パソコンで水彩画を描かれますミスター靖氏から
白川郷の続編を送って頂きましたのでご紹介します。
この絵のモチーフは2021.1.19マーちゃん様がblogアップされた写真を
許可を得て、モチーフに拝借しています。
静岡県裾野市に住む学生時代の友人から真白になった富士山の写真が
送られてきました。同じ頃、ここの施設長であるDr.から殆ど同じ方角から
撮影した写真を頂きました。構図がそっくりであったので一枚をお借りして
雄大な富士山を描いてみました。
描いているうちに江戸時代に噴火して出来たという宝永噴火口
が目立って来ました。
かつて上京する際、新幹線で見てきた富士山は、
『今日は見えたか見えなかったかの一喜一憂?』した全体像の富士山であり
噴火口をじっくりと眺めるのは初めてです。
噴火口は幅が1kmもあり、本来の山頂の噴火口は700mだそうですから
かなりの大きさであることを知りました。
富士山噴火くち
宝永大噴火とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火で
2020年現在、富士山の噴火としては最も新しいものであるとともに、
記録が残されている10回の中でも最大のものとされる 。
噴火は約2週間続いた。
宝永大噴火は、歴史時代の富士山三大噴火の一つであり、
他の二つは平安時代に発生した「延暦の大噴火(800年 - 802年)」と
「貞観の大噴火(864年 - 866年)」である。
宝永大噴火以後、現在に至るまで富士山は噴火していない。
噴煙の特徴は噴煙の高さが上空20kmと推定される。
実際に100 km離れた江戸にも火山灰が積もった。
ただし溶岩の流下は見られていない。
地下20km付近のマグマが滞留する事なく上昇したため、
脱水及び発泡と脱ガスが殆ど行われず、爆発的な噴火となった。
噴火がみられたのは富士山の東南斜面であり、合計3つの火口が形成された(宝永山)。
これらは標高の高い順に第一、第二、第三宝永火口とよばれ、
互いに重なり合うように並んでいる。
ただし麓から見ると最も大きい第一火口のみが目立つ。
噴火口は直径約1,000m以上あり、山頂火口の約700mを超える大きさです。
(花立氏調べ)