていたのです。実際にちょっとストーリーを
思い出したらすぐ消すつもりだったのです。ですが、あまりのこしらえのよさに
ついつい引き込まれ、そしてこの映画を見たときのことも鮮明に思い出され、
最後まで堪能しました。見てない人は、是非ネットで検索してみて下さい。
たくさんレビューが出てきます。しかし、それらの感想のつまらなさといったら
本当にこの映画を見たのかと言いたいです。

まず、この映画は多くの哲学的な示唆に富んでいるのです。それらを全て
味わいつくしてこそこの映画のおかしみとか、ある思いにとらわれてしまったもの
の苦悩とか、人生の軋轢とかもろもろ感じ取る事ができるのです。そして、
まずは脳をぐちゃぐちゃもまれるような展開を楽しめるかというのもあります。
私は、最初に出てくる人形の芝居があまりに見事なので、それでまずは
物語に引きづりこまれました。この最初の男が踊りアクロバットをする人形
のシーンをだぶついて締りのないマルコビッチが実際に踊ってみせるすばらしさ。
これだけ芸術的な演出をしておきながら、マルコビッチの名声を利用してなら
人形遣いとしての技術が世に認められるという芸術否定。

そもそもそのマルコビッチの世間の認知度はいかほどのものか。私自身、顔は
見たことあるが、代表作はといわれすぐ何とは出てこないのです。タクシーの
運転手が何の役だというのだがそれは別だと答える。そうなんだっけ、なんに出てた
レストランのシーンで、ファンに知的障害の役は良かったと誉められると
まんざらでもないというかおをする。しかし、その映画は何を指しているの?
そう見た当時はこれに答えられるか少なくても何の事を言っているのだなあと
思ったのを覚えている。シュワルツの妻ロッテを演じたのがキャメロン・ディアス
だとあのあごを見てこんな豪華配役だったけと思いました。彼女は、一番
求めるものを行動してつかむ象徴として描かれます。人生は何かを求めて
それをつかむもの。世の中にはそれが出来る人と出来ない人がいるという
マキシンが言うとおりなのです。

そして人形遣いとして成功すること、恋の対象を追いかけること、永遠の
生を得ることと立て続けにこの映画は問うて来るのです。それにあなたはどんな
答えを見つけますか。マルコビッチがマルコビッチに入ってしまうおふざけにただ
馬鹿笑いしただけですか。チンパンジーのトラウマとマルコビッチが潜在意識に
抱え込む誰でも持っていそうな消してしまいたい事実。世の中とは総じて
そんな記憶とあるがために苦悩する意識と操り操る人形劇のようなもので
所詮意味のないものなのかもしれない。このマルコビッチの笑いの中に
自分の意識を少しでもマッサージしてくれる哲学的考察を得て、少しは
映画を見る前と後で気分を変えられるそんな作品であり、自分の中に
7 1/2階を意識する映画です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アイバーソン休み | トップ | うわさの宝川温泉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々のこと」カテゴリの最新記事