King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『長流の畔: 流転の海 第八部』読了

2017年08月06日 09時51分08秒 | 読書

夏の木陰とエアコンの効いた部屋の友に本は欠かせません。

もちろん珈琲もなくてはなりません。

このシリーズはとても長いお付き合いで、私の人生の場面場面に
この本を読んでいたという記憶とともに重要シーンが思い返されます。

今回の時代はケネディが暗殺され、日本では新幹線の開通とオリンピック
の開催があり、日本が輝いた時代です。

この本には出てきませんが、発展の途中に公害問題や様々な暗部が
出てきて世の中の人も今より熱く人と人の結びつきやそれが織りなす
ドラマももっと熱く濃いという昭和の特長が軽く流されつつ、日本の
情緒性を能の場面などを取り入れ投影したり、日本人の醜さを
権力に関係なかったものがひとたびその力と地位を得ると容赦なく
執拗にその力を弱いものに使うという場面を見てきたと何度となく
醜い場面として指摘しています。

ロシアの文学が民衆を描いて輝いた時の小説のように大河ドラマ的に
一人の人生を時代とともに描く自伝的この小説は、日本人の心とか
故郷とかを思い返させてくれます。

前作にも能の場面やそれが描こうとする世界について言及があり
ますが、今回は月見座頭が伸仁の目から見た物語として語られ
感想としてすごくてその夜は眠れなかったというものでその物語の
筋を母に語って聞かせるのだが問題はその内容が正確に能のテーマ
となっているものと伸仁の語る筋のテーマにずれがあることに
この物語のテーマとしているものにもよりスポットが当たるような
謎があると思いました。

つまり、わざと高校生の目から見る月見座頭のテーマとしている
ことをずらして身分とか芸術を愛する人やその習性からくるもの
の方をあえて強くみせてこの小説のテーマとしているものを印象
づける狙いがあるのかと思われたのです。

周りの人々からは大将と慕われ、人望も経済的成功も得ている
ように見える主人公の松坂熊吾だが、ここまで四人目の妻にして
やっと長男を得、自らの女遊びでその妻に愛想をつかされ別居
状態となってしまうというこの物語の最後にきてこのような
家族分解状態になっているのをみると松坂熊吾はばかなのか
運がない運が尽きた状態なのかと思うだけでこの物語を堪能
した感じがします。


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